茨城・日立発、ものづくりプロジェクト【hikiZAN】
【hikiZAN】は、茨城県日立市に50年以上続く今橋製作所の若手によるD2Cビジネスプロジェクト。切削加工技術を活かし、金属のロマンを追求したオリジナルチタン製品を生み出します。
https://www.hikizan-titan.jp/project/
この記事はnoteに掲載したものを転載しています。Wantedlyでは“TRUNKで働くことに関心がある方へ”の観点で紹介しています。
ものづくり企業の驚きの挑戦!
……なんてタイトル、普段なら「また大げさな」って思いそうですが、今回は違います。
本当に、驚きの連続だったんです(色んな意味で)。
hikiZANのチタン酒器
茨城の町工場から生まれたあるプロダクトが、今、世界に向かって羽ばたこうとしています。
その名も──
「hikiZAN(ひきざん)」
読み間違い注意のこの名前。
長い年月をかけて地球が生んだ金属「チタン」を使って、極上の日本酒に浸るための“酒器”をつくったのです。
しかも開発したのは、若手社員を中心に結成されたチーム。
マーケティング知識ゼロからのスタートで、手探りで挑んでいく姿には、思わず胸が熱くなります。
前回紹介した森島酒造さんのブランディングが一区切りついた頃、
私たちTRUNKにとっても、ちょっとした“変化”が起き始めていました。
あの森嶋プロジェクトを通じて、私たちは確信したのです。
「歴史や想いを聞くことから始めて、コンセプトを一緒に設計して、それをデザインとして形にしていく」──
これこそが、私たちのやるべき仕事だ、と。
それまでも必死でやっていた「クライアントの話を聞く」という行為、
森嶋さんのプロジェクトを経て更に意味のある仕事に昇華されたような感覚がありました。
こうして生まれたのが、私たちのブランディング支援サービス「BANSO」です。
意味はそのまま「伴走」。クライアントと同じ景色を見て、同じスピードで走り続ける。
それが、TRUNKのやり方だという自覚が芽生えたのです。
SERVICE | TRUNKが提供するサービスTRUNK(トランク)の課題解決型ブランディングプロジェクトBANSO、Webプロジェクト、ネガティブケイパビリティサービtrunk-inc.jp
そして、その「BANSO」が初めて本格稼働することになったのが──
そう、今回のお話、今橋製作所さんとのプロジェクトでした。
ご紹介します、今回の主役──今橋製作所さん。
1964年(昭和39年)創業。
新幹線やロケットの部品など、金属加工の世界でかなりスゴいものをつくってきた町工場です。
場所は、茨城県日立市。そう、森島酒造さんと同じく“日立の星”です。
しかもその技術力は国内にとどまらず、最近では海外からの発注も増えているという、静かに熱い会社。
そんな今橋製作所さんが「これまでの技術を使って、若者が輝けるようなステージを提供したい」と、若手社員の所さんを中心としたプロジェクトチームを作られたのです。
……この時点で、もういい話の匂いしかしません。
中心メンバーとなったのは、若手社員の所(ところ)さん。
この所さん、後にhikiZANプロジェクトのリーダーとして覚醒していく存在なのですが、このときはまだ、「町工場の若手」という肩書きだけで、新しい道を切り拓こうとしていました。
今橋製作所 hikiZANチームのみなさん。左から2番目が今橋社長、3番目がチームリーダー所さん
まず、彼らの発想がすごい。
「うちの切削技術で、BtoC商品を作れないだろうか?」
BtoB企業がBtoCへ進出しようとする。
これ、言うのは簡単ですが、やるのはめちゃくちゃ大変です。
でも、今橋製作所は本気でした。
そして彼らが「協力を仰ぐなら、やっぱりあの方でしょ」と白羽の矢を立てたのが──
我らが森島酒造さん。
日立の町工場と、日立の酒蔵。
ふたつの伝統と技術が出会ったとき、ひとつのアイデアが生まれます。
「森嶋のお酒に似合う、最高の酒器をつくろう」
こうして、誰も見たことのないBtoCプロダクト開発プロジェクトが、静かに、でも確かにスタートを切ったのでした。
2021年10月。
TRUNKにいらっしゃったのは、今橋社長と若手チームのリーダー・所(ところ)さん。
このとき、まだ所さんは少し緊張気味で、社長の隣にすっと控えめに座っていたのを覚えています。
「若い人がどんどん挑戦できる環境をつくりたいんです」
「今橋製作所の名前を広げて、日立の製造業を元気にしたいんです」
今橋社長の言葉には、情熱というより“本気”がありました。
そして一緒にいた所さんは、
「茨城発のハイブランドをつくりたい」
「技術だけじゃなくて、ストーリーのあるものづくりがしたい」
と話してくれる。
……もう、うれしすぎて震えました。
「これこれ! これですよ!」と、心の中で叫びながら、私はうなずいていました。
こういう瞬間のために、BANSOをつくったんだよな、って思いました。
デザインから入るんじゃなくて、“まずは話を聞く”。
そして、一緒にコンセプトを設計して、ブランドを組み上げていく。
それが、TRUNKの“伴走”スタイル。
だから提案しました。
「そういう想いがあるなら、ぴったりのサービスがあります。
『BANSO』という名前で、ブランドの根っこから一緒につくっていくプロセスです」
今橋社長は頷いて、こう言ってくれました。
「お願いします。ちゃんと根っこから、一緒につくっていきたい」
この瞬間から、“hikiZAN”という物語は、本格的に動き始めたのです。
そうと決まれば、まずはトップヒアリングとワークショップです。
いきなり“デザイン案ご提案します!”じゃありません。
「現在抱える課題」と、それを解消するには「どんなターゲット」に「どう変化してもらいたいのか」。
「その結果、会社にとってどんな効果がもたらされることが理想か」を、今橋社長と若手社員さんから、丁寧にすくい上げていきました。
などを、ワークショップで出し合っていただき、それらを元に、ブランドコンセプトをまとめていったのです。
そして最終的に、今橋製作所の「他がやらないことに挑戦する」姿勢と、チタンという硬い金属に切り込んで行く切削加工のイメージを重ねて、
『「未知」を切りだす。』というブランドコンセプトを提案しました。切り出すのは、まだ誰も知らない「未来」です。
困難な状況でも、常に新しい可能性を切りひらいてきた、そんな今橋製作所の精神と可能性を体現するプロジェクトであるという意味も込めました。
それが、今橋製作所の“かっこよさ”なんだと、私たちは確信していました。
ブランドコンセプト「『未知』を切りだす。」が決まったら、次は形にしていくフェーズ。
「よーし、じゃあプロダクトつくるぞ!」
……と意気込んでみたはいいものの、相手はチタンです。
めちゃくちゃ硬くて、クセのある金属。
削るのも、形にするのも、普通に大変。
でもその分、素材としてのロマンに溢れている。
「どうせなら、誰も見たことがないチタンの酒器をつくろう」
酒器の原型の製作を、TRUNKの地元である笠間の陶芸家 船串 篤司さんにお願いしました。ニューヨークでも活躍する陶芸家さんです。職人気質のとても穏やかな方です。
笠間の陶芸家 船串篤司さん
船串さんにはコンセプトとともに、純チタンの塊「インゴット」を削り出すことで生まれる無骨な存在感と、チタンという鉱物が持つ男心をくすぐるロマンを表現してほしいと依頼しました。自然物のような見た目ながらも高い実用性がある、そんなギリギリのバランスのプロダクトを目指したのです。
今思えばだいぶ無茶ぶりだったかもしれません。
でも船串さんは「面白いですね」と静かに笑いながら、原型制作をスタートしてくれました。
そこから、怒涛の試作ラッシュ。
形のバランス、持ち心地、重さ、手になじむか、唇に当たる感覚はどうか──
いくつも作って、試して、直して、また試して。
試作風景
そして最大の山場が、表面処理です。
チタンって加工がめちゃくちゃ難しい。
表面がキレイすぎても魅力が出ないし、荒すぎても汚く見える。
そこで私たちは、「茨城県産業技術イノベーションセンター」と連携。
まさに“未知を切りだす”新しい表面処理技術の開発に挑みました。
その結果、生まれたのが──
自然物のような荒々しさと高級感を兼ね備える、独自のテクスチャーでした。
一見チタンとは思えない風合いのテクスチャー
角度によって輝きを変えるグラデーションは、チタンの「酸化被膜」という現象によるもの。ひとつとして同じものがない、偶然が生み出す芸術です。この瞬間、hikiZANは、ただのプロダクトからアートと工業の境界線にある“何か”に進化しました。
コンセプトもできた。
デザインも決まった。
プロダクトも、もうめちゃくちゃかっこいい。
さあ! ついにブランド「hikiZAN」完成だーーー!!!
と、TRUNKチームの全員が達成感で拍手した、あの瞬間。
でも、数秒後にふと冷静になって、こう思ったんです。
……あれ?
これって、どうやって売るんだっけ?
喜んだのもつかの間、一瞬で我に返りました。
ブランドサイトも作った。
ロゴもつくった。
ECサイトだって用意した。
「もう完璧じゃん」って思ってたんですよ。
でも、“商品が存在している”ことと、“世の中が知ってる”ことって、別なんですよね。
今回の今橋製作所さんは、これまでずっとBtoBの世界でやってきた会社です。
つまり、「そもそも市場がない」んです。
TRUNKの仕事は、いつもなら、クライアント側にある程度の販路がある。
でも今回は、ゼロから“売る場所”をつくらなきゃいけない。
このとき、私たちが初めてぶち当たったのが、
「ブランディングだけでは、売れない」
という超リアルな事実でした。
調べれば調べるほどわかってくる、
BtoC市場への参入ハードルの高さ。
市場の声を取り入れてつくる“マーケットイン”方式は、資金も時間もめちゃくちゃかかる。
だから多くの中小企業は、自分たちの技術や哲学を信じて“プロダクトアウト”で勝負する。
でも、そこに販路がなければ──
つまり、「伝える手段」がなければ、どんなに良い商品でも届かない。
“良いものをつくる”ことと、“それを広める”ことは、まったく別のアプローチが必要だったんです。
「このままじゃ、“作って満足”で終わっちゃう……?」
TRUNKも今橋製作所さんも、ちょっとだけ暗い空気に包まれていました。
作ったプロダクトを売るために存在を世の中に知らせる方法が思いつかない・・・・。チーム「hikiZAN」である今橋製作所さんとTRUNKは次の一手を見いだせず、途方にくれてしまいました。
やはり、中小企業のB to Cプロジェクトは「作って満足」で終わってしまうのか? TRUNKのブランディングはただコンセプトを決めて、デザインするだけなのか?これではお客様のビジネスに伴走してるって言えないじゃん!
重い空気の中、今橋社長が言いました。
「接待で行った寿司屋でhikiZAN酒器を見せたら、みんな『これいい!』っていうんだよ。なにか贈りたいと思って探すと、大抵バカラとかになって、高い割にかぶっちゃうんだけど、これならかぶらなくていい!ってさ。
それからチタンって、割れないから一生使えるし、hikiZANは色も一点一点違うから、一点ものの価値があるんだよな。」
なんと今橋社長は、接待の席で経営者のみなさんにhikiZAN酒器を披露して反応を聞いていたのでした。これぞセルフマーケティング! このリアルな意見に光明を見出した私は、まずは、ペルソナの解像度を上げることに着手しました。
今橋社長の“接待マーケティング”から得たヒントは、私たちにとって本当に貴重な気づきでした。
これまで考えていた「伝え方」が、ちょっとズレてたかもしれない。
プロジェクトの紹介じゃなくて、もっとストレートに“モノそのもの”の魅力を伝えないといけない。
──よし、ペルソナを練り直そう。
まず設定したのは、こんな人物像。
「感度とこだわりのある40代以上の富裕層男性」
・男っぽいガジェットが好きで
・バカラ ✕ サンローランみたいなラグジュアリーアイテムにも目がなくて
・“被らない贈り物”を探してるような人
そんな人が、お世話になった「わかる人」に贈りたくなるプロダクト。
それがhikiZANであると定義し直しました。
「これ、チタンなんですよ」って語れる、あの“自慢したくなる感じ”まで含めて、商品なんです。
次に手をつけたのがWEBサイトの再構築。
当初のプロジェクトサイトは、「茨城の町工場が挑戦してます!」という“いい話”が中心でした。
でも、それって買う人から見たら関係ないんですよね。
「この器、かっこいいな」
「使ってみたいな」
「誰かに贈りたいな」
──まずは、そこから。
だから、世界観とプロダクトの魅力を“直感で伝える”ブランドサイトへリニューアルすることにしました。
言葉もアップデート。
タグラインは、ズバッとこうしました:「紳士のチタン」
キャッチコピーは、社長の実体験から着想し「一生モノで、一点モノ。」
まさに、チタンの特性も、酸化被膜の偶然性も、一言で全部語れる最強コピー。
そして、パッケージと小物類の開発。
せっかく“一点モノ”なんだから、包むモノや渡す瞬間まで、ちゃんと特別にしたい。
・ハイクオリティな箱
・ブランドロゴ入りのショッパー
・説明と想いが伝わるリーフレット
──全部、ちゃんと意味を持たせて設計しました。
ここまで徹底して、ようやく「ブランドってこういうことか」が見えてきた気がします。
そして、いよいよ伝え方です。ここでも今橋社長によるセルフマーケティングの取り組みを参考にしました。プロダクトアウトのブランドは、ジッと待っていても誰も知ってはくれない。ならば自分で出ていくのだ! どこに? デザインの展示会に!
「よし、出ていこう。こっちから、世の中に会いにいこう」
プロダクトアウトの宿命は、“待っていても誰も気づいてくれない”こと。
だからこそ、TRUNKと今橋製作所は決めました。
展示会に出展しよう。どうせ出るなら東京へ。
選んだのは「DESIGN TOKYO」。
全国からデザインプロダクトが集まる、大舞台です。
目標は明確でした。
「hikiZAN」というブランドの世界観を、空間ごと伝えること。
パネルも、照明も、配置も、すべての演出を考え抜き、1年かけて準備を重ねました。
「DESIGN TOKYO」の出展時の風景。hikiZANブースは大盛況
そして迎えた、展示会本番。
ブースに立つのは、もちろん所さんを始めとした、今橋製作所さんの「hikiZAN」若手チームの皆さんです。
最初に出会ったときの、あの緊張した面持ちはもうありません。
代わりにそこにいたのは、自分の言葉でプロダクトを語る、確かな自信を携えた人でした。
海外バイヤー、百貨店のバイヤー、商社の担当者……
次々に立ち寄る来場者たちに対して、所さんたちは堂々と語り、丁寧に応対していました。
そして聞こえてくる、うれしい言葉たち。
「見たことのないデザイン。おもしろいですね」
「これ、海外の方が価値感じると思いますよ」
「ギフトで扱いたい。特別感があって、すごくいい」
──これは、確かに手応えがある。
展示会という“リアルな場”で、hikiZANはついに、誰かの「欲しい」に触れたのです。
そして何よりも印象に残ったのは、所さんの成長でした。
最初は今橋社長の意見を伺いながら慎重に動いていた彼が、
今ではプロジェクトの軸として、自ら判断し、言葉を選び、動いている。
その姿はもう、「若手社員」ではなく、hikiZANのリーダーでした。
今橋製作所の理念にある、
「若者に夢を与えられる会社でありたい」
──それが、目の前で形になっていました。
でも、これはまだ始まり。
hikiZANの物語は、ようやく第一章を書き終えたところです。
どんな“未知”を切りだしていけるのか。
TRUNKも、ワクワクしながら伴走していきたいと思っています。