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創業者インタビュー:挫折したアルペンスキーヤーが不動産テック創業に至るまで

東京と札幌の2つの拠点で事業を展開するEZO CONSULTING GROUP株式会社(以下EZO)の採用担当三上早紀です。弊社は、会社経営者の方、事業法人の不動産部門向けに不動産投資コンサルティングと物上げ・仕入業務を自動化する手書きDMサービス『反響革命』を柱にしている不動産テック企業です。

今回は、そんな会社を創業した田中の人柄から創業に至った経緯、そしてこれからのビジョンを紐解くべくインタビューを実施。前後編に分けてお届けします!

代表取締役CEO 最高経営責任者 田中 雄土

1988年北海道生まれ。2010年早稲田大学卒業後、アルペンスキー選手として活動。第89回全日本スキー選手権 回転競技3位等の成績を収め引退。2012年大手不動産会社に入社し、事業用・収益用不動産の売買仲介業務に従事。全国優秀賞を受賞。2015年5月当社創業。不動産業に対する業務支援サービスに疑問を感じ、不動産業者に取って本当に必要なサービスを提供すべく『反響革命』をローンチ。

オリンピックを目指し、人生をかけてきたアルペンスキー選手時代

――まずは自身の経歴など自己紹介的なことから教えてください。

大学卒業後はアルペンスキー選手として活動し、引退後、大手不動産会社に入社しました。不動産会社で働いていた頃に業界の課題を感じるようになり、2015年に創業して今に至ります。

僕は物心ついた時からずっとスキーをしていて、幼少期の頃からアルペンスキーの競技でオリンピックに出場し、金メダルを取りたいという夢をずっと持っていました。大学に行ってからもただがむしゃらにスキーに取り組んでいて、卒業式とか成人式とかにも出ずに練習に明け暮れました。それくらいスキーに打ち込んでいたんです。

いろいろありましたが最終的にはオセアニアカップ8位、全日本スキー選手権で3位という成績を残せたものの、オリンピックは夢のまた夢って感じで届かなかったんですよね。

――日本3位でも十分すごいと思います……!スキーはいつまで続けたのでしょうか。

2011年までですね。東日本大震災の影響でスポンサーが離れてしまいました。それでも、一からスポンサーを探しつつスキーを続けたのですが、とてもじゃないが次のオリンピックは目指せる状態じゃなくて。それでその次となると8年後です。「今から8年後の舞台で金メダルは現実的じゃない……」と思い、かなり悩みましたが引退することにしました。

――それは大きな決断でしたね。それまでの人生を賭けて頑張ってきたスキーを止めた後はどうしたのですか。

引退してからしばらくは本当に絶望を感じていて、雪を見ると切なくなってしまうほど辛かったです。練習の成果が出ていなかったこと、そのことをきちんと分析できていなかったことなど、後から考えたら後悔することだらけで、何も手につかなくなってしまって。

でも自暴自棄になりながらも、実家に引きこもって何もしないわけにはいかないのでとりあえず働くことにしました。実家が建設関係だったので、まずは実家の仕事を手伝うことから始めたんです。でもメンタルがボロボロだったので全然続かなくて、3ヵ月もしないうちに辞めちゃって(笑)。その後は、工事現場とパチンコ屋のアルバイトを掛け持ちして、何とか生活してたって感じです。

挫折から這い上がり、入社2年目で大手不動産会社のトップセールスに

――それからどうして不動産業界で働くことになったのでしょうか。

スキーのヨーロッパ遠征に行った際、ヨーロッパの街並みがとにかく綺麗だったので、漠然とですが不動産関係の仕事に興味があったんですよね。そういう思いがあったので、就職するなら不動産会社だと思いました。いつまでもアルバイトの掛け持ちをしているわけにもいかないので、真面目に就職活動して大手不動産会社に入社しました。

実際に入社して体感しましたが、恐らく業界を知らない人がイメージするような“ザ・不動産”みたいな職場でしたよ……(笑)。でもスキーのときのような挫折や後悔は二度としたくなかったので、厳しい環境でもがむしゃらに働きました。そのおかげもあってか、2年くらいでトップセールスになれましたね。

――大手企業のなかで2年でトップセールスはすごいですね。その秘訣は何だったのでしょうか。

シンプルに圧倒的に行動したことだと思います。もちろん考えなしにではなく、きちんと自分のなかで戦略を立てたうえでです。月に2万枚チラシを配ったり、月に100通の手紙を書いたり。自分で自分の行動を振り返ったときに、「あのときはもっとできたはず」「なぜやりきらなかったのか」という後悔はしたくないと強く思っていたので、その気持ちが自分を奮い立たせてくれました。

――会社員時代を振り返って、当時、もっとも印象的なエピソードがあれば聞かせてください。

特にこれがというよりも、“ザ・不動産”な環境やそこにいる人たちと働いたこと自体が、自分にとってとても印象的です。実際に不動産業界で働いてよかったこともたくさんありますが、正直なところそれ以上に課題だと感じることが多かったですね。でもそのときに感じたことが、今の会社を創ることにつながっているので、今となっては会社員として死ぬ気で働いたのはいい思い出です。

スキーで金メダルは取れなかった。だがビジネスで金メダル級の成功を収めると決意し起業

――改めて、なぜ起業をしようと思ったのか聞かせてください。

実は学生のときから、漠然とですがいつかは会社を経営したいと考えていたんです。なので、大学の講義は全然出ないのに、ビジネス系やベンチャー創業に関する内容の講座は受けていましたね。それと、ソフトバンク孫正義さんの著書『志高く』と出合うことも大きいです。

大学は推薦で入学したのですが、論文を書かないといけないこともあってかなり読書をするようになりました。たくさんの本を読むなかで『志高く』という本と出会い、胸が高鳴るような熱い気持ちになったんですよ。はじめて読んだときは、「世の中にはすごい人がいるな」ってくらいにしか思えなかったのですが、何度か読み返していくうちにどんどん気持ちが熱くなって。

スキーでは金メダルは取れなかったけれど、ビジネスでは絶対金メダル級の成功を収めてやる。そう決意して起業することにしました。

――今、実際に起業したことをどのように感じていますか。

もちろん、してよかったです。起業してすぐ600万円あった会社の口座残高があっという間に29,000円になったり、役員の横領、支社丸ごと引き抜かれたりと決して楽ではなかったですが(笑)。良いことも悪いことも含め、会社を経営しているとスキーをしていたときのような高揚感というか、アドレナリンが出ているような感覚を味わえるんですよね。こういう感覚が得られている今の環境は、自分にとってとても大事な場所だと思っていますよ。

▼後編へ続く

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