こんにちは!FREE PEACE採用チームです!
今日は、31歳で役員就任を果たした株式会社フリーピース取締役 梶山さんの、
波瀾万丈なキャリアを深掘りします。
「自分がダメだと会社が潰れる」──そんな気持ちで会社を引っ張ってきた梶山さんの歩みは、
「どうせやるからには自分の力で会社を成長させたい!」
「自分でも起業できるくらいの能力・マインドセットを身に付けたい!」
という就活生・若手社会人のみなさんにとって最高のヒントになるはずです。
インタビューでは、新卒で大手企業に入社してから “すべてを捨ててカンボジアへ” 飛んだ決断、
泥臭い営業の日々、財務管掌役員として背負った責任、
これまでの挑戦のリアルから、これからの展望まで聞き尽くしました。
「ベンチャーで働くと成長できそうだけど、実際どうなの?」という疑問を持つあなたに、
生々しい失敗や葛藤まで含めた「本当のベンチャーの醍醐味」を届けます!
梶山さんは就活生向けにカジュアル面談も受け付けておりますので、応募をお待ちしております。
27歳、まさかの「主役早退」
ー送別会を途中で抜けてカンボジアへ
Q. 自己紹介と、フリーピース入社までのキャリアについて教えてください。
1986年9月19日生まれで、38歳です。
今はフリーピースの取締役・コンサルティング事業部責任者として、人事・採用・育成を満遍なくやっています。
今年度は、新卒全員の育成を一手に担い、ほぼ付きっきりで研修しながら成長をサポートしています。
これまでのキャリアでいうと、新卒ではスターツCAM株式会社に入社し、
飛び込み営業で土地活用を提案する営業マンを4年間やりました。
多くの皆さんが敬遠しがちな仕事です(笑)
数字とノルマに追われる毎日でも成果は出していたので、新卒5年目には課長が見えてくる時期でした。
けれど課長 → 部長 → 役員とレールが見えてしまった瞬間、そこに憧れることができなくてワクワクが失われていきました。
そんな中、「自分で何かやりたい」という思いが日に日に強まっていきました。
Q. フリーピースにはどんなきっかけで出会ったんですか?
フリーピースとは、退職を考えていた際に、元々スターツの先輩だった2代目の社長に誘われて
現社長の戸川さんと3人で食事に行ったのをきっかけに出会いました。
そこではスターツを退職をする話や、今後は自分で何かをやりたいという話を聞いてもらいました。
すると戸川さんが
「じゃあ、カンボジアに行こう」
と誘ってくれました。
誘いに乗った瞬間、その場で戸川さんが僕のフライトを予約してくれて、そのスピード感はいまだに忘れられません(笑)
そうしてカンボジア行きが確定したのですが、フライトの当日がなんとスターツの送別会の日と被っていたのです。
みんなが自分の退職を惜しんで集まってくれたのに、主役である僕が早退してカンボジアに向かうという衝撃的な行動をとってしまいました。
今でも当時の自分の行動力には驚きます(笑)
前列左:梶山さん/前列右:戸川さん
Q. カンボジアには戸川さんと一緒に行かれたのですか?
はい。カンボジアには戸川さんと一緒に行きました。
到着してすぐに戸川さんたちと飲んで遊んで......。基本的にはくだらない話ばかりしていました笑
しかしそんな中での戸川さんとのふとした会話が僕の人生を変えることになります。
トゥクトゥクで移動中、戸川さんに「挑戦したいことがたくさんある」と思い切って相談したんです。
すると戸川さんに、
「一人でできることには限界がある。どれほど優れた商品やサービスを持っていても、世の中の変化は激しくてすぐに変わってしまうから、大切なことは何をするかより誰とやるかだ。」
と言われました。
(トゥクトゥクのイメージ画像)
戸川さんのこの言葉をきっかけに、「この人についていき、いずれ追い越そう」と心に決めました。
今振り返ると、この時にフリーピースへの入社を決意していたと思います。
この時、フリーピースは「挑戦と成長」ができる環境なのだろうという確信はありましたが、
実はフリーピースが何をしている会社なのかもわかっていませんでした笑
そうしてカンボジアから帰国したらすぐに有給を消化し、ずっと行きたかったバルセロナ旅行を経て、フリーピースに飛び込むことになりました。
前列右:入社初日の梶山さん
出社初日がたまたま社員での写真撮影の日で、
自分がまだ手続き前にもかかわらず役員の真正面にどっかと座っていた写真は社内に語り草として残っています(笑)
泥水を啜るスタートアップで学んだ“稼ぎ=会社の成長”
Q. 実際に入社してみてどうでしたか?
まず驚いたのは 「本当に何もない」 ことでした。
中古PCに壊れかけのコピー機、マニュアルも研修制度もゼロ。元々大企業にいたので、これにはびっくりしました。
でも、そのハードさにむしろ燃えたんです。
なぜなら、自分が売り上げを作ればコピー機が新品になり、椅子が買い替えられ、
何より新しい仲間も雇える──自分の成果がダイレクトに会社の変化につながるのが手触りとしてわかる環境だったからです。
Q. すごい環境ですね……。業務としてはどんなことをしていたのですか?
会社の事業は今と変わらず、
フリーピースでは当時から不動産の売買仲介業者さんから住宅購入を控えていてお金に不安のあるお客様をご紹介いただき、ライフプランを作成し、それを基に保険の提案をしていました。
スターツ時代には、インターフォンを猛プッシュして断られ続ける日々だったので、
フリーピースに入ってお客さまから「話を聞きたい」と言ってくれたことはとても嬉しかったことを覚えています。
入社から4か月ほど経った頃、社員はわずか12〜13人だったのですがお世話になった先輩からは取引先を引き継いでもらえて、さらに後輩も入ってきました。
「ここからが勝負だ」と腹をくくり、「この会社を自分が何とかしよう」という気持ちが一段と強まっていきました。
会社はまだまだサバイバル状態で、自分の入社直後に初めての賞与が皆んなに支給されて、
それで滞納していた住民税を払えた人もいました。いまでは考えられない状態です(笑)
そんな状況だったからこそ、売上と報酬も完全に連動していたので、皆がむしゃらに切磋琢磨していました。負けん気の強かった自分は、当時のトップ営業の役員に勝とうと本気で挑み、ついに追い抜くところまで伸びていきました。
訪問販売時代には考えられなかったほどお客さまも紹介元も喜んでくれて、それがたまらなく嬉しくて、原動力になっていました。
フリーピースの社内勉強会(当時)
“会社の財布=自分の財布”へ
―苦しい時期を乗り越えて得たマインドセット
Q. 役員まではどのようにして昇格されたのですか?
入社して2年目には営業エースとなり、そのままチームリーダーに昇格しました。
中途採用で新たな社員も入社してくれて、組織は3チーム体制に。僕自身は個人プレーヤーからマネージャーへ役割が変わっていきました。
一方で、長年会社を支えてきた当時の先輩たちからは「昇格が早すぎる」とやっかみを買うようになっていきました。
その頃は中途で良い人も悪い人もいろいろな人が入ってきていたタイミングでした。
しかし持ち前の負けん気で嫌われながらも結果を出し続け、
30歳で事業部長、31歳で役員に就任しました。
役員としては財務を管掌したのですが、資金計画を担える人材が皆無だったため、グループ会社の社長に教えを請いながら約2年間奮闘。
しかし結果は振るわず、最終的に33歳で責任を取り一時的に役員を退任しました。
Q. 31歳で役員、しかも財務管掌。どんな苦労がありましたか?
財務管掌役員には、「栄転」というよりは、「誰もやらないならお前がやれ」という指名に近かったです(笑)。
創業6年目で会計制度がほぼゼロ。手数料の入金サイクルも把握できておらず、黒字だと思っていたら赤字に転落しかけることもありました……。
保険の手数料は、契約が決まってすぐに振り込まれるわけではなく、契約が決まるタイミングと実際にお金が振り込まれるタイミングが違うんです。それを適切に管理しないと会社の事業計画も立てられないので、経理の経験も全くなかった私が、予実管理フォーマットをゼロから作りました。
そんな自転車操業だったので、ある時、決算で想定していたより2000万も売り上げが低かったという、ありえないことが起きました。
この時、財務/予実管理の責任者は自分だったので、頭が真っ白になりました――。
(後編に続く)