- 中途/労務/バックオフィス
- 副業/メディア/デザイナー
- 社会人向け・オープンポジション
- Other occupations (19)
- Development
- Business
- Other
こんにちは!FinTの広報担当です。
FinTは、「みんなの強みを活かして、日本を世界を前向きに」をパーパスに掲げ、前年比約200%で成長中のマーケティングを強みにしたSNSソリューションカンパニーです。
今回はFinT Vietnamにおけるグローバル事業立ち上げを牽引し、自身も2024年3月からベトナムへ身を置きながら活躍を続ける脇田 雅士(わきた まさし)のインタビューをお届けします。
グローバル事業部で、日本に留まらずベトナムの若年層をターゲットとした企業のSNSマーケティング支援を拡大すべく、顧客開拓やマネジメント、新製品開発など多岐にわたる領域で活躍する脇田。そんな彼に、FinT入社までのストーリーや転職の決め手のほか、入社からグローバル事業部抜擢までの歩みを聞いてみました。
【こんな方におすすめです】
- スタートアップの魅力を知りたい
- 大手企業からの転職のリアルを知りたい
- もっと裁量もって組織や事業に貢献していきたい
- 活躍者のマインドを知りたい
|脇田 雅士(わきた まさし)
1995年鹿児島生まれ。鹿児島国際大学在学中に中国の清華大学に留学し、大学卒業後中国の現地企業、深圳市腾邦价值链股份有限公司に入社し日本企業向けに新規営業を担当する。その後日本に帰国し、株式会社FinTに2021年1月にFinTにジョイン。企業のSNSマーケティング支援の根幹を担うディレクターとしてキャリアをスタートし、3ヶ月でチームリーダー、1年半でマネージャーに就任。プレイングマネージャーとしてチームを牽引し、エンプラ営業も経験。
現在はグローバル事業部(ベトナム)で日系企業を中心に営業・アカウントマネージャーを担当。
ーー前職までの経歴について教えてください。
学生時代から振り返ると、実は大学受験に失敗しており、希望していた東京の大学ではなく地元である鹿児島の私立大学に入学しました。その後、ひょんなことから中国へ1年間留学することになり、それがきっかけで中国企業に就職することになりました。
学生時代に関していうと、当時は正直それほど充実していなかったと思います。高校はいわゆる進学校だったのですが、大学の講義内容が想像以上に基礎レベルで、自己成長を感じる機会が少なかったんです。何かしら変化が欲しくて色々なことに挑戦しており、中国留学もそのうちの1つでした。そこから自然な流れで中国企業を就職先として検討するようになったという流れです。
ーー東京の大学を目指していたということですが、東京での就職は考えなかったのでしょうか?
当時の自分には、「上京して就職する」という選択肢がなかったんです。それは多分、情報が不足しすぎていたことと、当時の自分に”自分で情報を取りに行く力”がなかったから。
そうして周りを見渡してみると、鹿児島では地元の公務員や地銀の銀行員として務めることが、いわゆる王道の「勝ち組ルート」とされていました。でも、安易にそうした道には進みたくないという反発心があり、みんなが入らないような企業に入りたいと思っていたが、鹿児島からでは無理だったので、皆が測れない場所に行き、転職も考えた上で中国の総合商社への就職を決めました。今思えば浅はかに感じます(笑)。
もっと自分で事業を動かす経験をしたい
ーーその後、同企業の営業職として2年8ヶ月のキャリアを積んだ後、FinTに入社されるわけですが、転職を決意したきっかけは?
自分が将来やりたいことから逆算してキャリアを決めようと考えたことが第一歩でした。
鹿児島で生まれ育った自分にとって、やっぱり鹿児島は大好きな場所の1つです。人は親切だし、食べ物はおいしいし、魅力的な観光地もたくさんあります。それなのに、鹿児島の魅力が十分に県外に発信されていないこと、人々に鹿児島に訪れてもらえていない状況にモヤっとした課題を感じていました。中国への留学や就職を経てその気持ちはますます強くなり、「鹿児島を活性化させることをしたい」と思うようになったんです。
そこで、「人を鹿児島に呼び込むためには何ができるだろう?」と考えた先にあったのがマーケティングでした。中でもSNSを選んだのは、自分が楽しいと思えることを仕事にしたいと思ったから。一番手触り感がある仕事だと感じたんです。
特に中国で働いていた期間は、勤めていたのがそこそこ大手企業だったこともあって余裕のある働き方をしていました。9時〜5時の間、ある程度言われたことさえやっていれば定時に退勤できて、就業後には娯楽に時間を費やして…。それを否定するわけではありませんが、個人的には、「何者かになりたくて、そこを起源に日本に帰って鹿児島に還元することをしたいと思って」、このキャリアを歩んだはずなのに、全く成長できていない自分に焦りを感じました。このタイミングで新型コロナウイルスが流行し、家から出られない期間が続き、自分のキャリアを見直す時間ができました。
そこで、「もっと成長したい」「自分で事業を動かしている実感を得たい」と、転職を決意しました。
ーーFinTの第一印象や、数ある企業の中からFinTへの入社を決めた理由を教えてください。
SNSマーケティングの軸で転職活動を行う中で、Wantedlyで知ったのがきっかけです。当時は経営者であるゆいさんを見て、「同い年の社長か、すごいな」と思って興味をもち、選考を受けてみることにしました。選考を通して感じたのは、「みんながブレずに同じ方向を向いていること」。一次面接から最終面接まで、つまり現場のメンバーから経営層まで、みんながブレずに同じビジョンと目標に向かっていることが対話から伝わったんです。逆に言えば、他の企業では面接を重ねるごとにレイヤー間でのビジョンの差が露呈していきました。
そうした背景に加えて、FinTは企業としても若くて勢いがあり、それに加え皆が高い視座で楽しそうに仕事をしており入社を決めました。
事業を伸ばすやりがい、難しさを感じた3年間
ーー入社後はどのようなキャリアパスを歩んできたのでしょうか?
SNSマーケティング事業部(現マーケティングパートナー事業部)のディレクターとして入社し、3ヶ月目にリーダーに昇格。2年目には合計約25名を束ねるチームマネージャーに就任し、その後AC(コンサルタント・法人営業)として異動し、大手企業を担当しました。
現在は、グローバル事業部にてベトナムでの事業立ち上げにあたり、顧客開拓のほか、現地メンバーのマネジメントや製品開発を担っています。具体的には、東南アジアへの進出を既にしている日本企業や、ベトナム国内のローカル企業、今後東南アジアへの進出を検討している日本企業様を対象に、日本で培ってきたSNSマーケティングのノウハウと、現地の人々のインサイトを大事にしたSNSマーケティングを展開しています。2024年3月からは僕自身もベトナムに引っ越し、事業拡大に注力しているところです。
ーー入社3ヶ月目でリーダー、そして2年目にはマネージャーと、すごいスピード感でキャリアアップを遂げています。入社後はどのように仕事に取り組んできたのですか?
入社当初は、早く自己成長の階段を駆け上がりたいという一心でした。質はもちろん、とにかく量をこなしたい、と経験を積むことに邁進していたように思います。
FinTの行動指針にもなっている「GIVE&GIVE」の文化が推奨されており、そこを自分なりに解釈し「みんなの仕事を奪っていく」スタイルで進めていたら、「はみ出している感じがいい」と、社内の評価も受けるようになっていきました。数値的なものではありませんが、そのスタンスがFinT入社後の最初の成果と言えるかもしれないです。
3ヶ月目には、自分が担当するクライアントのアカウントもしっかりと伸ばせるようになって数値的な成果も認めてもらえるようになり、チームリーダー、マネージャーへと階段を上っていきました。
ーープレーヤーとしてだけでなく、マネジメント業務にもまた違った難しさがあったと思います。
正直、めちゃくちゃ苦労しました(笑)。
最初にチームリーダーになったタイミングでは、フィードバックの仕方が上手くなくて、知らず知らずのうちに理詰めしてしまっており、その結果怖い思いをさせてしまっていて…。大学生のインターン生からは、「まささんの下で働きたくない」と目の前で言われた経験もありました。今思えばこの点ではFinTのカルチャーにそぐわない行動をしてしまっていたと反省です。笑
ただ、当時の上長(現COO山下)から「リーダーになったばかりだし、壁にぶつかることは必ずある。成長することが大事だから、同じ失敗をしなければ大丈夫!失敗を次に活かそう」とアドバイスをもらえました。正直落ち込みもしましたが、僕自身のキャリアや会社の最適解を考えたうえでそういった言葉をかけてくれたことが伝わって、なんとか踏ん張ることができましたし、だからこそきちんと自分の課題に向き合おうと思えたんだと思います。
ーーそこからAC(コンサルタント・法人営業)へと職種が大きく変わることになりますが、当時の心境は?
ACになること自体への不安はありませんでした。というのも、それまでディレクターとして広く業務に携わっていた経験から、自分たちが売る商材の大枠を理解していたので。ACの役割や意義、どう仕事を進めていくべきかなど、概要についてはある程度イメージできていたんです。だからこそ、事業を伸ばすことにコミットできるとワクワクした気持ちで業務を進めることができました。
では、なぜACへの異動が決まったかというと、当時総合チームのマネージャーだった時に自分が事業を伸ばすことにコミットできておらず、目標達成できていなかったからです。総勢約25名のチームを見ていたのですが、マネジメント業が忙しすぎて身動きが全く取れなくて、完全に「人」と「事業」のバランスが「人寄り」になっていました。営業も積極的にできておらず、目の前の業務に追われて、リーダーへの権限移譲もできておらず、”守りに徹する”のが精一杯でした。個人的にも自分で売上を立てることにコミットしたかったし、会社としても結果がきちんと出る組織にしなければと考えてくれて、結果として売上を作ることにコミットできるACに異動させてもらうことになりました。
実際ACをやってみて感じたのは、当たり前だけど「営業って難しい」(笑)。
営業に必要な要素を分解すると、「営業力」と「クライアント理解」それから「提案力」の3つに分けられると思います。「営業力」とは、いわゆるコミュニケーション能力とヒアリング力。それからより詳細にヒアリング等を行なうには、より親密な関係値を築く必要があります。そのためには「クライアント理解」を通して、できるだけクライアントさんに「この人と一緒に仕事したらスムーズに行きそう」と感じてもらえるように意識していました。一方の「提案力」は、どれだけ商材やユーザーのインサイトを理解した上でクライアントに寄り添えるかが重要だと思います。ですが、当時僕が担当していたのはコスメ領域のクライアントがほとんど。日常的に使うものではなかったからユーザーのインサイトを取るのが大変だったのを覚えています。
FinTには「ユーザー憑依」という行動指針がありますが、まさに実際に自分で使ってみないとわからないからと、積極的にプロダクトに触れて理解を深めたり、女性メンバーにアンケート・ヒアリングを行い一時情報を取りに行ったり、アットコスメに毎週通ってトレンド傾向を掴むなど、試行錯誤を重ねていました。おかげで美容コスメにはだいぶ詳しくなりました(笑)
ーーマネジメントを経験して学んだことは?
ポジティブな側面を言語化して伝えることの重要性でしょうか。
僕自身が、褒められることよりもフィードバックを求めるタイプなのと、これまで部活動などでメンバーをまとめる立場につくことが多かったのですが、その指導スタイルとしても「背中を見せる」ことでメンバーを引っ張ることを意識していたので、きちんと言葉で説明することをやってきていなかったんだと振り返ることができました。
そういった意味で、失敗から気付かされることはたくさんあったと思います。
会社を作ってきた自負があるから、活躍できる自信に
ーー直近はグローバル事業部に抜擢され、2024年3月にベトナムへと移住されました。抜擢時の率直な感想は?
FinTでグローバル事業部立ち上げの話が出た時から興味はありました。
また、こうきさん(弊社 FinT Vietnam代表 北川)がどんどんと組織を作り広げていっている様子をSlackでの会話や締め会(月次で行われる全社会)で見ていて、そこに自分も加わりたいとも思っていました。実際にグローバル事業部異動の話がきた時、「自分なら活躍できる」という自信がありました。
それは、自分の経験を振り返って「会社を作り上げてきたメンバーの1人であるという自負があったから」です。「海外事業部の立ち上げ」という、幅広いスキルが求められるタイミングだからこそ、ある種のカオスを潜り抜けてきた自分の経験をベトナムで還元できるーーそう確信しました。これまでの積み重ねの結果、ベトナムでの挑戦に踏み切れたのだと思います。実際の業務内容としては、これまでの延長線ではありつつも、さらにやることが増えたイメージ。創業期でもあるのでやらなければいけないことがたくさんあります。メインは日系企業向けの営業を進めていますが、それだけでなく現地メンバーのマネジメントや、新規プロジェクトを動かすための製品開発にも取り組んでいます。
その意味では、これまでの経験が活きる領域と、新しく挑戦できる領域の両方がある、チャレンジングな環境です。
ーー今回の抜擢を含めて、圧倒的なスピードでキャリアアップを実現してこれたご自身の「強み」は何だと思いますか?
「やりきる」こと。僕はそれに尽きると思います。地頭が良いわけでも、FinTで活躍している他メンバーみたいにセンスが高いわけでもありません。だからこそ、結果が出るまで愚直に努力し続けてきました。
その積み重ねがあるから、「脇田に任せたら不器用なりにやってくれるよね」という認知を社内で確立できていると思います。
目指す将来のために、選んだ道を正解にする
ーー脇田さんがこれほどまでに邁進できる理由とは? モチベーションの源泉は?
1つは、自分が将来目指す姿が明確にあるから。SNSマーケティングを突き詰めることが、「鹿児島を盛り上げる」という目標につながっていることを、常に自分で感じられているからブレずにやってこれているのだと思います。もう1つは、ディレクター時代にいちメンバーとして結果を出した時と、マネージャーとして結果を出した時に見えた景色が全く異なるものだとわかったからです。昔の自分は、人材育成に関してはむしろ後回しにしてきたタイプでした。でも、壁にぶつかり、周りのサポートを得て成長してきたからこそ、その観点を持つ重要性や楽しさを知ることができたと思っています。
FinTは頑張れば頑張るほど任せてもらえる文化が根付いており、その環境が整っています。もちろん勝手に成長するわけでは無いので個人の努力は必要ですが、頑張った先にある新しい景色を見られることがシンプルに楽しいというのは、1つのモチベーションになっていると思います。
ーー今後の目標やキャリアビジョンを教えてください。
目標に関しては、個人・FinT・グローバル事業部という3つの軸があります。
個人としては、先程も話に出たこうきさんがゆくゆくは東南アジア全体を統括することになると思うので、彼の下で各地域の営業部隊を横軸で統括できるよう、組織マネジメントとグローバルにおける営業力をさらに研鑽したいと思っています。それに紐づく形で、通過点の1つとして中長期的にFinTが掲げる「上場」という目標に対して、最も効果的な形でコミットし、事業を伸ばしていきたいですね。
グローバル事業部に関して言うと、東南アジアに拠点をどんどん作っていくこともありますが、手前のところではベトナムのメンバーが楽しみにしてくれている日本への「カンパニートリップ(社員旅行)」に向けて、きちんと現地の売上目標を達成させること。そのために、今目の前にある仕事を頑張らないといけないなと思います。そのために、いかにFinTの強みや、FinTが培ってきたナレッジ、ノウハウを言語化して、グローバル事業に繋げていくかを追求したい。「強み・成功・失敗要因の言語化→営業→丁寧な施策実行」の精度を上げ、FinTのグローバル展開にコミットしていきたい、ということを考える毎日です。
ーー最後に、「成長を感じられない」「キャリアの行き詰まりを感じる」と悩む候補者にアドバイスをお願いします。
正直、選んだ先のキャリアが自分に合うか合わないかは、やってみないとわかりません。
僕自身も「鹿児島を盛り上げたい」という気持ちでSNSマーケティングの世界に飛び込みましたが、最初はその決断が正解かどうかなんてわかりませんでした。僕の場合は、入ってから繋がった部分が明確に見えてきましたが、結局は飛び込んでやってみたからこそ答え合わせができたのだと思います。ただやみくもに飛び込むのではなく、まず自分でキャリアパスを考え、やるべきことを整理して、「将来につながりそう」と仮説を立てることが重要です。その時の答えが間違っていたっていい。あとから軌道修正はいくらでもできます。でも、答え合わせは行動を起こしてからでないとできません。
もし、皆さんが今後のキャリアを考えた先にFinTがあるのなら、ここには挑戦を歓迎する人と文化が整っています。興味を持っていただけたなら、ぜひ一度メンバーと話をしてみてください!
ーーありがとうございました!