仕事をしていて「夢が叶った!」と言える人はどれほどいるのでしょう。はるばる台湾から憧れの国・日本にやってきて、サイバードに入社した郭 庭妤。彼女はどんな夢を持ち、どうやってその夢を叶えて来たのか。「夢は自分でつくるもの」という彼女がDreams Come Trueのストーリーを振り返ります。
日本に恋に落ちた幼少期
郭 庭妤(カク ティンユ)は台湾の台北で生まれました。様々な言語を話す人が周りに多くいる環境で生まれ育ち、いろいろな言語が話せるとかっこいいなと、幼心に思うようになります。
中学生のころには語学に対する興味が大きくなり、日本語や英語を学びはじめます。そして、日本にもなんとなく興味を持ちはじめた中学2年生の時に、運命的な出会いが訪れました。MTV(エムティービー: ミュージックテレビジョン)を家で観ていた時に、滝沢 秀明さん(ジャニーズ事務所)を目にしたのです。
郭 「タッキーに一目惚れ。一瞬で恋に落ちました(笑)。当時は日本語がわからなかったのですが、タッキーを見るために、YouTubeを観まくり、日本の雑誌を読み漁りました。そこで、もっとタッキーのことを知りたくて、日本語の勉強をはじめたんです」
日本語は独学で学びました。分からないながらに、YouTubeを聞いて耳を慣らしたり、中学校の授業中にテーブルの下で日本語の五十音を見ながら覚えたりといった試行錯誤を2年間ほど続けます。今思えば、これが夢を叶えるための第一歩でした。
その成果もあり、中学校を卒業するころには五十音が読めるようになり、高校1年生の時には、平仮名とカタカナをマスターしました。その後も日本への憧れは止むことがなく、日本へ留学をしたいと強く望むようになります。
郭 「日本に留学するためには、とにかく日本語をマスターしなくてはいけないと思い、日本語能力試験に向けて真面目に勉強をはじめたんです。同じクラスにジャニーズ好きな子がいたので、彼女と日本の話をする時は、教室の中でも日本語で話していました。周りからは奇異な目で見られていましたよ(笑)」
高校2年生の時、首を横に振る両親を懸命に説き伏せて、初来日を実現させました。憧れていた日本の地を踏んで思ったのは、「自分はやはり日本が好きだ」ということでした。
郭 「初めて日本に降り立った時には、タッキーと同じ土を踏んでいることに、心が震えました(笑)。日本では、京都や奈良の神社仏閣を見に行きました。テレビや雑誌で観ていたものを初めて自分の目で見た感動は、今も忘れられません」
高校3年生になって、再度、日本へ行くチャンスが巡ってきます。日本政府が主催する台湾の学生を日本の生徒と交流させるプログラムに学校から推薦されたのです。60名の枠に対して300名の応募がありましたが、難関を突破し、再び日本へ来ることになりました。
この2回の日本訪問を通じて触れてきた人や環境が、日本に住みたいという気持ちをさらに大きくさせました。ちょうど進路を考える時期で、日本に行くためにはどうすれば良いか、具体的に考えはじめました。“日本に住む”という夢が、郭の中にセットされたのです。
憧れを実現するために日本へ。そして、サイバードに出会う
▲ ワーキングホリデーで日本に来た当時
その後、郭は台湾の大学の観光学科に進学し、卒業後には台湾で日本企業に就職。営業アシスタントとして1年半勤めました。大学に通う4年間のうちに、日本に住みたいと両親を説得し、費用も自分自身で貯めました。
そして2014年、ワーキングホリデーで日本に来ます。日本に住み続けるためには就職することが必要と考え、人材エージェントに登録をして就職活動を開始。そのエージェントの紹介で、サイバードと出会うことになったのです。
郭は就活時、アパレルや不動産、ゲーム会社など様々な会社の紹介を受けました。その中でサイバードの「Happyな瞬間を創り出す」という企業ミッションや、面接官の雰囲気などが自分に一番合っていると感じ、サイバードへ入社したいという想いを強めたといいます。しかし、他社からは内定が出はじめても、サイバードは梨のつぶてでした。
そこで、人材エージェントに相談をし、“感謝状”を書いてみることにしたのです。
郭 「面接をしてくれた方へのお礼と、サイバードに入りたいっていうアピールをしました。猛アピールしすぎたので、今思えばちょっとうさんくさかったかもしれません(笑)」
その熱意が通じ、2次面接で内定が出て、入社が決定。入社後初めての仕事は、海外向けゲームのプランナーで、日本で配信しているゲームを、海外に展開していく仕事でした。
郭 「仕事をはじめて、日本語と中国語以外、何も分からないと思いました。自分の無力さを痛感したんです。語学ができる=仕事ができるではないんだって思いましたね」
そうした中でも、郭は「貪欲にいろいろなことを吸収しよう」と決意。何をするべきかを自分から常に聞きに行く姿勢を忘れませんでした。配属されたチームはまだ立ち上がったばかりのチームでした。ルールが整備されていない中で、「自分たちでつくりあげていこう」と、がむしゃらに仕事に向き合っていったのです。
そして入社から3カ月がたったころ、転機が訪れました。郭の声を受けて、チーム編成が変わることになったのです。
郭 「サイバードのゲーム事業は、日本国内向けの日本チーム、海外向けの海外チームとわかれています。
私は海外チームに所属していましたが、海外に展開するゲームは、日本で配信されているものをベースに進めていくため、海外チームと日本チームとの連携が大切だったんです。
しかし、私が担当していた海外チームは、日本チームとのつながりがなく、スムーズに仕事が進められないと感じていました。そこで、『海外チームと日本チームが連携して仕事ができる体制を作って欲しい』と、当時の上司に相談をしたんです。
チーム編成が変わったことで、仕事を進めやすくなりました。要望を言えば現状を変えられる。そんな風通しの良さを実感し、サイバードに入社して正解だと思いましたね」
その後、プランナーだけではなく、現場をまとめ上げるディレクターもやって欲しいと、上司から青天の霹靂で頼まれました。
郭 「状況が目まぐるしく変わるので自分も進化しないといけないと思いました。日本に住み続けるために、必死で頑張りました」
憧れ続けた日本での会社生活でしたが、環境の違いやちょっとした言葉のニュアンスなど、大変なことは多くありました。しかし、満足感や達成感を自ら生み出しながら、仕事をやり続けられました。それは周りの人たちが、支えてきてくれたからです。
郭 「上司は忙しい中、自分のことをきちんと見てくれていて、うまくいった時には褒めてくれました。上手くいかなかった時には、どうすれば良いかを一緒に考えてくれて。決して楽ではありませんでしたが、この会社、このチームを信じて良いって思えたんです」
「夢が叶った!」めまぐるしい変化を駆け抜けたサイバードの毎日
そして、入社から半年で契約社員から正社員となり、日本チームに加わることになります。
郭 「入社以来、日本チームに絶対入りたいと思っていました。ただ、実際に入ってみたら、ものすごく戸惑いました。海外チームはすでにあるものを海外向けにアレンジするものでしたが、日本チームはサービスの世界観や骨組みからつくっていきます。
仕様書をつくるのも、施策を考えるのもゼロからやらなくてはいけない。またいちから学んでいきました。そうした中で、上司も国籍関係なく、“自分”に任せてくれているんだと感じることも多くあって。その期待を裏切らないように、頑張りました」
その後も環境は目まぐるしく変わることとなります。新規ゲームの立ち上げチームに異動となるのです。
郭 「初めてまったくのゼロからのサービス化に携わったので、難しいことばかりでした。初めて外部の会社と一緒にプロジェクトをやっていくことも経験できました。誰もが知る大きな会社と一緒に仕事をすることも。1年間のそのチームでの経験は、自分にとって大きな財産です」
そして2018年現在は、サイバードの人気シリーズの日本チームでディレクターを務めています。上司や周りの人には常に、「日本チームでディレクターをやりたい」と話してきました。それを聞いた上司は、どんなスキルや考え方を身につけるべきか、郭に対してアドバイスをしてくれました。
周囲への“発信”を大切にして夢を現実にした郭は、こう言います。
郭 「言わないと望みは叶わないんですよ(笑)。でも、言えば周りも協力してくれるんです」
20名ほどを率いるチームのディレクターとなり、大きな売上をつくり出せるタイトルに関われることは、やりがいにもつながっています。一方で、その責任も今まで以上に重くなりました。
郭 「人気タイトルをどんどんつくらないといけないと思っています。チームみんなのやりがいにもつながりますし。そのためには自分がそういう環境をつくっていかないといけないと思っています。
また、みんなが働きやすい環境をつくるには、関係性を築き、信頼関係を持てることがとても大切だと考えています。そのために、仕事の話だけでなく、些細な話でも良いので、毎日メンバーには声を掛けるようにしています」
もうひとつ、郭が大切にしていることは、誠実であること。自分が間違っていた時には、上司部下の関係や、チームが違うことなど関係なく、素直に謝ることです。
郭 「今まで自分を育ててくれてきた上司は、上手く行った時には褒めてくれたし、私が何か間違っている時にはしかってくれました。
そして、上司が間違っていた時は、ちゃんと謝ってくれました。だから、上司を信頼して楽しく仕事ができました。私もそういうリーダーになっていきたいと思うんです。
一緒に働くみんなが楽しめる環境をつくっていきたいです。みんなが幸せであって欲しい。自分たちが笑ってサービスをつくっていないとお客さまも笑ってくれないです。自分がHappyでないとダメなんですよ」
伝えることで、夢は叶う
幼少期に漠然と日本への憧れを抱いてから、日本に住み、仕事をする今、郭の夢は叶いました。
郭 「夢は自分でつくるものです。大きな夢がなくても、こつこつ一つひとつクリアしていけば、その積み重ねで夢は叶います。
粘り強くがむしゃらにやっていけば、あきらめずにやっていけば夢が叶う日は近い、必ず叶う。日本に来てそう思ったし、この会社に来てもそう思いました」
しかし、夢はひとりで叶えられるものではありません。仲間が必要です。周りに甘えること、頼ることも大事です。周りを巻き込んで支えてもらい、自分も誰かの夢を支える。仲間を大事にし、お互いが支えあって、仕事もプライベートもみんなでゴールをクリアしていくものだと、郭は考えています。
郭 「だからこそ、みんなにはもっと自分の意見やアイデアを言ってほしいです。わたしも周りに夢を伝えて叶えてきました。自分から取りにいく力、発信する力をもっと発揮してほしいです。サイバードは、きちんと意見を聴いてくれる会社ですから。
また、サイバードは部署ごとに文化が違う点もおもしろいと思います。部署が変わることで、たくさん新しいことを勉強できます。わたし自身もまだ社内で知らないことが多く、社内で十分刺激を受けていける環境がありますね」
自分の夢を決めて、夢への道筋を決めよう。自分の目標が決まったら、後は有言実行するのみ。周りの人に伝えることで協力してもらえる。目標を決めて行動すれば自然と現実が動きだす。一度決めたことは諦めないで行動し続けるのみ。それを実践してきた郭の次なる夢は何なのでしょうか。
郭 「お客様が楽しめるものづくりをしたいですし、どうやったら笑顔になってくださるのかを考えて動きたい。そのために、プロジェクトマネジメント力をもっと伸ばしたいですし、自分のつくった新規サービスを海外にも展開したいです。台湾と日本の架け橋になれたらいいなと思います。外国人の自分でも日本向けのサービスをつくれるんだよと、日本で働きたい外国人にも夢を持たせてあげたい。
今担当しているゲームの舞台化も、もっとレベルアップした舞台にして、より多くの方に楽しんでいただきたいです。ゲーム以外のこともやりたい。こうやって話してみると、やりたいことはいっぱいありますね(笑)。
また、遠い先のことになりそうですが、プロデューサーになって、いつかビジネスの場で引退したタッキーと会いたいなと思っています(笑)。それが、最近できた私の夢です」
郭はこれからも、夢の実現に向けて一歩ずつ進んでいきます。