現役東大生にして株式会社カルペ・ディエムの代表を務める西岡壱誠に、会社設立に至る経緯から、今後の会社のビジョンまでをインタビュー! 経営者、そして教育者としての西岡壱誠を掘り下げてみました!
目次
コロナ禍で社会全体が変革していく中、「挑戦を怖がる子どもたち」の意識を変えるべく起業。
「全力で今を生きる」ことの大切さを伝えたい。「カルペ・ディエム」という社名に込められた思いとは。
「教育業界の針を進めたい」——教育者、経営者としての西岡壱誠が思い描く教育の未来。
コロナ禍で社会全体が変革していく中、「挑戦を怖がる子どもたち」の意識を変えるべく起業。
——まずはこの株式会社カルペ・ディエムを設立するきっかけはなんでしょうか。
もともとは大学2年生のときから『ドラゴン桜』(三田紀房/講談社)というマンガの編集に携わっていて、そのなかで『ドラゴン桜』というコンテンツの価値をさらに大きくしていくために、「リアルドラゴン桜プロジェクト(以下、リアドラ)」というものを始めたんです。
このプロジェクトは実際に我々が学校現場に赴き、生徒に『ドラゴン桜』を読んでもらったり、『ドラゴン桜』のように逆転合格をした東大生に講演をしてもらったりするのですが、このプロジェクトがきっかけで「成績が伸びた、難関大に合格できた」という生徒が増えてきたので、「これは面白いな」と思いました。
私も「偏差値35」から東大に逆転合格をした身なのですが、私と同じように逆転合格を果たした東大生がたくさんいたので、彼らと一緒に「僕たちにもできたんだから、君たちにもできるよ」と声をかけていくことで、「僕にはできない」と思い込んでいる受験生にも希望を持ってもらえるんじゃないかと思いました。そうして起業したのがこの「カルペ・ディエム」という会社です。
——なるほど。起業されたのは2020年という、まさにコロナ禍の真っただ中でしたが、苦労されたことなどはありますか。
思い返すとコロナ禍というのは、教育の変革が迫られた時期でもあったように思います。というのは、2019年3月から緊急事態宣言の発令とともに、多くの学校が休校になりましたよね。そのとき学校は自習用のプリントを配ったり、慣れないオンライン授業をしてみたりとかなり教育現場も混乱していたでしょう。そんなコロナ禍だからこそ、やれるべきことがあると思って始めたのが「スマホ学園」というサービスでした。
東大生がYoutubeでの動画や配信を通じて授業を行うというもので、視聴者からの質問にリアルタイムで答えたり、「リアドラ」も結構な回数でオンライン版を行ったりしてきました。今では通常授業が行われていますが、オンラインでの学習も当たり前の光景になってきていますので、オンラインとオフライン、どちらの良さも生かした教育授業を行っていきたいと思っています。
——今仰っていただいたオンラインでの教育について、学校現場などでも変革が徐々に起きているように思うのですが、今の教育について課題に感じていることはありますか。
そもそもスマホなどの普及によって、学校現場だけでなく社会全体が変わって久しいですよね。普及率はさらに上がり、世界人口よりもスマホの台数の方が多いのが現状です。このようなデジタルデバイスの普及の影響で経済社会の無人化が進む中、とあるデータでは10年後には人間の仕事の半分が機械やAIに置き換えられるといわれています。
しかし、これだけの変革期にありながら、今の子どもたちにはその危機感がまるで無いんです。それどころか10年前などに比べて今の子どもたちには元気が無いように思えます。それもそのはず、日本は少子高齢社会を辿っているのですが、大人が子どもをコントロールしやすくなった結果、自分の意思を主張しない「指示待ち」の子どもが増えたからです。
たとえば私もよく学校現場にお邪魔するのですが、子どもたちに「はいかいいえで答えて」と質問を投げかけても、「はい」にも「いいえ」にも手を挙げない子どもが多いのです。それは彼らの中に「間違えたくない」「挑戦するのが怖い」という意識があるからでしょう。
社会全体はこれだけ変革の時期を迎えていて、我々は機械に奪われた仕事を取り合うか、新しい仕事を生み出さなければならない時代を生きています。その中で子どもたちは挑戦することを怖がり、自分の個性を出せないでいる。そんな現状にとても危機感を覚えますし、そんな子どもたちの意識を変えていくことが我々のミッションなのではないかと考えています。
「全力で今を生きる」ことの大切さを伝えたい。「カルペ・ディエム」という社名に込められた思いとは。
——「カルペ・ディエム」の企業理念に「人生前のめりに」とありますが、それも今話していただいた危機感からきたものでしょうか。
当たり前のことなのですが、学校で宿題が出たときに「やりたくないな」と思って取り組む子と、「この範囲の単元を必ずマスターしよう」と思って取り組む子では、身につく力は何倍も違います。これは教育だけに限りません。仕事においても同じことがいえるのです。指示待ちで生きるより、自分から進んで物事を考えて生きていく方が楽しいですし、そんな人が1人でも多く増えれば社会全体もどんどん良くなっていくと思うのです。
先ほども「人間と機械で仕事の奪い合いになるか、新しい仕事を生み出すか」と言った通り、指示を待って与えられた仕事をするのではなく、新しい仕事を生み出せる人、自分自身が主体となって生きていく人を増やしていくことが大切だと思います。
——「カルペ・ディエム」という社名もこの企業理念からきているのでしょうか。
そうですね。これはもともと「いまを生きる」というロビン・ウィリアムズ主演の素晴らしい映画がありまして、そこからつけたものです。「カルペ・ディエム」という言葉も劇中に出てくるのですが、ラテン語で「いまを生きろ、その日を摘め」と訳されるんです。
この言葉の意味を考えてみたときに、私たちが50年、100年経って最後に死ぬとき、若かった頃の自分へメッセージを伝えるとしたら「人生なんてあっという間なんだから全力で生きろ」ってことだと思うんですね。それが「カルペ・ディエム」の言葉の意味なのかなと思います。
たった一度の人生なので何やったって良いと思うんですが、何かに挑戦することこそ人生だと思うんです。だから失敗を恐れずに、何か新しいことに挑戦し続ける人を1人でも多く応援したい。そんな思いでこの社名をつけました。
「教育業界の針を進めたい」——教育者、経営者としての西岡壱誠が思い描く教育の未来。
——先ほども時代の変革期についてのお話がありましたが、この先10年後の時代を想像しながら、「カルペ・ディエム」はどうありたいかなどの理想像はありますか。
教育現場に限って言えば、10年、20年後に何か大きな変化が起きているかと問われれば、大して変わっていないんじゃないかなと思います。というのも、教育業界というのはほかの業界に比べて発展していく速度が遅いからです。
私は今「スタディサプリ」という映像授業配信サービスで講師をしておりますが、この映像授業の配信というジャンル自体は日本でも2000年代から既にほかの予備校などで行われていることでしたし、すごく新しいサービスというわけではありません。ですから、もちろんこういう教育をしたいという理想はありますが、それよりも教育業界が発展していく時計の針をもっと進めていきたい気持ちが強いです。
日本でも「EdTech」という名のもとにいくつかの学校で、どんどんと試験的に新しい試みをしながら、より良い教育を模索していますが、やはり全体では慎重になりすぎていて歩みが遅いと言わざるを得ません。試行錯誤を繰り返しながらどんどんと教育の針を進めていき、20年、30年経った後に日本だけでなくほかのアジアの国々にも画期的な教育システムの提案をしていけるようなサービスを目指していけたらと思います。
——教育事業に携わる経営者として影響を受けた方などはいますか。
東大のゼミの先輩に安部敏樹さんという方がいらっしゃいました。彼は現在「リディラバ」という社会問題解決のための法人団体の代表をしており、米誌「フォーブス」からアジアの若手起業家として選ばれたのですが、彼からこんな話を聞いたことがあります。
模試などのデータで偏差値分布をみていると、だいたい50辺りに山があると思いがちだが、実際はそんなことなく、50よりも低いエリアと高いエリアに2つの山があると。この現象の原因は学校レベルの格差でも、経済格差でもなく「意欲格差」なんだ、と聞いたのです。
この「意欲格差」とは、子どもたちに関して言えば、特に何も考えずにやりたいこともなく、また誰かが「こんなことやりたい」と思ったとしても、周囲の大人含めて冷ややかな目で見られて終わってしまう状況が生み出しているのです。しかし逆にこの意欲というのは伝播していくものでもあるので、誰かが「こんなことやりたい」と言ったときに、周りも「僕も何かやってみたい」と意欲が影響していく環境もあるんですね。この「意欲格差」の固定化が教育格差を生んでしまう。だからこそ、私たちは「こんなことやりたい」という最初の一歩を踏み出す人の支援をしたいんです。そういう意味で、安部さんの言葉は影響を受けましたね。
——最後に、学生たちへメッセージをお願いします。
私は偏差値35から東大に入ったのですが、何か奇跡でも起きたわけではなく、学校の先生が向き合ってくれていたことが大きかったんです。その時の先生が話してくれたエピソードをお話します。
その先生は「人間はとある線で囲まれている」と教えてくれました。その線は何かというと、「なれま線」という線なんです。これはどんな線かと言うと、みなさん誰しも幼稚園くらいの頃は色々な夢があったと思います。宇宙飛行士、バレリーナ、スポーツ選手、社長など…。でも段々、大人になるにつれ「自分には向いていないな」「自分より上手い奴には勝てないな」と考えてしまい、ずっと遠くにあったはずの「なれま線」という線がどんどん自分のところに近づいてきて、とうとう自分の周りを取り囲んでしまい、そこから一歩出ることがとても難しくなってしまうんです。先生は「西岡はこの自分で引いた『なれま線』のせいで、一歩踏み出すことができなくなっている。でもその線は自分で引いた幻想だから、一歩踏み越えてみたらいいよ」と言ってくれたんです。
私が「なれま線」から踏み出すきっかけは東大を目指すことでしたが、みなさんにとっての理由は別に勉強以外でも何でも良いんです。一歩だけでも、「なれま線」を踏み越えたその先に、また新しい出会いが必ず待っているはずです。
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