■ 土木を選んだところから、すべてが始まっている
熊本工業大学の工学部で、土木工学を学びました。1988年に卒業して東京へ出て、坂田建設へ。土木部工事課に配属され、現場技術者として、下水道、道路新設、シールド、造成——地面の下と上をひたすら往復する6年間でした。
図面どおりにいかないのが現場です。段取りと人の動かし方がすべてを決めることを、身体で覚えました。在職中の1991年に、1級土木施工管理技士を取得しています。
■ 31歳で常務、40歳で社長
1994年、鹿児島に戻ります。母方の祖父が創業した阿久根建設へ。31歳で常務取締役に就任し、2003年、40歳で代表取締役社長になりました。建設業許可の経営管理責任者としても登録され、名実ともに会社の責任を負う立場になりました。退任までの通算18年。
社長として過ごした8年間が、私の経営者としての基礎工事の期間でした。
現場ごとにバラバラだった資材の仕入れを集中購買に切り替え、粗利益率を平均2%改善する。CCPM(クリティカルチェーン・プロジェクトマネジメント)を鹿児島で初めて導入し、人と重機の配分を最適化する。手帳型の経営計画書をつくり、経営計画発表会と社長塾で方針を全社に叩き込む。MQ会計を入れて、事業部別・現場別の月次収支を会議の場で詰める。評価制度を初めて導入しゾーン制の賃金体系と人事考課制度をつくる。企画住宅・リフォーム・不動産の3本柱で新規事業部を立ち上げ、自ら事業部長を兼任する。新卒採用の仕組みをつくり、毎年2〜3名を迎え入れる。2001年にはサイボウズを導入して、現場のIT化も進めました。
売上25億円、社員60名。決して大きな会社ではありませんが、経営に必要なことは、たいてい一通りやりました。
そして2012年、経営方針の違いから、私はその会社を離れます。
■ 50歳、ゼロからの12年半
会社も、肩書きも、部下も、すべて手放しました。翌2013年5月、株式会社武蔵野の経営サポート事業本部と顧問契約を締結。同年7月、50歳で株式会社SEEDを設立し、代表取締役に就任します。全国のサポート会員企業のコンサルタントとして走り回る日々が始まりました。
小山昇社長から学んだのは、シンプルな一点でした。毎年増収増益を続けることの、途方もない難しさ。そして、それを可能にするのは奇策ではなく、決めたことを決めたとおりにやり切る組織である、ということ。
ランチェスター戦略をベースに、トップセールスと組織営業の指導プログラムを共同開発しました。2017年には、ランチェスター協会の認定インストラクターも取得しています。現場で使っていた戦略を、体系として学び直したかったからです。
他人の会社を勝たせる仕事を通じて、自分がやってきたことが「阿久根建設だから通用した話」ではなく、業種を超えて再現できる型であると確認できた12年半でした。
■ 60歳、実業に戻る
2024年3月、株式会社KDCホールディングスに入社。執行役員として、グループ45億円・10社の経営企画とM&Aを担当し、翌月にはグループ会社である株式会社間宮電気工業の取締役に就任してPMIに取り組みました。助言する立場から、責任を取る立場へ。
SWOT分析から短期・中期計画の策定。ISO品質管理責任者としてQMS全般の見直し。安全衛生管理体制の再構築と現場パトロール。中途採用16名(電工8名/営業・事務8名)。労務デューデリの指摘事項の潰し込みと就業規則・諸規程の改定。原価管理システムの導入と予実管理の定着。工事完成基準から工事進行基準への会計基準移行。官庁入札の総合評価方式への対応と工事成績評点の分析——結果として、2025年9月〜11月で公共工事4億円の受注。
現場の感覚は、すっかり戻りました。
■ 同じ師匠に学んだ友人が、隣にいた
岐阜の総合建設会社・内藤建設の内藤社長とは、20年来の付き合いになります。株式会社武蔵野の経営サポート会員として、同じ師匠に薫陶を受けた同門であり、経営に対する考え方も近い相手です。
2026年3月、そのNAITOグループに、愛知県豊橋市のアール電装中部が加わりました。同年4月、私は2年務めたKDCホールディングス株式会社の執行役員と間宮電気工業の取締役を退きます。そして4月27日、アール電装中部の代表取締役に就任しました。63歳です。
助言する側の椅子を畳んで、当事者の側に座り直した——そういう転職でした。
社員は約20名。今期の売上見込みは7億円。グループ全体では約100億円規模になりました。大企業ではありません。だからこそ、一人ひとりの成長が、そのまま会社の成長になります。
就任から3か月で取り組んでいるのは、極めて地味なことばかりです。現状を分析して来期と中長期の計画を作る。新卒と中途採用の基準と選考プロセスを整える。健康経営優良法人2026の認定を活かして、働く環境そのものを磨く。EV充電器・蓄電池・V2Hを体感できるショールーム「エコパヤ」を、地域のエネルギーの窓口にする。
派手さはありませんが、これが会社の土台です。基礎が甘い建物は、必ずどこかで傾きます。
■ 未完の大聖堂
好きな建築家は、アントニ・ガウディです。
サグラダ・ファミリアは、着工から140年以上たった今も完成していません。ガウディ自身、自分が生きているうちに完成しないことを知っていた。それでも彼は、後を継ぐ者が読み解けるように設計を遺しました。
会社経営も、まったく同じだと思っています。自分の代で完成させられるものなど、たかが知れている。だからこそ、次の世代が受け継げる形で、仕組みと人を遺す。
土木を学んだ学生が、現場監督になり、社長になり、コンサルタントになり、また社長になった。振り返ると、ずっと「かたちに残るもの」に関わってきた気がします。
2027年、バルセロナに行きます。ガウディの建築を、すべて見るために。長年の夢が、ようやく日程になりました。
社会人39年目。集大成のつもりで、豊橋にいます。