初めに
ベトナムに住み始めて13年目、2019年7月12日に39歳になり30代も残り1年を切りました。20代後半、30代のほとんどをベトナムを始めとするASEANと共に歩んでまいりました。 ここ数年は、日本での事業を本格させているため、東京と行き来する生活の中で、日本とASEANを常に意識するという多重国人格?のような状態になってます。 本サイトでは改めて、これまでのASEANと日本で事業を立ち上げてきた中で感じたこと経験したことを綴っていきたいと思います。
稚拙な文章になるかと思いますがよろしくお願いします。
~そうだベトナムへ行こう~
2007年2月3日、僕は単身でベトナムのホーチミンにやってきた。
夢と希望を胸にホーチミンでの生活が始まるのだった。
まず、なぜベトナムに来たか?から話を始めたいと思う。
大学生の頃から、社会にインパクトを与えられるような人間になりたいと、自分で事業を始めようと思っていた。しかし大学卒業後、何をやってよいかわからない僕は、東京でフランチャイズ本部運営をする会社で日本国内での業務を担当していた。 当初より3年間社会人を経験した後に起業しようと決めたいたので、常にどのような事業を自身で立ち上げるかを考えていた。
2006年、僕の新卒3年目にあたる年。3年間という期限を切っていたので、いよいよ自分自身の起業プランを考えなければならない。当時の僕は、相変わらずフランチャイズ本部の事業を立ち上げるべく商品企画やクレーム対応に追われる日々で自身の事業立ち上げのために、多くの時間と頭を使えていない日々を過ごしていた。 空いた時間の中で書店に行き、事業計画の立て方のような本を読んでも全然イメージが湧いてこなかった。そんな焦りからか、本気で起業家になるんだ!事業を起こして社会にインパクトを与えるんだ!と奮起し、自身に発破をかけていた。 一方で社会の雰囲気はなんとなく鬱蒼とした感じを持っていたのを覚えている。
当時はiPhoneがデビューする前でインターネットと言えばPC。 2006年1月16日にライブドアが証券取引法違反の容疑で強制捜索を受け、翌1月17日に株式市場が大暴落へつながったいわゆるライブドアショックがあった年明けだった。なんとなく起業家やベンチャーが怪しいとか、失われた20年なんて言葉が出始めた頃だったと記憶してる。
またニュースでは団塊の世代が60歳の定年を迎え労働人口が減っていくことが報じられていた。少子化が進んだ結果、労働人口だけでなく総人口も今後数年でピークを迎え減少に転じることは確定している。少子高齢化のような重要事項に対しても抜本的な政策を取らないてきた日本の政治も日本の未来の無さを表しているようだった。
そもそも人口が減っていく社会で閉鎖的に日本国内だけの事業を行っていてもだめなのではないか?この状況を打破するためにはイノベーションを起こし新たな産業を創出するか、世界のマーケットをより獲りに行くグローバル戦略の2択しかないと考えるようになっていった。
学生の頃は一人でニューヨークへ1ヶ月滞在したり、イギリスの大学へ1年の短期留学をしていたので海外自体の興味はあった。
また、当時交際していた(現妻)彼女は、アフリカが好きでウガンダで勤務していた。
明るく後先の考えない彼女は、国際電話で「ウガンダ楽しいよー!アフリカでビジネスしてみたら?w」と軽口を叩いてくる。
そんな海外というキーワードが日常だった僕は、ある日ふと思いついたのだった。
「日本人だからといって日本で事業を起こさなければならないわけではない。」
世界に日本のマーケットを広げていく事、世界の人により日本に来てもらうこと、様々な形でグローバルマーケットを取りに行くことが、日本の成長戦略にとって重要なテーマだ。
ならば、自分がこの領域で事業を起こしてみよう!と思うようになっていたのだった。
ではどうしよう?
これから人口が伸びていき、一人あたりの所得も増えていく荒野に行ったらチャンスがあるし、何より面白そうだ。この思いつきで、半年前に参加したベトナムのビジネスツアーがすぐに頭の中をよぎった。
「そうだベトナムへ行こう。」
ベトナムは、平均年齢が20代、人口も毎年100万人増加中、毎年GDPが6-8%成長を続ける成長真っ只中の国。
2006年9月中旬、当時勤務していたオフィスのある浅草の雷門通りを歩いていた時に気づいたのだった。ものすごく体の中から溢れてくる情熱、頭の中に雷が落ちたかのようなこの感覚は今も思い出す。
何をやるかは全く決まってない。
会社を経営した経験もない。
営業マンとしての実績もない。
部下をもった経験もない。
ベトナムでの人脈もない。
メンターもいない。
お金も大してない。
投資家もいない。
兎にも角にも何もない。
あるのはベトナムという地で新たに事業を立ち上げるんだ!という情熱のみ。
思い立ったが吉日、すぐに直属の上司に退職の意志を告げた。
そして、唯一の知り合いだったベトナムビジネスツアーを企画した企業の代表の方にお願いして期間限定で働かせてもらうことだけ決まっていた。そしてその会社で何をするかもまた決まってなかった。
何も決まってなかったが、兎に角世界に出ないと、ベトナムへ行かないとという衝動に駆られホーチミンにやってきたのだった。
(続く)
第2話
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※写真は昨年のホーチミンオフィス忘年会にて