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”代表、自署”諦めが肝心・ふとんで2年寝ず合格した会計士→それでも経理キャリアへ

Photo by zhang kaiyv on Unsplash

今回のストーリーは公認会計士を目指そうと思った経緯や合格後に絞って、当社の設立動機をご案内します。

貧困に苦しんだ大学生まで・公園で2千円拾って生き延びました(笑)

他の会計士の方と全く違って、27歳まで簿記に触れたり経理を経験したり、資格試験の勉強をしたことはありませんでした。

実は自宅が極貧で、習い事や資格試験、塾通いと無縁の子供時代で、栄養不足でおなかがへっている記憶しかありません。あまりに貧乏だったので、大学では奨学金やバイトができて、とてもお金持ちになった気がしていました。就職活動でバイトができず、家賃が払えずに滞納して、2週間袋ラーメンしか食べない日々、そんな中で、公園で2千円拾い、すぐに吉野家へ駆け込みました。交番に届けるような志向はもちろんありません。

一応、公認会計士があるとしってはいましたが・・・

公認会計士との出会いは、一応、大学入学前にそんな資格がある程度のInputと通っている九州大学で4年生の同期方が合格して、教授に褒められている記憶があります。私は単位が足りずに2回留年して、「安武の成績表は長い。」不可が一杯あると言われていました。何一つ資格もとらず、大学では麻雀の役だけを覚えて、2回留年して、大手の製造業に内定したので、特に何も考えずにいました・・・

20年間リストラを続けて、中国鉄鋼バブルの風を掴んだ鉄鋼業界

入社試験がなく、入社後に試験がある変わった会社・今の日本製鐵(元、新日本製鉄)に入社しました。人事の方に、経理部門を進められましたが、「営業の方がさぼれそう」とか頭がおかしいことを考えて営業部を志望し、自動車業界に特殊鋼を販売する棒線営業部へ配属されました。

長く鉄冷えと言われた斜陽産業としてのリストラを乗り越えて、当時の新日本製鉄は、折からの中国鉄鋼バブルを捉えて、好況にわく営業状況でした。値上げに次ぐ値上げや生産・販売・受注の拡大。人員不足でスカスカの営業組織の中で、週4で会社に泊まって仕事をしました。月曜日の朝は日曜日の夜11時に出勤する。需要予測や予算管理、既存のフレームワークが利用できたり、陳腐化していたり。営業でさぼるつもりも、全く意図が外れて真人間に。

強烈な能力不足を痛感する業務体験があると、なぜか自分を高めようとするもので、27歳くらいから上記の環境で、簿記3級から勉強を開始。簿記2級を取って、経理部門への異動希望をだしました。

コスパで選んだ経理の道、ふとんで2年寝ませんでした!!

簿記2級の取得後に、MBAや資格試験を一通り調べ、費用対効果のスキルアップに公認会計士や経理というのがお得だとおもいました。70万くらい払えば、会計士になれるらしい・・・

大手の予備校TACでケチって上級コースというのが安いので申込して、簿記のDVDを見て固まりました(笑)ようやく会計士とか簿記とかの理解ができたわけで、合格するための計画を申し込み後に立て始めました。

まずは、簿記1級講座を受講して9カ月くらいで簿記1級を取得。28歳で会計士受験を開始して、合格までは布団で寝ないことを決めました。毎朝4時に起床し、5時から会社で試験勉強、仕事もまあまあ忙しい中、平日は朝+帰宅後、休みの日はTACが空いている間は勉強しました。

3日くらい徹夜できる体力も底を尽き、受験を止められる始末

とはいえ、それほど優秀でもないため、学生時代に自動車工場でバイトして握力70・徹夜もできる体力も毎日2-3時間睡眠で2年以上勉強を続けると、完全に体力が底を尽きました。成績はA判定程度に上がったのですが、予算決算で200時間くらい残業する新日本製鉄の働き方だと、決算後の成績はD判定に下降。気ばかり焦って、勉強しずき、まっすぐ歩けないくらいになりました。

当時の上司から当たり前ですが、こっぴどく怒られ、2008年な2010中計の作成期でもあるため、受験の見合わせを申し渡されました。当然だと思います。私も、深く反省し、新日本製鉄に拾ってもらった恩を返すべく、5月以降は一切テキストを開かず、論文式試験の前日も午前1時40分まで会社で計画策定していたことを覚えています。

大量に合格した2008年度試験

ただし、試験だけを考えると私の体調不良と無関係に、会計士試験合格者を増加する政策もあり、2008年度は過去最高の合格者となり、↑なひとも受かってしまいました。

翌日4大監査法人の面接を受けて、2009年2月から有限責任監査法人トーマツへ入所しました。

リーマンショック等による業務縮小・J-SOXバブルの崩壊

振り返ってみても行き当たりばったりで、監査法人で監査をしましたが、リーマンショック等による業務縮小・J-SOXバブルの崩壊もあり、監査法人での業務のスカスカ感は、満たされない日々でした。

勉強しずき、まっすぐ歩けないくらいでしたが、直ぐに公認会計士は諦めて、家族を養うために企業の経理マンへ転職しました・・・というのが創業ストーリーです(中々企業されません(笑))

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