岡田 尚樹さん【1997年生まれ】
2023年1月にカンボジアに渡航し、Dynamoのメンバーに加わった岡田さんは、新卒入社でプログラミングの仕事を経験し、次の就職先として弊社を選択し入社しました。学生時代は文系でPCに触れる機会も少なかった岡田さんが、どのようにしてITエンジニアになったのか、その経緯について話していただきました。
私の学生時代
生まれは滋賀県で、小さい頃からずっとサッカーが好きで高校まで続けました。サッカー以外だと、塾に行って受験勉強をして、なるべくいい高校、大学と目指していて、自分でもいわゆるレールというか、それが普通だと思って過ごしてきました。大学は京都にある文系の経済学部で、でも大学生の頃はあまり勉強はしなかったです。文系ということもあり、新卒で就職をするまで、PCの利用はwordで文章作る程度でした。ゲームは家庭の方針であまりさせてもらえなかったですし、機械に興味があるとかもなくて、数学も苦手で、エンジニアのバックグラウンドは全くなかったです。
英語が必要だと思った時
それは大学生の時に、初めての海外でヨーロッパへ一人旅に行った時でした。出先で飛行機に乗り遅れて、その時に英語が全然できなくて意思の疎通も全くできず、結局余計に料金を払わされて新しい航空券を買い、すごく悔しい思いをしました。それで3回生の時に1年間休学し語学留学に行ったんです。アメリカのシアトルとサンティエゴの2か所、そこでは1日2時間ぐらい英語の勉強があるぐらいでしたが、外国人とコミュニケーションを取ることはスムーズにできるようになったのが大きな進歩だと思います。
就職活動
留学から帰ってからは、すでに4回生で就職活動の時期になっていました。私は文系ですので、募集は営業職が圧倒的に多くて、でも自分は営業職には就きたくなかった。ちょうどその時にシリコンバレーのドラマを見て、かっこいいなと刺激されて(笑)。すごく若い子がいいアイデアを思いついて、仲間を連れて起業して成り上げっていくという内容で、そのドラマにすっかり惹きつけられてしまい、それで未経験でも受け入れてもらえるプログラミングのスキルを習得できる企業を探し始めました。
未経験でIT企業に新卒入社
就職が決定したのは、大阪にある60人ぐらいの規模のSESのIT企業でした。始めの3か月は研修に行かせてもらい、その後いろいろな案件に参加させていただき、ある程度のプログラミングのスキルは身につけられたと思います。それと同時に、IT業界の仕組みといいますか、IT業界は多重下請けの構造だということや、仕事もハードでなかなか休めないとか、そのようなIT業界ならではの事情を、社会人1年目で目の当たりにすることも多くありました。実際に離職率も高く、私も大変なことや楽しいこと、様々な経験をして2年で辞めました。
転職活動を始め、そしてDynamoにエントリー
25歳で辞めてどうしようかと、半年くらい実家でニートしていましたが、あるきっかけで働こうと仕事を探し始めました。前職のプログラミングが楽しくて、またこういう仕事がしたいなと考えていたので、始めは日本の企業を探していて、探していく中でたまたまDynamoの求人を見つけました。海外に行くつもりはなかったんですが、前に語学留学に行っていた経験もありましたし、20代で独身、考えてみたら失うものはないと、急にDynamoが選択肢の中に入ってきました。興味を持ったのは、カンボジアで?海外で働くって??どんなだろうと。ストーリーにあるDynamoのCEO吉田さんとかエンジニアの長谷川さんのインタビューなどを読んでいくうちに、海外で働くということにとても親近感を感じました。前職での2年程度の私のITスキルでは、まだまだと感じていましたし、次の就職先でも一生懸命勉強するのは確定していたので、吉田さんのような人の下で働き、たくさん学び、確実にITエンジニアとして成長できる場を求めました。そうすることで良い20代を過ごせると思いました。
Dymanoにエントリーしてからは、面接、課題へと進みました。課題は正直難しかったです。レベル的にこの位はできないと、というベーシックな課題だとは思いますが、私には難しかったです。無知でしたが、取り組んでいくうちに課題も面白くなってきて、やってみて為になりました。それと課題も英語なので、そうか英語なんだと面食らいましたね。
今の心境
こうしてDymanoへの就職が決まり、今カンボジアで仕事をしていて、ここは海外ですし毎日が驚きの連続で様々なことに直面します。実はここに来る前は、僕の周りの友人は海外で働いている人はいないので、意味わからないと本当にびっくりされました。母にも最後まで反対されましたが、ここに来て日々頑張ってやっているので、そのうち家族にもカンボジアに遊びに来てもらいたいと思っています。
(2023年3月インタビュー)