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執行役員の林田絵美(はやしだ・えみ)と申します。キズキでは3年ほど働いています。 私自身発達障害(ADHD)の当事者であることや過去の経験をもとに、生きづらさを抱える人をサポートしたいと思い、キズキビジネスカレッジ(KBC)の立ち上げをするために入社しました。
キズキビジネスカレッジは専門スキルの習得と多様な進路への就職を支援するビジネススクールです。「就労移行支援」という障害福祉サービスの枠組みを利用してサービスを提供しています。
KBC事業責任者を経て、2021年の7月からは執行役員とデジタル戦略部責任者、2022年12月に取締役、2024年1月から取締役兼コーポレート統括部責任者に就任しています。そんな私ですが、前職は公認会計士として大手監査法人に所属し、福祉や教育とは異なる業界にいました。
大手企業からベンチャー企業への異業種転職を行い、現在は一般社員から執行役員へ。振り返れば、前職では経験できないようなさまざまな変化の中で、多くの経験をしてきました。
今回は、そんな私のこれまでの道のりと、今後のキズキが目指す姿に欠かせないであろう、求める人物像について、お話します。
人付き合いに悩み続けた学生時代。他人の生きづらさに寄り添いたいと思うように
自身が発達障害の当事者であると知ったのは会社員になってからですが、障害の特性による生活上の困りごとは幼少期からあり、特に苦しくなり始めたのは中学生の頃からです。特に人とのコミュニケーションに困難がありました。
自分が何気なく発した言葉が友人を怒らせたり傷つけたりすることが多いが、その原因を予想することが全くできず、「知らないうちに、自分のそばから人が離れている」ことが度々ありました。最初は気を遣いながら会話をすることで仲を深め、「今回は上手く関係性が築けているな」と思っても、気づけば上手くいっていなかったことも……。友達の人数の波が激しかったです。
当時は「環境を変えれば、今よりも友達ができるのではないか」と考え、地元から離れた高校へ進学しました。
結局のところ、最初は仲が良くても徐々に人が離れてしまう傾向は続くうえに、私自身が対人恐怖を抱き、人との距離を置くようになっていきました。
「人間関係の上手くいかなさの原因は、自分のせいだ」と気づいた3年間の高校生活は、「人との接し方そのもの」に常に悩んでいました。
また、社会学・歴史学者のウォラーステインによる『世界システム論』からは、「先進国が先進国になれた理由は、自国の力だけでなく、発展途上国から搾取してきたことも関係する」という思想を知りました。
私のクラスで搾取やいじめがあったわけではないですが、「強い者が誕生した背景には、搾取された弱い者がいる。そして弱い者が強い者になるためには、さらに弱い者から搾取する必要がある」という事象は、社会の至るところで起きているのではないかと考えたのです。
そう考えた時、私は強い者ではなく弱い者とされている人に寄り添う活動がしたい、と思うようになりました。
ビジネススキルを活かして社会活動に貢献するため、公認会計士を志す
社会的弱者と呼ばれる人の支援活動の一つとして、JICAなどの国際機関やNPO・NGOを調べたものの、後者は資金繰りに苦労する団体もあると知りました。まずは社会やお金の仕組みを学ぶことからだと思い、大学では政治や経済に精通する学部へ進学しました。
高校2年生のころにリーマンショックが起き、身近な人が就活に苦労する姿を目の当たりにしました。何十枚にも及ぶエントリーシートを提出しても落とされ、業界職種問わず、やっと内定を貰うことができた企業に入社する。その様子をみて、自分が「どのような職場環境でも、臨機応変に馴染めるタイプ」ではないことを理解していた私は、自分で職業を選択できるように、手に職を付けたいと思うようになりました。
将来はビジネススキルを用いて社会課題解決に寄与したいという思いも相まって、公認会計士を志し、大学3年次に合格しました。当時は、お金に関するスペシャリストは公認会計士だけだと思っていたのです(笑)
大学4年次の冬から非常勤として監査法人に入社し、大学卒業後に同社に正社員として入社。会計におけるコンサルタント業務を行う部署に配属されました。専門性を磨き続ける業務内容は、働けば働くほど分野に特化したスキルが身につくので、とても楽しかったことを覚えています。
仕事のミスマッチとストレスが心身の限界に。ADHDと診断され、生きづらさの根源を知った
社会人1年目から、休日は投資を通じた社会的事業の支援を行うNPOのプロボノとしても活動しました。
ですが本業が忙しい中、プロボノでできることには限界があることに、もどかしさを感じていました。
また本業では、自分の発達特性(ケアレスミスや物忘れが多い等)と業務内容があわないストレスにより過呼吸で倒れてしまったのです。そうした病院で診断されたのがADHD(注意欠如多動性障害)でした。
過去の生きづらさに繋がるコミュニケーションの傾向や、ケアレスミスが多い不注意傾向は発達障害由来のものだったと知り、腑に落ちたのを覚えています。
「自分と同じ生きづらさを抱える人のために、本業として働きたい」
監査法人での仕事も好きでしたが、より密接に社会課題に向き合いたいと考え、転職を決意しました。
代表の安田と共にKBCを構想、実現に向けてキズキに入社
話は少しさかのぼりますが、代表の安田さんとはプロボノ活動をきっかけに知り合いました。その後、安田さんがFacebookで「うつ病の人のための医療機関を紹介するポータルサイトを作りたい」と投稿し、私がメッセージを送り、改めてお話することに。
発達障害と診断された後、自身の障害を調べているうちに「発達障害の二次障害としてうつ病になる人がいる」と知った私は、「うつ病だけでなく発達障害の情報も届けるといいのではないか」と思っていたのです。
さらに、前々から構想を練っていた「発達障害の人のための会計士の予備校」について話すと、安田さんからは「会計だけでなく、さまざまな専門スキルを学ぶことで自分に合った職業を見つけることができるビジネススクールの設立を考えている」と聞き、一緒にやりたいと思いました。それが、今のキズキビジネスカレッジ(以下、KBC)です。
当時は、他の会社で働く傍らKBCの立ち上げに携わろうと考えていましたが、キズキも採用活動をしていると聞き、KBCの新規事業提案書を持って、正社員として応募し、現在に至ります。
さまざまなNPOや社会事業を行う会社を見てきたので、大手企業からベンチャー企業に転職することへの抵抗感はありませんでした。
「公認会計士として、当時の自分の実力以上の期待値を持たれているのではないか」という不安はありましたが、私の懸念とは裏腹に、安田さんは経験よりもKBCへの熱意やポテンシャルに期待していると知り、安心して転職しました。
「キズキでの仕事にどれだけのやりがいを見出せるか。どれだけ成長できるか。そこを期待されているのならば、とにかく頑張ってやりきるしかない」、そんな心持ちでした。
福祉、マーケティングにデジタル領域。未知なる世界を走り続けた3年間
キズキに入社してからの3年間、実に多くのことを経験してきました。
入社後の半年間はKBC立ち上げに向けたクラウドファンディングを実施し、2019年4月に新宿御苑校を設立。運営しながら、2020年6月には新宿校も設立しました。KBCと並行して、就労移行支援の利用対象外の方向けのサービスである「キズキ就職転職ゼミ」の開講も担当しています。
他には、障害者雇用を行う会社の人事制度におけるコンサルティングや、キズキの事業全般におけるマーケティング事業部責任者や、事業譲受によってリリースされた不登校専門の家庭教師事業「キズキ家学」のデューデリジェンス等も経験しています。
先述した通り今年の7月からは、デジタル戦略部責任者と執行役員にも就任しました。 専門外の分野を担当する中で学んだことは、「自分よりも知見がある人への頼り方」と「人のスキルを活かすために必要な自己研鑽の方法」です。
前職では、経験が浅いものの会計士資格の勉強で培ってきた知識があったので、土台に新たな知見を積み重ねる感覚でした。しかしキズキで必要な知識においては、ほとんど備わっていない状態からのスタートです。まずは土台をつくるインプットから始めなければいけないので、前職でのやり方が通用しないことが苦しかったです。
けれども、マネジメントをするうえで必要なのは「自分よりその分野に詳しい人を頼るためのコミュニケーション能力」と考えるようになってからは、「適切に頼るための知識を得ることができればいい」と思えるようになりました。
前職の経験が活きているのは、内部統制に関わる業務です。具体的には、業務にかかるさまざまなリソース配分の合理化や、財務情報の信頼性の確保、法令や企業倫理などのルールの遵守等を行ないます。
キズキにおいても組織規模の拡大につれて、成長し続けることと、地に足ついた健全な経営をすることが重要となります。内部統制は後者の実現に欠かせないので、当時の経験は役に立っています。Excelを用いて大量のデータを処理する業務も前職では日常茶飯事だったので、現在もそのスキルが活きています。
ビジョンに忠実なキズキだからこそ、考え抜いた経営が求められる
私の中のキズキならではの魅力は数えきれないほどにあります(笑)
特にお伝えしたいのは、「ビジネスを多角的に見ることができること」と、「責任を持って意思決定を行い、最後まで見届けられること」です。
例えば会計の数値を見るとき。前職では、数値の正確性などを確認するといった専門家としての視点に限られますが、キズキでは、顧客の意思決定を汲み取ることや、将来の数値を予測する材料としても扱われます。自分の専門分野を異なる角度でみるきっかけにもなりました。
また、コンサルタントは、第三者の立場からクライアントにアドバイスするため、最終的な意思決定に関わることが出来ません。
一方で、現在は執行役員として意思決定をする立場にいます。さらにキズキは、「事業を通じた社会的包摂」をミッションに掲げるため、財務だけでなくビジョン達成への効果も踏まえた合理的な判断が求められます。
さまざまな困難に直面する方に向けた事業を展開しているため、思いつきで事業を行い失敗すれば、最悪の場合は被害者が出ると考えています。だからこそ、徹底して考え抜いた事業を成功させることが責務なのです。
とはいえ私も、キズキで働くまでは「〇〇があれば社会はもっとよくなるのではないか」と理想のみを語ることが多かったように思います。
事業者として責任を持って社会課題を解決していくことがどういうことなのか、理想を現実に落とし込むプロセスに必要な視点は、事業会社の執行役員という立場に立たせていただいたからこそ見えてきたものです。
キズキの執行役員として成し遂げたいことは「新たな価値観の創出」
今後キズキで行いたいことは、「新しい価値観の創出に向けた事業展開」です。
例えば、これまで一般的だった就労移行支援事業は、既存の障害者雇用を広げていくものでした。けれど、KBCが目指していることは、障害者雇用枠等の雇用形態にとらわれない、その人に合った働き方の普及です。
キズキが成長することで、さまざまな生きづらさを抱える人が、自分らしい人生を歩むことができる。そのための新たな価値観の創出や浸透のための事業展開を行いたいです。 私個人の目標としては、「メンバーがそれぞれの能力を最大限発揮し、成果を出すチームの構築」を掲げています。
先述した、学生の頃から人間関係に悩んできたことに繋がりますが、今でもチームプレーへの苦手意識が無くなったわけではありません。自分で作業できることを、あえてメンバーに指示を出すことへの抵抗感が拭えぬ時もあります。
ですが、規模が大きいことを成し遂げるためには、自分の実力やリソースの限界を考えなければいけません。そのために、個々の力を最大限発揮し、チームとして連携できる環境構築に励んでいます。
理想は語るだけでなく実現するもの。求めるのは「自分でやってみせる」と熱意溢れる人
今後、キズキは既存事業の拡大とともに、未だ拾えていない生きづらさのニーズに対する新規事業の立ち上げも行います。
そのためには「何度でもやり直せる社会」の実現というビジョンに共感し、当事者意識があることに加えて、目標に向けて主体的に動く意思の強い方に、その一翼を担ってほしいです。
「社会ってこうなればいいのになぁ」と漠然と思うのではなく、「小さいことでもいいから自分ができることから始めたい」と行動力がある方に仲間になっていただきたいです。
キズキに入社当初の私も、事業責任者になって自分の理想(KBCの立ち上げ)に向けて行動するのはまだ早い、と自信がありませんでしたし、実力が足りていたとも思いません。それでも、「私が必ずやり通してみせる」という意思があったからこそ努力できたことが多々ありました。
決して簡単な道のりではありませんでしたが、強い意思があれば、ベンチャーへの異業種転職も、一般社員から役員へのキャリアを築くこともできるとお伝えしたいです。
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