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「まちづくり」ベンチャーの創業からの歩みをポッドキャストで振り返る

社会の課題をみんなの希望へ変えていく。そんな価値観と覚悟を持った社会起業家が集まるのがボーダレスカンパニオです。この番組は、様々な課題に挑む社会起業家をお迎えし、その人生の使い方と描く未来に迫ります。

ボーダレスジャパン「水曜日のカンパニオ」オープニング

聴き手:株式会社ボーダレス・ジャパン 代表取締役副社長 鈴木 雅剛様
語り手:きら星株式会社 代表取締役 伊藤綾
▶️ラジオ本編はこちら

-今日はきら星株式会社代表の伊藤綾さんに来てもらいました。もやちゃん、よろしくお願いします。よろしくお願いします。いきなり「もやちゃんって誰?」という話になると思うので、簡単に自己紹介をお願いします。

私は主に地方移住をサポートする会社、きら星株式会社を2019年に創業し、経営をしています。その前はサラリーマン時代に、自分は何をして生きたらいいんだろうと非常にモヤモヤしていました。夫に「そんなモヤモヤしているなら、自分のやりたいことをやればいいじゃない」と背中を押され、今ではボーダレスカンパニオの一社として活動させていただいています。

ボーダレス・ジャパンは「あだ名文化」がありまして、今まではあやちゃんとかあやさんと呼ばれていたんですけど、「あや」と夫からの「モヤモヤ」とを組み合わせてもやちゃんっていうことにしました。

-そういうことだったのか。旦那さん最高じゃん。

そうですね。私は夫のサポートがあってこその起業に至っているので、今回のポットキャストではそんな話もしたいなと思っています。

-まずは、きら星株式会社が今、地方創生の文脈でいろんな事業を展開していると思うんですが、きら星の事業について教えてもらっていいですか?

地方で暮らす人たちを増やしていく。そして、そういった方々を応援していくための事業づくりを何でもやっているんですが、本当に何でもやっています。軸としては、地方に移住したい方をサポートする地方移住サポートということで、人材紹介業、そして行政と手を組んで移住相談窓口業務の受託運営をやっています。

移住したい方って、やっぱりいくつかハードルがあるんですよね。住まい、仕事、コミュニティやお金などのハードルです。私たちは、様々な問題・ハードルを解決するためのサポートをワンストップで担います。
その中で一番ハードルが高いのは仕事なんですよね。地方にはやりがいがある仕事や、稼げる仕事が少ないのが現状です。

私自身も地方出身なので、地方を出て東京に大学進学をした後、地元には戻ってくるものかと思ったんですよね。やりがいがあって稼げる仕事がないだろうと思い込んでいました。
私は大学時代に不動産王になりたかったんです。ですが、地元に戻って不動産王になれるのかはあまりイメージができなかったので、東京で残って就職をしようとしか考えてなかったですね。

-不動産王になりたかったってどういうことですか?

小さい頃から桃太郎電鉄とシムシティが好きで。まちを作るというゲームなんですけど、いろんな資産を持ってそのまちを大きくしていけるような投資をして、そこからじゃんじゃん金が生まれて街が発展していくというのが好きだったんですよね。それをリアルでやるために、不動産王になりたいなと。

-なるほど、今リスナーの皆さんには顔が見えないと思うんですけど、もやちゃんがキラキラしてるもんね。

私はお金が結構大好きですね。社会的に意義のあることをするという働く理由ももちろんあるけれども、お金を稼ぐっていう行為が好き。だからソーシャルビジネスってまさに自分の天職ですね。

-稼いだお金をじゃあ自分の懐で贅沢三昧な生活をするかというと、全くそんなことではなくて、そのお金をまた社会のために循環させて使っていく。結果として、まちがもっと良くなって、シムシティの世界がごとく、みんなが幸せになっていく面白い世界が作れていくって感じなのかな?

見えてる世界っていうのはそういうことで、リアルシムシティをだからずっとやっている感覚なんですよね。

-不動産王になりたいと思っていた中で、大学生活はどんなだったんですか?

慶應義塾大学の商学部で、商売のことを勉強しようということで入ったんですが、全然授業には出ずに、アルバイトを常に3つは掛け持ちを必ずしていました。バイトすることが社会勉強だと。
ひたすらアルバイトをしていたので、就職活動の時になかなかその経験を生かすことができなかったです。不動産王になりたかったので、総合ディベロッパーや鉄道会社などに軒並み応募するんですけど、80社ぐらい受けて1社も受からなかったんです。
私、2008年に大学卒業してるんですけど、団塊の世代が抜けるため最後の売り手市場って言われていたんですね。同じ大学の同級生たちがもうバンバン内定をとっていく中、自分は本当に内定が一個もなくて。ゼミの先生に、ここがまだ募集してるよということで、日立系のSIerの会社を紹介してもらって、そこからだけ内定をいただくことができたんです。

当時しゃべるのが非常に苦手で、面接に行くとも顔が真っ赤になって、何も喋れなかったんです。志だけあったんですが、うまくしゃべることができなかったので、それが敗因だったんじゃないかなと分析してました。

-今のもやちゃんから全く想像つかないけどね。

私もそれこそ15年前、自分がこうやっていろんなところに講演に行ったり、人の前で話をする仕事をしてるなんて、全く思いもよらなかったです。
自分のその苦手をじゃあどうやったら克服できるかということで、新卒採用の時に、SEになるか管理部門に入るか営業になるか、選択肢を与えていただいて、営業を選びました。喋るのが苦手だからこそ、営業マンになって。その時にみんなに公言してたんですけど、結果を出してで三年以内にディベロッパーに転職をします、と。その目標を達成するためにも、自分を追い込むために営業になって。結果を出そうということで、がむしゃらに仕事をしてました。

商業ディベロッパーで養われたまちづくり観

-初っ端から苦難の道のりをわざわざ歩むっていうところから始まったのね。

二年半ぐらい経って、会社で成果を残すことができたので、次のステージに進んでみようということで、ご縁があって、イオンモールに転職させていただきました。

-イオンモールでは、それこそ店舗開発とかデベロッパーの仕事って言われるような、そのど真ん中に入ってた感じですか?

いや、最初は下積みで福岡にあるショッピングモールの運営管理をやっていましたね。ショッピングモールは、テナントに儲けてもらって、そこから賃料を得るというビジネスモデルなんです。警備業社や設備業社、パートナー企業さんと協力した運営管理や、テナントの働きやすさの追求、お客さんの滞留時間を延ばして、お客さんの不便・不快を取り除いて、もっとお金を落としてもらえるかを、施設管理の観点から考えるという仕事をしていました。
その後は、本社でプロパティマネジメントに従事していました。他人の物件をお預かりして、不動産からいかに収益を最大化するかを投資家たちと作り上げていく仕事をしてました。傾いた他社運営のショッピングセンターを運営受託をして、投資家さんと一緒にイケてるショッピングモールに生まれ変わらせていく仕事をやらせていただいてました。

-その中での難しさや、面白さって何があった?

面白さは、館のトップが誰になるかで売り上げが変わることです。
同じ店舗で、同じテナントが入っていたとしても、その中のゼネラルマネージャーがイケてる人であれば、売り上げはやっぱり上がっていきます。単純に回していくだけの思想の人だと、売上は横ばいか落ちていくかで、結局は経営は人なんだなとそこで気がついたんですよね。

-イケてるって何がイケてるの?

巻き込み力とビジョンがすごい。周りのテナントさんを乗せて、売上あげてこうと士気を鼓舞させるのがすごくうまい方ですね。

トップが周りのテナントを巻き込むと、テナントからもアイデアが出てきて、独自でお客さんを呼び始めるというようなことが起こります。やはりマネジメントの上手さであったり、トップの号令でいろいろ変わるということを実感させられましたね。

-館としての集客ももちろんあるけれども、テナントがそれぞれでお客さまに対する向き合い方や集客をしっかりとやっていく。結果として、館がすごく賑わって、結果につながるんだね。

これって今の仕事と全く関係ないわけでなく、すごく直結しています。
結局、まちにどんなリーダーがいて、そのリーダーが周りの人たちに対してどういう影響を与えて、一緒にまちを盛り上げていくかっていうことが、まちの存続につながってくるんですよね。
モールという一つの館の中も、ある意味まちづくりだし、モールの外の地域でのまちづくりの大事なポイントを学べたのが、イオンモールでの仕事でした。

安定した会社員生活を捨てて、起業の道へ

-イオンモールの仕事を経て、旦那さんから「モヤモヤしてんじゃねえ」と言われて、一念発起。起業を目指す時にボーダレスに出会って、きら星を創業したわけですが、モヤモヤしている中で踏ん切りをつけた転換点は?

地元の新潟県で戻って創業しようと思っていて、県の施策で起業チャレンジ補助金というビジネスコンテストがあったんです。
そこに今の原型となるようなビジネスモデルを持ち込んでチャレンジをしたんですが、そこでボロッカスに言われたんですよね。2018年、最終審査で「こんなビジネスモデルで絶対にうまくいかない」とバッサリ切られました。地方で人材紹介業なんか絶対にうまくいかない、社会的には意義があるんだけれども、経済性が全然ないねと。
意義があることだし、社会的なニーズも絶対にあると踏んでいたんですが、財界人の方たちにそう評価されたのが悔しかったので、認めてもらうために、起業のいろんな方法を探していたんです。
融資やエンジェル投資家など、様々な資金調達方法を検討していく中で、ボーダレス・ジャパンを見つけて、自分がやりたいことって社会起業というのかと門を叩きました。この過程の中で非常にモヤモヤはしていましたね。

わざわざ起業というリスクを取らなくても、このまま会社員で勤め上げればいけば、1000万・2000万稼げたかもしれない。そういった安定を捨てて、このまま進んじゃっていいのかなと悩んでいました。
家族もいたし、その時娘も一人いたので、モヤモヤしてました。
でもそんな中で旦那さんが一言「そんなモヤモヤしてるんだったらやっちゃいなよ」と言ってくれたので、踏ん切りつけて、よし、起業していくんだっていうのが本当に自分の中でグッと固まりました。

-きら星は新潟の湯沢町でスタートをしてますが、湯沢を選んだのは何か理由があったんですか?

このビジネスモデルで全国展開をしていこうと最初から思っていたので、最初に出て行くところで圧倒的に勝たないといけないと創業場所のマーケティングリサーチをしました。
東京から新幹線で90分圏内で探していました。空き家が多くあっても、田舎ではすぐに住みたい家に住める環境が整っていないので、すぐ借りれてすぐ住める家がある場所で最初にやるべきだと。それが一番可能性があったのが湯沢でした。

-地域の方とお話ししていると、いろんな取り組みをやりたい、もしくはやっているんだけれども、結局移住者を受け入れるお家がないっていうまちが本当に多いもんね。

そうですね。湯沢はスキーのメッカとしてすごく栄えた時代があり、たくさんリゾートマンションがある。そのリゾートマンションを活用して、すぐに借りれてすぐ住める家があることと、選ばなければ仕事もあるので、湯沢町で起業すれば、人は呼び込めるんじゃないかという仮説を持って決めました。

-とはいえ、湯沢町の町民でもなかった人が、その町の人たちを巻き込んで、いいまちづくりにつなげていこう、広げていこうっていう話の根底にある思いは何があるの?ただ不動産王になるというだけだと、イメージつかないので、教えてもらっていいですか?

私がイオンモールの中で経験させていただいたことで、いろんなまちにはいろんな面白さがあることを知りました。
日本の面白さは、この広い国土の豊かな自然と、そこから生まれる風土で、産業や人の特性など、多様性が非常に面白いと思っています。
都市化が進むにつれて、地方には残るのはお年寄りばかりになり、地方の中に働く人が残っていかない。イコール税収を生まないということになります。豊かな日本の地域が、どんどん廃れていく危機感があるんです。
日本のこの国土がすごく面白くて大好きで、そういう人ってたくさんいると思うんですよ。地域を未来に残していきたい。続けていきたいという思いが根底にあります。

-その思いってどこで育まれたんですか?

旅行や出張に行った際に、山と川があって、美味しいものがあってというのは全国どこでも同じように見えるかもしれないんですけど、やっぱり醤油の味一つ取ってもみんな違うんですよね。それってすごい面白いいいじゃないですか。

-日本全国大きなメーカーのものがどこで行っても買えるし、店で並んでいる商品もだいたい似たようなもんで、街並みもだいたい似たようなお店が並んでるみたいなね。そんな中でも地域地域で小さいかもしれないけれども、ずっと大切に育んできたブランドや人のつながりがちょこっと垣間見えた時に、なんか新しいところに来たなっていう感覚を持てるもんね。

地域を残していくためには、その地域に住む人を増やしていかないといけないんです。その人たちはどういう人なのかというと、その地域の担い手として、その地域で稼いで、その地域に納税して、そこで人を育んでいく人たちを増やしていかないといけないと思っています。だから、私たちのやってるソリューションは、20代から40代の人たちの地方移住のサポートなんです。


きら星流・仲間の増やし方

-事業を始めて最初は一人だったのが、どんどん拡大して仲間を増やしていかなきゃいけないという中で、試行錯誤していたのを僕は横目で頑張ってるなと見てました。成長期に入っていく中で大変なことや、その乗り越え方を教えてもらっていいですか?

そのまちにどういう人がいるか、どういう人がそのまちのハブになっているかで盛り上がりが一気変わってくるので、うちの社員の役割ってめちゃくちゃ大きいんですね。自分で動ける人、そして自分で地域を面白がって、外に伝播していく。媒介者になれるような人を採用して育てていくところに、面白さと難しさがあります。

-事業をスケールさせるときには、標準化をして属人性を排除して仕組みを横展開することで面を広げていくのが一般的です。きら星は地域プロデューサーとして一人一人を盛り立てていく、人づくりをコアに置いている。ここにすごい難しさが出てくるけれど、個性を活かした地域プロデュースが実現できた時には、地域が元気になっていく姿も見えるので、めちゃくちゃ葛藤しながらやってると思うんですよね。

そうですね。うちのメンバーたちは個性がみんな違うので、その個性に合わせて周りのメンバーをアサインしていって、チームとしてのバランスをとっています。
人間をクローンみたいに作っていけないので、入りたいって言ってくれた仲間をベースにしながらチームとして標準化をしていくチームの作り方を今はやってます。まだ試行錯誤の途中ではありますね。

-その仲間が増えれば増えるほど、今まできら星が培ってきたメソッドや地域づくりのノウハウを他の地域に広げて、他の地域をまた元気にしていくということができるんですね。今絶賛採用中ですよね。

次の4月に新潟県長岡市に進出をしようとしています。
そこに拠点を作ることによって、人口8000人の湯沢町、9万人の三条市、そして20万人の長岡市を抑えることによって、ご紹介できる仕事のバリエーションや暮らしのバリエーションがぐんと増えます。

例えば、長岡に相談に来た人だとしても、話をしていくと「もうちょっとローカルなエリアの方がいいよね」だったり、湯沢に来た方でも「もう少し都市化が進んでいるところが最初は住みやすいんじゃない」と、いろんな相談者の嗜好パターンがあるので、拠点を増やすことによって、誰もが自分の住みたいまちに住める未来を作っていきたいんですよね。

-市町村、基礎自治体単位でまちづくりや移住促進をやってるところが多いですが。エリアで捉えた時にこそ、たくさんの人たちに選択肢が増えて、相乗効果が生まれて、より地域がそれぞれの特色を生かしながら良くなっていくという設計図をシムシティ的に描いているって感じなのかな?

そうですね。結局じゃあ地方に人が残らない理由ってなにって言った時に、シビックプライドがないというのが一個問題として挙げられています。住んでる人自体が、どこよりもここが好きと、誇りを持てるようなまちである状態ってすごく重要だと思うんですよね。
その上で、自分が好きなまちに住んでいるということが望ましいので、どこよりもここが好きと言えるためには、やっぱり自分で自分の好きなまちを選べるような、真の居住移転の自由を得られる状態にしておきたいんです。市町村の枠を超えて、本当に自分が好きだなって思えるまちを探して、そこに住める未来を作っていくっていうのが、私たちのやるべきことだなと思って進んでいます。

-新潟を拠点として、それ以外の都道府県や市区町村にも広がったりしてるんですか?

そこはまだ私の行動が及ばないところで、もっと出ていきたいです。今まで私は、オペレーションに入りながら経営をして、自分の地域を深掘りしつつで横を広げていく活動をしていたので、スピード感が遅かったんですよね。今回仲間がまた新しく入ったので、深掘りの部分はお任せをして、横に広げるところを私はどんどんやっていきたいです。
本当に一緒にいい地域を作りたいと、パートナーになってくださる地域の方がいらっしゃれば、喜んで伺います。

-一緒に頑張っていこうということですね。これから仲間がどんどん増えていくフェーズですが、そこに向けて経営として何か取り組んでいることや変えていっていることは何かありますか?

ビジョン・ミッション・バリューを社員と一緒に策定しました。
前までは、ミッション・ビジョン・バリューの順番だったんですけど、今回ビジョンを先において、未来を実現していくために何を成し遂げていくかというミッションと、そこに対してミッションを支える普遍的な提供価値・バリューは何かという作り方にしたんですよね。
ビジョンは「誰もが住みたいまちに住める未来」で、そこにたどり着くためのミッションを2ステップに分けています。
ステップ1が「住みたいまちを作る仲間を増やす」です。まずは、自分たちに共感してくれる仲間を増やしていこうという意味です。
ステップ2は「どこよりもここが好き、誇りを持てるまちづくり」で、仲間という限定的なものだけではなくて、そこに住んでいる市民にも、その価値観を広げていくと幅を持たせたミッションにしています。
提供する価値・バリューは、「社会性と経済性」を大きな軸に置いています。まさにソーシャルビジネスっていうことなんですけど。「泥臭さと誠実さ」「地方でも選べること」「ワクワクした幸せな暮らし」この4つを、私たちが地域だったり、お客様に提供する重要な価値観として示そうと皆で議論しました。
まさに今、ミッションの第1段階目で「住みたいまちを作る仲間を増やす」というところです。一緒に働く仲間もそうですし、地域の中で一緒に頑張ってくれるプレイヤーも仲間です。地域に魅力を感じて移住をしてきてくれる方も仲間。パートナーになってくれる自治体も仲間。
仲間っていうのは広義ですが、その仲間を作っていく第一起点としては、うちのメンバーとして一緒に働いてくれる人が起点になってくるかなと思います。

-個別でそれぞれが良くなったらいいという話ではなくて、いろんな人とみんなで協力していいものを作っていく、いいまちを作っていこうとするからこそ、本当にいいものが作っていける。その仕掛け人としてみんなで頑張ろうやって、人々を巻き込んでいく。この仕事、絶対面白いじゃん。

でも、キラキラしたところばっかりじゃなくて、対人支援をしているので、それなりに泥臭いです。本当にいろんな人間関係のトラブルに巻き込まれますし、移住して紹介した方が例えば犯罪に巻き込まれてしまったとか。そういうことも実際にあるので、すごく人間力が求められる仕事です。日々成長ができます。

-ということで絶賛仲間募集をしているということなんですけれども、今日たくさんの方々が聞いてくださっていると思うので、リスナーの皆さんにメッセージを。

今の生活、このままでいいのかなと振り返る機会にしていただけるといいかなと思っています。皆さんが普段食べている食べ物や作られているものも、実は地方から運ばれてきているものが多くあります。
地方で生活を作っている人のことを少し感じながら、今の大量消費の社会ではない社会に身を置くという選択肢を作りたくなったら、いつでもロカキャリにご相談ください。

-いろんな関わり方できますよね。移住体験もできるし、ワーケーション的な場所もあるし、移住する以外の選択肢がある。

あとは兼業とかもありますね。さまざまな関わり方があって楽しいです!

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