現在、フラッグのスタッフは約240名ですが、東京本社以外に名古屋、大阪、広島、松山、沖縄、ロサンゼルスにブランチがあり、規模の割に多いと思われる方もいるかもしれません。今回は、なぜブランチができたのか、増えていったのか、ということをご紹介できればと思い、弊社社長の久保に話を聞いてみました。聞き手は広報チームのタカバシです。
(代表取締役 久保浩章)
─ 東京の次の拠点、ブランチとして最初に開設されたのは名古屋でした。どういう経緯で名古屋オフィスが開設されたんでしょうか?
名古屋に関しては、ポイントがふたつあります。 ひとつめは、東京で働いていたスタッフから「地元・名古屋に帰って働きたい」という話が出てきたこと。で、限られたヒューマンリソースを最大限に活用することを考えた時に、地元に帰りたい、という考えの人はこれからも増えてくるだろうし、フラッグに馴染んだ人とそこで関係性が切れないようにうまく活かす方法はないだろうか、と。
ふたつめは、会社としてのフェイズを変えたいな、ということです。東京の他に拠点を増やすことで、経営の難易度は上がるだろうけど、そこに取り組むことで会社としてのステージを進めたいなと。拠点を増やすとなると、新規で顧客開拓をしたり、ゼロからチームを作ったり大変だろうけど、チャレンジすべきなんだろうと考えていました。
─ スタッフからの相談がなければ、ブランチ開設のタイミングはもっと遅かったかもしれないんですね。
そうですね。なので、逆に良いきっかけをもらったな、と。相談が無かったら名古屋オフィスを作ろうとはならなかったと思います。大阪も同様で、スタッフから「地元に戻って働きたい」という相談があって、立ち上がった拠点です。
─ 実際に初めてのブランチとして、名古屋オフィスを立ち上げるにあたって、苦労したことはありましたか?
チームが完成されているわけではなかったのと、フラッグをその土地に根付かせるのにゼロからがんばっていたので、起業直後のように大変だったけど、面白かったですね。
─ 名古屋の次に立ち上がったのは松山オフィスですね。
(松山に関して、詳しくはこちら👇 note でのインタビューも読んでみてください)
https://note.flag-pictures.co.jp/m/m4eabb6b8857e
松山は僕から小野(松山オフィスのマネージャー)に「やってみる?」って持ちかけました。東名阪などの大都市だけではなく、それよりもコンパクトな街に拠点を作って、それを軌道に乗せることができれば、他の都市でもクリエイティブやプロモーションを生業にしていけるんじゃないだろうか、というある種のチャレンジでした。
─ 松山が軌道に乗ってきて、広島オフィスもできました。
広島は、小野が「松山と海を挟んだ広島の市場を狙いたい」という目標を掲げたんですが、松山からすべてをリモートでやるというわけにもいかないので、広島にオフィスを開設する必要がありました。その時に小野が、広島出身の東京で働いているスタッフに「将来的に帰るつもりはある?」って相談してみたら、トントン拍子に話が進んだと。
名古屋以降は、現地での営業の仕方だったり、他のオフィスとどう連携するか、というノウハウが徐々にできていきました。
─ リモートワーク的な仕事だったり、連携の仕方もみんなに馴染んでいった印象です。
そうですね。ただ、フラッグの場合はニアショアみたいなことではなく、あくまでも地元のクライアントがメインで、地産地消でやってきたとは思っていて。県外への発注ではなく、県内にあるフラッグへの発注だったり、そのフラッグで現地の人が働くことで地元に雇用が発生したり、そんな流れになっていると思います。
─ そう考えると、僕のいる沖縄は特殊ですね。そしてブランチは日本を飛び出して海外へ。アメリカ・ロサンゼルスにも拠点ができました。ロサンゼルスはいかがですか?
2011年に経営統合したムーサ・ドット・コムのオフィスが沖縄にあって、関係性のある土地ではあったので、それを断ち切るのはすごくもったいない、ということで「人」をベースに開設した、というよりは、「関係性」や「縁」があることでできたブランチですね。
会社として海外での事業展開は考えてたんですが、ビザの問題などもあって、誰を責任者にするかが決まらずにいました。ある時、役員陣で話していて「以前いたスタッフにそういう志向を持ったスタッフがいたよね」ってことになって、西堂(フラッグのロサンゼルス支部の公式Noteを更新中)に声をかけたところ、本人もやりたいってことで話が進みました。
─ 初の海外拠点がアメリカ・ロサンゼルスというのは、どういった意図があってのことですか?
まず、アメリカという点でいえば、海外でビジネスをする上で欠かせない国だと思いますし、我々は映画・エンタメビジネスに関わっているので、象徴的な意味合いでもビジネスのネットワークの点でもロサンゼルスがベストだろうと。IT企業だったら、たとえばサンフランシスコ、シリコンバレーだったりするんでしょうね。
─ いろいろなブランチがあるフラッグですが、人の異動というか転勤に関してはかなりフランクな印象で、ほとんど希望が叶えられていますよね。
そうですね。今まででNGだったのは1回だけですね。タカバシさんは東京から沖縄ですよね? 逆に沖縄から大阪や東京の異動もあれば、大阪から東京、東京から松山に移ったスタッフもいますね。
─ 異動したスタッフは異動して以降、ほぼ辞めてないということを考えると、スタッフ的にもありがたいと思います。今後もスタッフからの要望があれば、異動だったり、新ブランチの設立というのは後押ししていく感じでしょうか?
はい。「実家に帰らなければいけない」だったり、「地元で働きたい」という要望があれば前向きに考えられると思いますし、これだけやってきたこともあって、会社としてのノウハウも溜まってきています。リモートワークが随分進んだので、やりやすくなってる点もあって、以前よりも強みが活かせるということもあります。ブランチでの採用は、競合企業が少ないこともあってかうまく行っているので、そういう意味でも「検討しますよ」というよりは、「むしろ前向きに考えられる」と思います。
ただ、いきなり縁も繋がりもない土地に作ります、ってことはないかなと。誰か社内からの声があれば、やってもいいかなと思っています。あと、今後は他社と連携して共同でブランチを展開したり、大学など教育機関とのコラボレーションでキャンパス内オフィスを作ったり、そういうことも無くはないですかね。
─ 最後に… 各ブランチ含め、出張は楽しいですか?
うん、楽しいですね。出張先もそうですが、オフィスを出す街はかなり歩くようにしています。オフィスを出す前も、出した後もめっちゃ歩きます。日本の街並みってそこまで大きく変わらないとはいえ、地図見てるだけだとわからないこと、たとえば、街のテンションやカルチャーを知るようにしています。
そういうのを知っておくことって、その土地でビジネスをやる上で必要だと思っていて。もちろん、現地のスタッフたちはそれを知っているんだと思います。
ただ、経営者としてその土地や文化を理解せずに、東京からマネジメントしようとしても無理だろうな、と。そもそも、従業員とのコミュニケーションにもその理解が必要だと思っています。ただ、コロナ禍で今は行けてないので、これがもう少し落ち着いてきたら各ブランチを回らなきゃな、とは思っています。
ということで、最後は歩くの大好き久保社長(「テクテクライフ」にハマり、約5ヶ月間で東京23区をすべて歩き尽くした)らしいエピソードで〆となりました。この2年でリモートワークは当たり前の働き方になりましたが、今後は「会社」でも「家」でも無い、第3、第4のワークプレイスが当たり前になる日も来るのでしょうか。
フラッグでは毎週 note を更新しています。よろしければぜひご覧ください👇
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