株式会社ジェネリーでは、現在新卒/中途のクリエイティブディレクター職・デザイナー職の採用を実施しています!
今回は、2026年春に新卒として入社後、クリエイティブディレクターとして新規アパレルブランドの立ち上げに携わるれいさんにお話を伺いました。
メイドカフェでのアルバイトやアイドル活動の経験を経て、なぜ新卒でジェネリーへの就職を決めたのか。経歴や現在の業務についてお聞きしました。
ーープロフィール
名前:れい(本名非公開)
年齢:22歳(2025年7月現在)
最終学歴:女子美術大学 アート・デザイン表現学科 クリエイティブ・プロデュース表現領域 卒業
勤務年数:約1年(インターン生からの新卒採用)
担当部署・職種:ブランドマネジメント部・クリエイティブディレクター
MBTI:ISFP(冒険家)
ーー美大を卒業し、新卒でクリエイティブディレクターとして採用されたれいさんですが、小さい頃からデザインに興味があったのでしょうか。
小学生の頃はアイドルになるのが夢でした。ちょうどAKB48が流行していて、渡辺麻友さんが好きで憧れを持っていました。その一方で、漫画家にも興味を持っていて、中学生の頃から本格的にデザイナーを志望するようになりました。元々何かを作ることが好きで、具体的に何のデザインかは決めていませんでしたが、美大に進学してその道を究めたいと思っていました。母が美大出身、父が建築学部出身で、両親ともにクリエイティブに関する仕事をしていたのも影響していると思います。遺伝的にも家庭環境的にも、自然とデザイナーを志すようになっていたと感じています。
ーー中学生や高校生の頃はデザイン以外に部活動や趣味などで熱中していることはありましたか。
中学校では吹奏楽部、高校ではダンス部に所属していました。今も積極的な性格だと思いますが、当時から目立ちたがり屋で、人前で演奏したり踊ったりすることがとても楽しかったです。他にも体育祭の実行委員など、自分から進んで色々なことに取り組んでいました。
また、高校生の時はインスタにも夢中になっていました。インスタ映えする可愛い喫茶店に行ったり、下北沢の古着屋さんで可愛い服を探したりすることが好きでした。今は黒が基調の地雷系や韓国系のファッションを着ていますが、当時は古着系が好きで、赤や緑といったビビッドな色味の服や、ヴィンテージ感のあるロングスカートを着ていました。
▼高校時代、古着系ファッションのれいさんの写真
ーーそれは意外です...!いつ頃から今のような系統のファッションに変わりましたか?
高校3年生の頃です。当時コロナ禍で体育祭をはじめとした行事やイベントが開催できなくなってしまって、今まで充実していた学生生活が一気に変わってしまいました。そのタイミングでジャニーズ事務所(現:STARTO ENTERTAINMENT)のアイドルが好きになったんです。当時のジャニオタの服装は「量産型」や「地雷系」が多かったので、自分も馴染めるようにそういった系統の服を着るようになりました。こういう女の子っぽい服も可愛いなと思うようになったんです。高校卒業間際にメイドカフェで働き始めてから、さらにそういう服を着ることが多くなりました。
ーー女子美術大学への進路選択を経て、なぜメイドカフェで働こうと思ったのですか。
最初は同じ美大でも、女子美術大学にするか共学の学校にするか悩んでいました。最終的な決め手は自分が「可愛い」を表現したかったというところです。女子美術大学はサンリオのデザイナーさんを多数輩出しているといった実績があり、自分もサンリオが好きだったので志望しました。
メイドカフェで働き始めたきっかけは高校の友達の影響です。進路が決定したタイミングでアルバイトを始めようと思ったのですが、コロナ禍で接客業の採用が厳しかったこともあり、10社くらい面接を受けて全て落とされてしまいました。何もできるバイトがないと悩んでいた中で、高校の友達が働いていたメイドカフェに応募し、そこで働くことになりました。
ーー大学生活で何か力を入れたことはありますか。
1番は大学2年生の頃から始めたアイドル活動です。私が加入したグループは歌やダンスといったパフォーマンスを重視する「実力派」と言われるようなアイドルでした。そのグループで唯一私だけがアイドル未経験だったんです。一番年下で経験もない、歌も他のメンバーよりも上手くないという環境で、プロデューサーから足を引っ張っていると言われたり、私だけソロのパートがない曲があったりして、初めて2ヶ月くらいで辞めたいと思うようになりました。
当時は精神的につらくて毎日泣いてしまって、正直卒業までずっと辞めたいという気持ちがありました。でも、加入してすぐにやめたり、突然脱退してしまったりするのはカッコ悪いと思って2年間活動を頑張りました。
▼アイドル時代、ライブに出演するれいさん
ーー大変だったことも多いかと思いますが、活動を通して楽しかったことはありますか。
人前に立って自分を表現することができたのはとても楽しかったです。メイドでもデザイナーでも自分がやりたいことの根本には自己表現をしたいという気持ちがありますが、特にアイドルは一番「自己プロデュース」ができる仕事だと思います。SNSやYouTubeでの発信も、普通の人でもできることではありますが、アイドル活動を理由に一層力を入れて頑張ることができたと思います。
色々なライブに出演してアイドルとしての活動を一通り経験できたと思い、大学4年生になる前に卒業しました。ちゃんと卒業ライブも開催することができて嬉しかったです。
▼卒業ライブの時の写真。ファンに惜しまれつつ卒業しました。
ーーアイドル活動で大変だったかと思いますが、美大生としての学生生活はどうでしたか。
大学1、2年生の頃はプロダクトデザインを学んでいました。そこの学科のキャンパスが町田にあったのですが、アイドルを始めると学校からライブ会場まで1時間以上かかってしまうことも多く、活動の支障になっていました。よりアイドル活動に力を入れるために、大学3年生で高円寺にキャンパスのある学科に転科しました。
3、4年生の頃は絵を描くというよりも、展示会や舞台演出などの企画やプロデュースについて学びました。個人で黙々と作業するのではなく、グループワークでみんなで意見を出し合って、1つのものを作るといった授業が多かったです。
卒業制作は「魔法少女は死なない」というテーマで映像作品を作りました。幼少期の頃は多くの女の子が魔法少女に憧れやときめきを感じていたと思います。しかし、大人になるにつれて世間からの目や体裁を気にして、その気持ちを抑えなければいけないと思うようになってしまいます。大人になっても魔法少女に憧れていた心を忘れないでというメッセージを伝えたくて、自分も学生から社会人になるタイミングでこの作品を撮りました。納得のいく作品を作ることができ、講評でも評判が良かったので嬉しかったです。
▼れいさんの卒業制作の一部
大学生活全体を通して、アイドルやジェネリーでのインターンをやっていたこともあり、忙しくて大学生らしい遊びや恋愛はできませんでしたが、様々な経験を積むことができたと思います。アイドルを始めてからは常にYouTubeやSNSのことを考えていて、どこかに遊びに行く際もSNSの写真を撮りに行くことが目的になるくらい熱中していました。結果、1年に約1万人ずつフォロワーが増え、今はインスタだけでも4.4万人にフォローしていただけているので、頑張りが認められたように感じて嬉しいです。
▼れいさんのInstagram(@reisickness)
ーーアイドル卒業後、大学4年生というと就職活動を始めるころだと思います。具体的にいつ頃から就活を始めましたか。
そもそも私は世間一般的な就職活動はしていなくて、ジェネリー1社しか受けていないんです。
最初は企業に就職しようとは思っていなくて、最後の1年は学生生活を満喫してから、今度は自分に合うグループを見つけてもう一度アイドルをやろうと思っていました。将来のことを考えるうちに、やっぱりデザインを仕事にしたいと思うようになりました。アイドルという仕事は自己プロデュースをしようと思っても、グループの方針に従わなければいけないところがあり、100%自分がやりたいことを表現できなかったからです。
アイドルになる前からいつか自分のアパレルブランドを持ちたいという目標がありました。アイドルはその通過点として、それをきっかけに有名インフルエンサーになってブランドのプロデュースをしたいと思っていたんです。しかし、インフルエンサーとしてフォロワーを伸ばしても、実際にメーカーとのコネクションを作ることが難しく、そういうことができそうな会社に就職した方がよいのではと考えるようになりました。
ーーその中でジェネリーに応募したきっかけは何だったんですか。
就職するにしても、自分が好きな可愛いものに関連する仕事がしたいと思っていました。高校生の頃にジャニオタをしていたこともあり、以前からLAFARY(弊社ブランド)のことは知っていて、インスタをフォローしていました。
その時はまだジェネリーでアパレルブランドを立ち上げていく前のタイミングだったので、弊社のことは「推し活の雑貨屋さん」という認識でした。一方でLAFARYとインフルエンサーとのコラボ企画のことも知っていたので、自分がSNSで発信していることを活かして、何か挑戦させてくれそうな会社だなとも感じていました。将来のことを本格的に考えるタイミングで、丁度弊社のデザイナーのインターン生の募集を見つけ、アイドルを卒業して2日後に応募しました。
ーー行動が早くて驚きです。そういう意思決定のスピード感を持っているからこそ、弊社のようなベンチャー企業とも相性が良かったのかもしれないですね。
そうですね。アイドルを卒業した後すぐに申し込んで、トントン拍子で採用が決まりました。他の会社は全く見ていなかったので、結局スーツを一回も着ることなく就活が終わりました。正直就職活動をしたという実感すらないですね。
ーー実際に弊社の選考を受ける中で印象に残っていることはありますか。
最初に社長と面接したときに「他の企業と比べず、本当に弊社で決めてしまっていいのか」と言われたことですね。確かに他の会社の選考は受けていなかったのですが、応募した時から「ここに入りたい」という決意を持っていたので他社に興味を持つことができませんでした。自分自身、物事を直感的に決めてしまうタイプではありますが、自分が大企業で働いている想像ができなくて、ジェネリーのような自由な環境で個性を活かして働きたいと思っていました。選考中もどうしようと悩んだり迷ったりすることなく、とにかく「受かれ」と念じていました。今の自分の視点でも、他の会社に入る選択肢は全くなくて、弊社に入って正解だったと強く感じています。
ーー入社後はどのような業務を担当しましたか。
最初はデザイナーのインターン生としての採用だったので、店頭POPの製作を担当していました。実はillustratorを使用したことがなかったので、使い方を教えていただきながら、デザインの基礎を学びました。
入社当初からアパレルをやりたいという意思を伝えていたので、その頃新しくできたMelsickというブランドのデザインを任されることになりました。その中で洋服のデザインや生産管理といった発売までの流れを一通り教えていただきました。
▼実際にれいさんが担当したMelsickのデザイン
ーーそこから実際に自分のアパレルブランドを一から作るまでのスピードが速かったですよね。
私自身も驚いています。自分の中ではMelsickを2年くらいやって、実績を作ってから自分のブランドかなと思っていました。ある日、会社としてアパレルブランドを今後どう運営していくかについての話し合いがありました。その会議の中で、自分の表現したいものを形にするのがこの会社の方針だから、れいさん自身のブランドを作った方がいいのではないかという意見が出たんです。そこから会議の流れが一気に変わって、私のブランドを作ろうという結論になりました。
今までの自分の実力が認められて、社長をはじめとする社員の皆さんと信頼関係を築くことができたと実感し、嬉しかったです。
▼れいさんのブランドの商品デザイン画
ーー今までで一番印象に残っている業務はありますか。
やはり、仕事量的にも一番多かったMelsickのブランド運営です。私自身服飾の学校の出身でもなければ、他にアパレルの仕事をした経験もないので、最初はわからないことだらけでした。服のデザインのことも業界用語のことも何もわからないまま手探りで進めていました。
特に中国の業者さんとのやりとりは言語の壁もあって難しかったです。初めて取引する業者でどうすればいいかわからない状態の中でやりとりを進めていました。お手本がなく正解がない仕事をするのは難しかったですが、自分の中では面白くやりがいがあるなと感じていました。
ーーインターン生として入社してから1年経ちますが、自分自身の中で成長したところはありますか。
仕事に対する責任感が生まれたところだと思います。インターンの時はまだ誰かが作ったブランドをデザイン面で手伝っているような感覚でした。自分のブランドができたことで、自分が舵を切って進めていかなくてはいけないという責任感を感じるようになりました。最終決定権が私にあるので、自分の発言一つ一つに対しても責任を感じます。
また、インターンの時との比較で、自分らしく個性を発揮して働けるようになったと感じます。以前はジェネリーで働いていることは公にしていなかったのですが、インターン生から社員になって、自分のブランドが動き出してから、個人のインスタでも会社のことや仕事のことをリール投稿で発信するようになりました。外向きに発信する「れい」としての自分と、プライベートな自分の境がなくなったような感覚です。「れい」としての個性や世界観を仕事で活かせるようになりました。
▼れいさんのリール投稿の一部
ーーインターン生から様々な業務を経験してきたれいさんが、ジェネリーに入社してよかったと思うことを教えてください。
たくさんありますが、一番は実力を評価していただけるところだと思います。定期的に実施している評価面談では、自分の良いところも改善した方がいいところも率直に言っていただけるので、自分自身の成長のきっかけになっています。頑張った分だけ評価していただける環境なので、自然と仕事に対する向上心がアップします。自分のブランドをもたせていただいていることが何よりの実感です。
ーージェネリーに対して入社前後で印象が変わったところはありますか?
私はいい意味で思った通りの印象でした。確かに、弊社は他の会社と比較すると裁量が大きい仕事を任せてもらえると感じますが、他の会社を知らないのでそこまで驚かなかったです。責任感のある仕事を任せてもらえることが大変だと感じる人もいるとは思いますが、私にとってはそれもいい経験です。新卒でいきなり自分のブランドを任せてもらえること自体、他の会社ではありえないことだと思います。
▼仕事中のれいさん。商品に対して真剣に向き合っています。
ーー職場の雰囲気はどう感じていますか。
一言で表現すると、とにかく楽しいです。若い女性社員が多いこともあって、女子校のような明るくて和気藹々とした雰囲気だと思います。そういう雰囲気だからこそ、いい商品が生まれるのではないかと感じています。
アイドル時代は人間関係で悩んだこともあり、仕事上でも仲がいいというのは大切だと感じさせられました。人間関係が良好であれば、自分のメンタルが明るくなって、仕事へのモチベーションやパフォーマンスが向上すると思います。特に同期の社員がお互いを補い合えている関係なのでとてもいいなと感じています。インターンとして同じ時期に入社できて本当に良かったです。
▼他の社員に商品の相談をするれいさん
ーー現在のれいさんの夢や目標を教えてください!
今の夢は自分のブランドを有名にすることです。まずは地雷系やサブカル系が好きな女の子に対して、自分のブランドが認知されるようにプロモーションしていきたいです。最終的にはラフォーレ原宿に出店するのが目標です。小さい頃から原宿のカルチャー、特に青文字系のファッションが好きだったので、憧れの場所で自分のブランドのお店を出したいです。そしていつか、自分のブランドがカルチャーを作っていたことが誰かの記憶に残り続けたらいいなと感じています。
ーージェネリーの中で今後やりたいことはありますか?
ブランド以外にも、「れい」という1人のインフルエンサーとしていろいろなものをプロデュースしていきたいです。アイドルやコンカフェのプロデュースにも興味がありますが、特に自分が好きなコスプレ衣装やアイドル衣装を作ってみたいと考えています。Malymoonやクリアストーンといった既存のコスプレブランドとは違って、自分の世界観やコンセプトを落とし込んだ衣装作りをしていきたいです。今はデザイナーとしての仕事が主ですが、プロデューサーとして色々な場面で活躍していくのが目標です。
ーー今後、後輩が増えていくと思いますが、ジェネリーに入社してほしい人物像を教えてください。
まずは、何かしら夢や目標を持っている人に来てほしいです。自分の目標や将来なりたい自分像がはっきりしていて、この会社で何かを叶えたいという意志のある人に向いている会社だと思います。なんとなくお金を稼げればいいやという思考の人は、逆にこの会社で頑張っていくのは厳しいかなと思います。
能力面では、努力ができる人が向いていると感じます。私も最初はillustratorが使えなくて、操作も画像を貼り付けるということだけしかできませんでした。最初はできなかったとしても、頑張ろうという気持ちとやる気さえあれば、自然と仕事ができるようになると思います。
ーーれいさんの経歴、新卒ながら非常に濃密で聞いていて面白かったです。最後に、この記事を読んでいる人にメッセージをお願いします。
「夢を追うものよ。我々の船に乗れ。」…って漫画のワンピースみたいですね(笑)何か夢を持っている人はぜひ、私たちの会社で一緒に頑張って叶えてみませんか?応募をお待ちしています!
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