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僕がNHKのディレクターを辞めて感じたコト①

100BLGのメンバーを紹介するインタビューです。今回は、100BLGのCCOの平田知弘さんです。NHKのディレクターを辞めて、現在の仕事を選んだ理由ついて語ってもらいました。2回にわけてお伝えします。

どのような学生時代を送っていましたか?

中高は、ずっとワンダーフォーゲル部で、3千メートル級の山をめぐっていました。大学でも探検部に入って、無人島に行ったり楽しい時間を過ごしました。他の人が行かないようなところに行きたいという気持ちがずっとあったかなと思います。椎名誠や植村直己に憧れたりして・・・

大学3年の時に、たまたま鹿児島の離島を取材した番組を見たのがきっかけで、ジャーナリストとして、見たことのない世界を見たいなと思い、NHKに入ることになりました。

NHKではどんな仕事を?

2002年にNHKに入局して、番組ディレクターとして仕事をしてきました。ドキュメンタリーの番組を作ってきましたが、キャリアの中で特に長いのは、医療福祉の番組ですね。社会の最先端のことを伝えるというよりは、生きづらさを感じている人、社会の片隅に追いやられてしまう人のことが伝えられたという気持ちでやってきました。ハートをつなごうという番組で、2010年に自殺に関する番組を作りました。遺族を取材する中で、それまでごく普通に暮らしてきた人たちが、身近な人を亡くし、自分を責めながら生きていかないといけない。誰も悪くないのに、こんなにも葛藤や疎外を抱えて生きていかないといけない。社会の側が変わらないといけないと感じました。



認知症というテーマとの出会いは?

2006年から認知症に関する番組は10本作ってきました。一番最初に作った番組は、治療薬の最前線というテーマだったのですが、認知症の取材を深める中で、認知症の本人の声を伝えるということに関心が移っていきました。2016年に「本人の声を聴こう」というという番組を制作しました。全国の認知症当事者からメッセージを募集したところ、その中に衝撃的な手紙がありました。小学校の元校長で、59歳の時に認知症と診断された男性からの手紙でした。「自分はアルツハイマー病になった。この先もしかしたら妻に暴力を振るうようになるかもしれない。それが怖い。」「アルツハイマーになったら悪いのでしょうか。」という言葉がありました。病気になったことを恨むのではなく、自分自身を責めているように感じました。認知症になると何もわからなくなるわけではないし、自分の役割を見つけて充実した日々を送っている人は少なくないわけですが、私たちの周りには、偏見や誤った情報があふれています。そうしたものに囲まれながら、認知症と診断された方たちの中にすら「内なる偏見」があるのが現状です。変えなくてはいけないのは、社会の側だと強く思うようになりました。



そうした中、2019年にNHKを退職されたのは、なぜですか?

入局から17年。自由にやらせてもらって、ディレクターとしては、仕事に自信がついてきた時期でもあるのですが、社会を変えるために、このままでいいのだろうかと思うようになりました。番組づくりを重ねれば重ねるほど、目の前の現実に対して、僕は何ができているだろうかと考えるようになってきたんです。社会の風景を変える最初の一歩は、このまま守られた中で伝え続けていても起こらないのではないか、と。

課題や問題点を伝えて社会をよくしようというアプローチではなく、小さな一歩でも、取材を通じて出会ってきた人たちと一緒に最初の一歩を踏み出すことに価値を感じるようになり、その気持ちを抑えられなくなってきました。組織の中で期待される役割と、自分自身が正しいと思えることが乖離してきたのだと思います。2019年の1月には、会社を辞めて、フリーランスでやっていくことにしたんです。

(次回につづく)

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