【ADV事業部】セキュリティ事業は機能要件の実装から証明書発行までワンストップ提供が強み | 管理職インタビュー
こんにちは!アイティアクセスの採用広報担当です。今回はセーフティ&セキュリティ事業を展開しているADV事業部の友岡順平事業部長と大貫良一ADV2グループリーダーに話を伺いました。アイティアクセス...
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こんにちは!アイティアクセスの採用広報担当です。アイティアクセスは2000年4月25日に設立して以来、2025年が25周年にあたります。そこで今回は、アイティアクセス設立前から現在に至るまで事業に携わってきた4名の社員にお集まりいただき、会社発足前後について語っていただきました。
組織や働き方はどう違っていたのか、アイティアクセスが現在まで成長を続けてきた理由、もっとも印象に残っている出来事、そして今後の25年間に向けた願いなど、さまざまな点から語っています。
若手社員やこれから入社する皆さんへのメッセージとアドバイスも含まれていますので、ぜひご覧ください!
座談会参加者:
・理事 高木敏宏さん(写真中央左)
・ADV事業部 事業部長 友岡順平さん(写真左)
・ADV事業部 ADV1グループ 渡邉恒仁さん(写真右)
・ADV事業部 ADV2グループ 中尾康孝さん(写真中央右)
高木
理事の高木敏宏です。1992年にイノテック株式会社(以下「イノテック」)に入社しました。
当時、イノテックはリアルタイムOSであるVxWorksのウインドリバー社や携帯電話向けブラウザのNetFront Browserシリーズを開発する株式会社ACCESS(以下「ACCESS」)の販売代理店でした。そのため、リアルタイムOSやハードウェア、そしてブラウザを含めてご提案するビジネスを展開していたんです。
そんな中、iモードの普及にともなって事業がどんどん成長していき、さらに発展させるためイノテックとACCESSが出資して設立されたのがアイティアクセスです。2000年4月25日にアイティアクセスが設立されるに伴って、私は取締役に就任し、発展に努めてきました。
現在は理事として社業全般に関わりながら、現場からは一歩下がった位置から事業を俯瞰しつつ、サポート役を担っています。
友岡
ADV事業部で事業部長を務める友岡順平です。1998年にイノテックに入社し、アイティアクセス設立時に移籍して営業部長などを経験した後、現在は執行役員兼ADV事業部の事業部長を担当しています。
ADV事業部では先端設計開発検証サービスを展開しており、安定動作に力点を置いたセーフティなソフトウェア環境を中心にご提供してきました。現在はセキュリティへのニーズが高まっているため、セキュリティ認証に必要な機能・ツールをはじめ、エンジニアによる技術支援、また認証機関対応や海外のテストラボを利用するための支援も行っています。
そのため、ADV事業部ではセーフティとセキュリティを両軸とした事業に力を入れています。ADV事業部については、こちらの記事もご覧ください。
中尾
ADV事業部ADV2グループの中尾康孝です。私はイノテックに転職後、アイティアクセスの設立によって移籍しました。
リアルタイムOSに関する知識があったため、イノテックに入社して10ヶ月ほど経った段階でVxWorksグループにジョインしたのがアイティアクセスの社員となるきっかけでした。以前は東証一部上場企業に勤めておりさまざまな年齢の社員と仕事していたため、最年長が30歳でもっと若い方もリーダーとして活躍するVxWorksグループをとても元気のあるチームだな、と感じたのが印象に残っています。
アイティアクセスへ転籍してからは、ACCESSへ出向するなど設立後の困難な時期を乗り越えてきたのが自分にとって貴重な経験でした。現在はADV2グループでエンジニアとして技術を担当しています。
渡邉
ADV事業部ADV1グループの渡邉恒仁です。私はアイティアクセスが設立される前、アクセスで営業としてiモード向けのブラウザを担当していました。
ACCESSがまだ有限会社で社員数も40名程度だった時代です。しかし、iモードを搭載している全携帯メーカーがブラウザを組み込んでおり、すべての窓口を引き受けていましたから、人が足りなくてどうしようもない状態でした(笑)。
そんな中、イノテックにはVxWorksの組込を担当しているチームがあるから、なにか一緒にできないかと考えて高木さんに相談したんです。イノテックもACCESSも、組込事業としてマーケットに共通点がありましたから、協業できないかと考えたんですね。
高木さんに合意していただき、アイティアクセスが設立されたんです。でも、私がアイティアクセスに入社したのは2012年でしたから、設立前後の事情には詳しいですが、実際に仲間となったのはあとになってからでした。
現在はADV1グループで営業を担当しています。
友岡
社員の構成が大きく変わりましたよね。設立した当初は、社員より協力会社様の割合が多かったんです。社員十数人に対して協力会社様が50~60名くらいの比率で、仕事の大半をパートナー企業に頼る状況でした。
その後アイティアクセスは組織化に力を入れ、2008年頃には社員が営業や技術のマネージャーを務めるようになっていきました。当時の思い出として残っているのが、熱海の研修施設で泊りがけで開催したマネージャーミーティングです。
マネージャーが集まって社外でミーティングする試みとして2008年6月に第1回が行われました。私の中では、アイティアクセスの組織が整備された時期の施策としてとても印象に残っています。
高木
もともと、前身だったイノテック時代にもいわゆる技術商社というポジションだったので、基本的には社員が営業として販売を担当し、技術は協力会社様にお任せする体制でした。
その後、エンジニアのキャリア採用を積極化しましたから、今はパートナー比率はだいぶ減っています。中尾さんは設立当初からエンジニアとして活躍していますが、例外的な存在でしたね。
会社が黒字化して余裕が出てくると、組織を整備しないといけない、というニーズが生まれてきます。また、ブラウザは受託開発がセットのビジネスでしたから、アプリケーション開発の重要性が高まってきたんです。
そうした背景から、エンジニア採用の強化や組織の整備は自然な流れでした。
友岡
2005年くらいからは、社員が中心となって開発に携わるようになっていきました。代理店として製品を仕入れ販売しサポートするビジネスから、アプリケーションの開発まで担えるようになったんです。販売中心から技術まで提供できる会社にステップアップした形です。
そして、最近5年くらいでアイティアクセスはさらに違う形になっています。サービスのプロデュースまでできるようになり、提供するサービスは従来とおりのOSやファームウェア、アプリケーションのテクノロジーを使ってはいるものの、付加価値によって対象となる顧客層やビジネスモデルが変化しているのが特長です。
友岡
アイティアクセス設立直後は、会社の方向性を模索しながらさまざまなことにトライしていたので、時間がまったく足りませんでした。
中尾
月の残業時間が200時間を超えるような社員もいましたね。月曜日に出社すると、休日出勤していたのか、オフィスで寝てる人がいたり(笑)。
高木
昔は残業規制がありませんでしたから、みんな好きなだけ働いていたんです。就業環境だけならブラック企業っぽい部分があったのも否定はできません。今はもちろん、ホワイト企業です(笑)。
友岡
設立当初は、携帯電話や固定電話などの通信事業者向けのお仕事を多々お受けしていた時期があり、開発が遅れてしまうとメーカーの製品発売時期や売上に直接影響してしまうため、アイティアクセスではシビアな納期を守るため、高木理事がいうブラックっぽい開発体制になっていたのだと思います。エンジニアがマンションの一室で朝から晩まで開発業務に従事するような体制でした。
私の担当案件でも夜中までデバックを繰り返す日がザラにありましたし、機材を借り受けるために深夜、社用車で顧客の工場を訪問したこともあります。でも、そんな経験を繰り返す中で、ソフトウェア開発のノウハウを学んだり、受注前に注意すべき点やトラブル発生時の対処方法も身につけていきました。
ハードな毎日でしたが、自分のスキルを高める点では、非常に勉強になりましたね。
もちろん、後ろ向きになってしまった時期もありました。あるエンジニアに「こんなに余裕のない開発案件ばっかり続いてヤダなぁ」と気持ちを打ち明けたことがあります。
すると、怒られたんです。「俺達が納品のために必死で努力してるのに、営業がそんなことでどうする!」と言われました。
確かにそのとおりだな、と感じて気を取り直したのを思い出します。当時は逼迫した開発体制でしたからパートナー企業様には頼みづらい局面もあり、社員エンジニアの必要性が高まっていきましたね。
社員エンジニアの増加とともに、仕事もやりやすくなっていきました。
高木
やはり、会社設立後のさまざまな苦労を経験してきたことです。アイティアクセスを設立したときは、正直にいうと3年続くのだろうか、と不安な気持ちもありました。
ちょうど2003年に設立3周年を迎え、地上波デジタルテレビの普及やエコポイントによる買い替え需要の創出によって、ブラウザを内蔵したテレビが爆発的に売れて成長を加速できたのがターニングポイントだったと思います。
友岡
もっとも印象に残っているのは、アイティアクセス設立によって新人営業だったイノテックから転籍という形になった経験ですね。毎週当たり前のように行われていた定例会議で上司から「会社を作ったので社長をやるから」と告げられたのにびっくりしたのを覚えています。
また、アイティアクセスは設立以降、決して順調とはいえませんでした。設立した翌年の2001年には社長が退任され、別の取締役も会社を去ってしまうなどショックを受ける出来事もありました。
家族から「会社は大丈夫なの?」と心配されていたくらいです(笑)。設立してからしばらくは経営が厳しい時期でしたから不安もありましたが、なんとかやってこれたのは自分の中で「この会社でやっていくんだ」と覚悟を決めたのが大きかったと思います。
また、高木理事ら先輩方が親切に面倒を見てくださったのも支えになっていました。
中尾
設立後の混沌とした時期に、アイティアクセスからACCESSへと出向していたのが印象に残っています。さまざまな事情から私を含め複数の社員がアイティアクセスからACCESSへと出向になりました。
ACCESSでも仲間とともに仕事できましたし、渡邉さんもいましたから頼りになりました。同年代の社員も多かったので業務上の違和感はなかったんです。
でも、ACCESSの中尾としてアイティアクセスとやりとりすると、要求が厳しいんです。「ACCESSの中尾さん、これはどうなんですか!」と詰められたり(笑)。
ACCESSへと出向していた期間は外部からアイティアクセスを眺める形でしたが、売上の上下はありながらも成長を続け今に至っていますので、思い返すとよく生き残ったなぁ、と感慨深いです。
渡邉
皆さんと同じように設立前後の話になってしまいますが、今でもアイティアクセスに在籍するエンジニアの技術力の高さに驚いたのが印象に残っています。当時、ACCESSが開発していたブラウザのソースコードをほかのプラットフォームへ移植するため、そのエンジニアにソースコードを渡したんです。
すると、ドキュメントもないのに1週間も経たないうちに移植が完成してしまったんですね。そのエンジニアはその後転籍し、アイティアクセスの技術力を支えてくれましたから、ACCESS社内でも「アイティアクセスを作って良かったね」と言われていました。
友岡
ビジネス領域の拡大を躊躇しなかったのが一番の理由だと考えています。
リアルタイムOSからミドルウェア、そしてアプリケーション開発と、ビジネスの広がりに対応してきました。もし、ある領域に固執していたらここまで成長しなかったのではないでしょうか。
FT事業部が展開している自販機向け電子決済サービスなど、新しいビジネスも事業として確立できるようになっています。簡単ではありませんでしたが、ためらいなく事業化し、軌道に載せられたのがアイティアクセスの成長における原動力を示していると感じます。
また、いい仲間といい顧客に囲まれながら事業を展開できてきたのも、成長の要因なのでしょうね。
高木
事業環境に恵まれたのも影響していましたね。ブラウザやJavaScriptなどインターネット関連技術に力を入れていたため、ネットの普及とともにビジネスを拡大できました。
地上波デジタルテレビによって、Web機能を搭載したテレビが売れてライセンスフィーが入ってきたのもアイティアクセスの成長に大きく貢献してくれました。エコポイントによるテレビの買い換え需要など、環境に恵まれたのも規模の拡大に寄与したと考えています。
渡邉
私は新卒入社からずっとメーカーで仕事してきたので、商社機能を持つアイティアクセスの事業をとても新鮮に感じました。しかも、OSやミドルウェア、ブラウザなど複数のメーカーから仕入れてお客様に提供するビジネスです。
さらに、顧客が欲しいものを仕入れて販売するだけではなく、なぜ欲しいのか背景まで理解した上で最適な組み合わせとともに必要なドライバーまで開発してご提供する形です。単に組み合わせるだけではなく、顧客の満足度を一層高められるビジネスを行ってきたのが、成長における原動力だったのではないでしょうか。
右から左へモノを流すだけの商社ではなく、アイティアクセスならではの付加価値をつけられてきたのが勝因だったと考えています。
高木
顧客の話をしっかりと聞いて、ニーズを把握する姿勢が大切だと思います。そして、顧客に役立つサービスを考えていけるかどうかが今後の25年間、一層の成長を続けていくために重要な点だと考えています。
友岡
高木さんがおっしゃるとおり、顧客が困っている部分を支援できる技術力と信頼性があれば、成長のエンジンになるでしょう。そして、さらに顧客のニーズとして顕在化していない製品やサービスにまで踏み込んで提供できるようになれば、より企業として高みを目指せるのではないでしょうか。
顧客が思いついていないソリューションを生み出せれば、きっとほかの企業が追随できないほど成長できるに違いありません。アイティアクセスが今後の25年も発展していくためには、顧客のニーズを満たす姿勢と、顧客が気づいていない・思いついていない製品・サービスをご提供することの両面が必要だと考えています。
中尾
さきほど話に出た熱海のマネージャーミーティングで、当時の社長が「アイティアクセスを100年続く会社にしたい」とおっしゃっていました。僕としてもそうあって欲しいと願っています。
では、100年続く会社になるためには何が必要なのか。これからの若い皆さんにも考えていただけたら嬉しいですね。
日本では、人口の減少などから国内企業に閉塞感がみられます。例えば海外に進出するなど、アイティアクセスにとってのブレイクスルーができれば、25年後には現在より大きく成長できているのではないかと思います。
友岡
中尾さんがおっしゃったように、現在のマーケットにとらわれず、どんどん新しい領域に広がっていく会社になっていてほしいですね。オフィスも日本だけに限る必要はありませんし、社員も老若男女、外国人も含めさまざまな方々から構成されて良いと思います。
また、若い方々にも経営に積極的に参加して欲しいと考えています。アイティアクセスのこれからを考える上では、企業理念に示されている「多様性」が鍵になっていくのではないでしょうか。
そのためには、多彩な人材が挑戦できる環境であることが重要です。
中尾
アイティアクセスでは、取締役が毎月、会社の状況を社員に説明する機会があります。高橋社長は「多様性」や「挑戦」のキーワードをよく使われていますから、今後のアイティアクセスに必要な要素を十分に理解された上で話されているんでしょうね。
高木
顧客の課題解決ができて、コミュニケーションスキルが高い人材は、アイティアクセスが提供できる付加価値をコンサルタントとしてしっかりと伝えられます。25年後には、そんな人材がさまざまな多様性を持ちながら挑戦できる会社になっていてほしいですね。
渡邉
営業的な話になってしまいますが、顧客の言っていることが正しいとは限らない、とアドバイスしておきたいです。
顧客がいうことを素直に聞いて実現しようとしてもなかなかうまくいきません。なぜそんなリクエストをしてきたのか、背景まで含めて真のニーズをしっかりと把握する姿勢が、課題解決に役立ちます。
高木
上司を巻き込め、先輩を使え。と言いたいです。遠慮なく、どんどんやって欲しいと思います。
とくにエンジニアはどちらかというと、自分ひとりでまとまってしまう傾向が強く、現在はまだ声が小さいように感じます。先輩を意識的に使って、自分がやりたいことを実現していただきたいですね。
友岡
私は失敗を恐れるな、というだけでなく失敗を隠すな、ということを伝えたいです。失敗を恐れずにやれ、と言っても「ホントかな?」と思われてしまいそうなので、失敗してもいいから失敗したらどんどん言えよ、としています。
失敗したことを遠慮なく伝えてほしかったな、という経験もしていますから(笑)。オープンにしていただけた方が、私としてもありがたいです。
中尾
高木さんと似てしまいますが、僕らからするともっともっと巻き込んで欲しい、という気持ちがあるんです。アイティアクセスの社員には、自分の力でやるという方が多いように感じます。
25周年を迎え、アイティアクセスは若い皆さんが仕事の領域を広げ、会社をドライブしてくれるまでになりました。だからこそ、ベテランをうまく使って、その経験を力に変えてもらえれば、さらに成長できると思うんです。
※取材時の部署・役職・氏名を記載しています。
(取材日:2025年9月1日 聞き手:垣本陸)