こんにちは!株式会社O’z(エンズ)の採用広報担当です。
今回は株式会社エンズの魅力や雰囲気を知ってもらうため、代表・山下竜司にインタビューを行ないました。前編では、山下が会社を起業するまでのストーリーをお届けします。
学生時代からはじまった人とのご縁。
不動産営業や芸能プロダクションでの経験を経て変化した、仕事への想い。
⼈との出会い・繋がり・ご縁・助け合い・圧倒的感謝を大事にする、山下の原点とも言えるストーリーです。ぜひ最後までお付き合いください。
生きてきて出会った人々全てが、大切なご縁
私が「人との縁」を意識するようになったのは、大学時代。朝から夜まで様々な仕事をして働いていました。またDJイベントや学生イベントの主催をやったりと、当時はとにかく賑やかな環境で、やったらやった分だけ稼げるみたいな稼ぎ方が好きだったんですよね。
特に印象深かったのが、完全歩合制のアルバイトでした。お客様にお店を紹介しないととお金がもらえない仕事形式。それなのに、お客様と仲良くなりすぎて全然自分の担当のお店には連れて行かなかったんです。
人を騙すようなことを言うのが嫌いで、「お兄さんならあっちのお店の方が合う」と正直に言ってしまって。目の前の人に合わせてお店を紹介していくうち、だんだんお客様に信頼されるようになっていきました。
ご縁が広がっていくうち、仲良くなったお客様がたまには自分の紹介してくれるお店行くよと言ってくれるようになりました。
そのうち「あの街に行くなら、あのお兄ちゃんに聞いたらなんでも紹介してくれるよ」と言ってもらえるようになり、気づけば売上もトップに。学生時代に出会った人々とは今でも仕事をしたり、紹介しあったりと。私のご縁のスタートは、間違いなくここですね。
どんなお客様も分け隔てなく接したい!
大事にしたい価値観に気づけた不動産営業時代
22歳になると就職を考えるようになり、ゴリゴリの営業マンが求められる不動産業界の会社へ入社しました。
入社してすぐはとにかくテレアポ。まったく知らない相手に対し、相手が働いている時間帯に電話をかけ、まずはどうにか年収を聞き出さないといけない仕事でした。今でこそ不動産の商品価値がわかるようになりましたが、当時は理解できず。こんな見ず知らずの人から、高額商品なんて買ってもらえるのだろうかと疑問を抱いていました。
アポイントが取れなければ、六本木ヒルズや東京駅に行って名刺を配りまくる日々。
ご縁を大切に築いていきたい私としては、一番やりたくないことをやっている感覚でしたね。
それでも最初は、同期の中で一番早くアポを取り、契約に繋げたいと意気込んでいたんです。でもその熱意は、上司の言葉に打ち砕かれてしまいました。
「君、面白そうだから会ってみたい」と言ってもらい、初めてアポイントが取れたある日。報告した上司に衝撃的な一言を言われたのです。「年収500万円以下の人は、お客様にはなり得ない」と。
2件目に取れたアポの相手も、年収500万円くらい。「会っても契約になる確率が低い」と言う上司の反対を押し切って会いに行きました。今思えば、商品自体が高額だったので会っても購入に繋がらず、お客様のお時間を奪ってしまうだけだと、上司は伝えたかったのかもしれません。でもどうしても私には、お客様を年収で分けてしまう姿勢が耐えられなかったんです。
もともと私は浅草の下町生まれの足立区出身。隣の家に醤油を借りに行ったり、「作りすぎたから食べて」というお裾分けの文化が当たり前にある環境で育ちました。お金の有無ではなく、そうやって人と人として対等に関わっていきたいと改めて思うようになったのです。
「年収なんて関係なく、目の前の人のためになる仕事がしたいんです」
そう上司に話すと、自分が大事にしたい価値観を大事にするため、入社して2ヶ月で不動産を退職しました。
ご縁で繋がる、面白い仕事との出会い
次の仕事を決めずに退職し、縁があり、お風呂やキッチンを施工する会社に、職人として入ることができたんです。
半年ほど職人をやった後、新しく事業を立ち上げようと提案し、半年ほどその部署で働きました。しかしその事業はうまく行かず……。私はその会社を離れることになりました。
当時23歳。「次はパソコンを片手に、都心でかっこよく働きたい」と思っていると、大学時代の友人の紹介で芸能プロダクションのマネージャーを探している社長がいると取り継いでもらいました。
「勢いのある人がほしい」なんて言われたら、自分しかいないなと。紹介してもらった会社の社長に「明日から行けます」と言うと、次の日から働けることになりました。
芸能プロダクションなら、可愛いモデルや芸能人に会える。正直、最初はそんな不純な気持ちもありました。「夢を追いかけている人」だった。
20人ほどのモデルさんを専属で見ていたんですが、「この子たちをやりたいことだけで食わせたい」という熱い感情が湧いてくるようになったんです。
私には「稼ぎたい」という気持ちはありましたが、「何かを頑張りたい」と思うことはありませんでした。だからこそ、「お金はもらえなくても舞台に立ちたい、テレビに出たい」と頑張る人たちを応援できる仕事を、面白いと感じられたんでしょう。
専属モデルを知ってもらうために、私たちはいろんな人に会ってその人の良さを熱弁する。そしてその人の夢を代弁する。真っ直ぐこの仕事に向かっているうち、マネジメントしていたモデルさんが「この人ならどうにかしてくれる」と、他のモデルさんも紹介してくれるようになりました。
ご縁で繋がっていく、面白い仕事です。
仕事が決まればモデルさんが喜ぶ、「起用させてくれてありがとう」とお客様が喜ぶ、そうして入ってきたお金で私はまた次の仕事を見つけにいける。私にとって三方良しな仕事でした。
この芸能プロダクションでは、ビジネスのビの字も知らないところから、面倒を見てもらった恩があります。でも私はもっとたくさんの人に「きっかけ」を届けていきたくなった。そこで昔からの夢を叶えるべく、独立を決意したのです。
次回は…
目の前の人のために尽くす。そんな山下の情熱が、芸能マネジメントの仕事との出会いでさらに開花していった……。人との出会いも、仕事との出会いも「ご縁」って大事ですね。
次回はいよいよ株式会社エンズを起業した後のお話です。後編もぜひご覧ください!
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