こんにちは!フリーピース採用チームです!
本記事では、「ベンチャーでは若いうちからキャリアアップできるって本当?」
そんな疑問を抱く就活生に向けて、フリーピースFP事業部新卒入社5年目で正式にマネージャーに抜擢された望月さんにインタビュー。
入社1年目からの怒涛の体験談、血尿が出るほど働いた2年目、転職直前までメンタルが落ちた4年目、そして“教える楽しさ”に目覚めた5年目……リアルな声をインタビュー形式でお届けします!
コロナ禍で始まった基礎固めの1年目
ーまずは入社の経緯と、1年目の業務内容を教えてください。
僕は新卒でフリーピースに入社したんですが、コロナ禍の影響もあって7月スタートになりました。本来であれば4月入社の予定が3か月遅れた形です。そんな状況なので、7~10月までは先輩に同行して、火災保険の更新業務をメインに学ぶ日々でした。
最初の3か月はほぼOJT漬けですね。保険やFPの基礎を先輩の営業現場で吸収していく感じです。10月以降も翌年6月末までは火災保険の更新を担当しながら、基礎を固める時期を過ごしました。
血尿が出るほど働いた2年目
ー2年目からは不動産業者に常駐したとか。そこから“血尿が出るほど”働いたって本当ですか?
はい(笑)。2年目に入って、ある不動産業者さんの担当にしてもらって、そこ週3~4日ほど常駐し、火災保険やライフプラン、生命保険などを提案する形にシフトしました。そこで実質的に“自分の営業”がスタートした感覚ですね。
ただ、とくに12月から2月にかけてがすごく忙しくて。家を買うお客様が年末年始に集中する分、火災保険の契約件数が一気に増えるんです。土日は4件ずつ面談を入れ、平日も1日2件くらいアポを入れたり、木曜は業者訪問、金曜は会議……とスケジュールはぎっしり。結果、月40~50件の面談をこなすことになりました。
当時の僕は「営業だしとにかく頑張りたい!」「成績を出したい!」一心で、プライベートを削ってまで働くことが全然苦じゃなかったんです。ほぼ毎日終電までアポイントに向けて準備をする日々でした。でも体は正直で、ついに血尿が出てしまって。キューピーコーワゴールドアルファプレミアム(長い笑)を飲んでその場その場は耐えていましたが、さすがにキツかったですね。結局、2年目の3月に精神的に折れかけたんですが、先輩のサポートでなんとか立ち直ることができました。
3年目はチーム統括に挑戦
ーそれだけハードに働くと、メンタル面も大変そうですね。3年目はどうでしたか?
先輩や上司のサポートのおかげで、3年目は心身ともに安定した状態で働けました。引き続き営業を続けていたんですが、千葉にある複数の不動産業者を回るチームがあって、そこの“統括”を任されたんです。具体的には、チーム全体の数字をまとめてミーティングで発表したり、業者とのコミュニケーションを調整したり。初めて“リーダーっぽい”役割を担ったのがこの時期でした。
これがすごく良い経験で、ある程度自分の営業スタイルも確立してきたし、チームを動かす面白さも感じ始めた時期です。前の年ほどのハードワークもなく、予算も達成して気持ちよく終われました。
転職を本気で考えた4年目
ーところが4年目には転職を考えたとか。何があったんでしょう?
そうなんですよ。4年目の前半は順調だったんですけど、あるタイミングで仲の良かった不動産業者が2社続けて「自社内でFPを内製化する」と言って、取引が切れちゃったんです。これがメンタルに大きく響きました。
「俺って必要とされてないんじゃないか?」と自信が崩れたところに、仲良かった先輩が何人か辞める時期とも重なって。「もうここにいる価値ないかも」って思い詰めて、実際に転職先の内定まで取りました。
ただ、その話を当時の社長(現在は専務)の小林さんに相談したところ、アツい引き留めの言葉をもらって感極まって泣いてしまったんです。当時の私は「恩返し、恩送りの人生を歩む」というテーマを大事にしていたのですが、専務に「お前にとって恩送りの人生を歩むことが大事なんじゃないのか?お前が抜けたら下の子たちはどうなる?」と言われました。それ以外にもいろいろ話した気がするのですが、忘れてしまいました笑。
それでも辞める覚悟で朝礼に行ったら、たまたま自分の誕生日で、後輩のみんなに「望月さん誕生日おめでとう!」って祝われて、なんだか複雑な心境になってしまって。その時に色々と考えて、自分が辞めたら後輩たちの面倒を見る人がいなくなるなと強く感じたことが決め手で結局残留しました。あのときの決断は今思うと大きかったですね。
5年目で正式マネージャー就任
ー5年目に正式にマネージャーになったそうですが、その経緯と評価ポイントは?
4年目のときに“前コン”というサービス(住宅購入前のお客様へコンサルする仕組み)の研修を受けて、一発合格しました。それを「前コン塾」として後輩に教える機会があったんです。そこで「教え方が上手い」と評価してもらえたことが一つのきっかけでした。
さらに5年目に入って、梶山さん(FP事業部部長)が多忙で対応しきれない部分を自然とフォローしていくうちに、どんどん“マネージャー的”な仕事をするようになりまして。ちょうど中間層が手薄な状態だったんですよね。自然と自分のできることを探してマネージャーっぽく動いていたら、社長の戸川さんから正式にマネージャーに任命していただきました。
評価されたポイントは大きく3つあると感じています。
- 営業成績をコンスタントに出して、数字で信頼されること(3年目に全KPIをクリアしていた)。
- 後輩にわかりやすくロジックを教えられるスキルがあったこと。
- 日頃のコミュニケーションで「この人なら信頼できる」と思われるような関係づくりを意識していたこと。
特に3つ目は大事ですね。僕の場合はご飯を後輩にたくさん奢っていたので、そのおかげで「この人は悪い人じゃないかも」と後輩に思ってもらえていた気がします。笑
マネージャーの苦労
ーマネージャーになってからぶつかった課題はどんなところでしょう?
望月さん:
一番の違いは「営業=お客様」とのコミュニケーションじゃなく、「自分の部下や後輩」とのコミュニケーションがメインになることですね。お客様には“メリット”が明確だから話を聞いてもらえるけど、部下からすれば「上層部の言うことを代弁してるんでしょ」と警戒されることもあったり、近い距離でいつも仕事をしていることもあって、返ってコミュニケーションに難しさがあったりします。
実際、最初は「どうして言うことを聞いてくれないんだろう」って焦りました。しかもある部下から「望月さんの言動が気に入らないです」って言われて口をきいてもらえなくなったり、後輩が作っていたパンフレットを褒めたつもりが嫌味に捉えられたり……(笑)
結果としてわかったのは、本音でぶつかり合って、不満があったら教えてくれとお互いにぶっちゃけることが大切ということ。その上で自分の考えを押し付けないこと。自分の営業スタイルを押し付けても、その人に合っていなければ結果も出ないんですよね。そこはまだ試行錯誤中ですが、少しずつ学んでいます。
後輩の小さな変化が喜び
ーマネージャーとしてのやりがいや、印象的なエピソードを教えてください。
望月さん:
正直、まだ「これだ!」という大きな成功体験はないんです。チーム全体の目標を完璧に達成して万々歳……みたいなシーンは、これから作っていく段階ですね。
それでも最近感じるのは、「後輩がアポを取れるようになった」とか「成績が上がった」という“小さな変化”がめちゃくちゃ嬉しいということ。自分が2000万~3000万円の売り上げを作るより、人を伸ばしてトータルで1億の数字が生まれるなら、そのほうが組織にとっても価値が高いし、自分にとっても充実感があります。
30歳までに「仕上がったマネージャー」を目指す
ー最後に、会社から受けているサポートや今後のキャリアビジョンについて教えてください。
フリーピースでは、マネージャーに昇進する過程ではチャレンジ手当として2万円がもらえたり、学びの機会の費用を会社が出してくれたり、社長や経営層との1on1やランチ面談を設定してくれたりと、サポート体制はかなり整っています。部長会議にも呼ばれて、経営の視点を学べるので、プレイヤー時代とは違う楽しさがあります。
将来のキャリアについては正直、まだ明確なゴールはないんです。ただ、「30歳でしっかり仕上がったマネージャーになりたい」「35歳で年収1500万円を達成したい」みたいな目標は持っています。4~50歳くらいで区切りをつけて、福井大学の恐竜学部とか、早稲田の考古学を学んでみたいっていうユニークな夢もあるんです(笑)。人生100年時代だから、後半の人生は学び直しにチャレンジしてもいいのかなって。
とはいえ、まずはマネージャーとしてチームを成長させるのが最優先。そこにやりがいと責任を感じています。
ー就活生の皆さんにメッセージをお願いします。
マネージャーは大変なことも多いので、中途半端な気持ちでなることはお勧めできません。でも、若い頃から本気でキャリアアップしたいと思うなら、こういう環境もアリなんじゃないかなって思います。20代で本気でキャリアアップしたい、自己成長をしたいという人たちには僕のようにマネージャーを目指すキャリアもオススメです!