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ワークアズライフカンパイヒュッテたちあげについて

僕は酒飲みの父と酒飲みの母の間に生まれた杉並区出身。

KANPAIって言葉が好きなのはなぜだろう。

父がアルコール飲みすぎてになり、家族で大変な思いをしたこともあるのに・・・。

KANPAIが好きなのは学生時代と社会人になってからの経験が大きく影響している。高校生の時もノンアルでKANPAIしていたのは当然として。

僕は学生時代は月30万円くらい稼ぐくらいとにかく仕事をしていた。

その30万円のほとんどは毎日通うバーや部活でもサークルでもない仲間とのKANPAIに消えていった。

就活もロクにしていなかった僕はバーで人材業界のおじさん(元リクルートの人事の方)と話したり、青年実業家の人と話をしたり、とにかく社会との接点を持った。

時には広告代理店の仕事の手伝いをさせてもらったりと楽しい学生時代を送った。就活なんて僕には関係ないと思っていた。

とある理由で就活をしていなかった僕も生きるために就活をすることになった。理由はおいといて。

入社した会社は外資系のキラキラした会社。

入社した後はギャップというものは想像を絶するレベル。

キラキラしていたのはオフィスだけでゴリゴリの営業会社だった。(就活生の皆はオフィスの美しさで会社を選んではダメですよ)

仕事は大変だった。毎日朝8時頃から夜の3時くらいまで働き続けていた。

急な制度変更で最低賃金制度というものができ、年収は学生時代の半分くらいになった。成績が上がらないのは僕のせいなのでしょうがないが、残高が減るは減るわ。給与明細が13万円くらいなのはそれはそれはびっくりした。

つらかった。

ただ、後ろ向きにはならなかった。精神的には一度も負けなかった。

なぜ、僕は問題なく働けたか…。

「僕のことを買ってれている両親や仲間がいて、いつもKANPAIしてくれていたから」だ。

僕は忘れない。当時の森本、鈴木という男が「平田なら大丈夫」って言ってくれたこと。

両親が「頑張っているね」と言ってくれたこと。

KANPAI Hütteで成し遂げたいこと

僕はKANPAIできる仲間に支えられたり、自分の解像度を上げるような対話を毎日のように繰り広げることができていた。

仕事仲間とはよく飲みに行った。

あらゆる祝い事もそうだし、相談もそうだし、多くの場面で「飲み」を通じて、「心」を通じ合わせてきた。

KANPAIしている仲間と仕事をしたり、仕事を紹介してもらったり、

逆に仕事の紹介をしたりした。転職に成功する人間も生まれた。

くじけそうなところから這い上がって頑張れている仲間もいた。

昔の僕のように。

僕らはテキーラでウェーイとやって、ただ酒を飲むわけじゃない。

「対話する、熱量を上げる、自己解像度を上げる、ベクトルが決まる、行動する、仲間が増える」

を実践していて、ここに価値がある。

スピード感と情熱を高めるのにはKANPAIは最強のツールだったし、今でもそうだと思っている。

僕はあらゆる生活や仕事という局面でこの「KANPAIと熱狂と行動」を起こしたいし、そこの価値で社会貢献したい。

ヒュッテで成し遂げるべきことはこういうことだ。

KANPAIでそんな熱い社会を広げる。

もちろん自身も「自分らしく働ける」ということに迷うことはなくなった。

もし、語らえる仲間、仕事に関してオープンに語らえる場所がなかったら、

どれだけきつかったかな??自分らしくあれたかな???

ヒュッテはただの乾杯をする仲間ができるだけでなく、

仕事を通じた自己成長、仕事を通じた仲間ができる。

そして絶対、一番うまいKANPAIができる。

そんな場所にしていく。

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