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社会人1年目。社会人デビュー。夢と希望に満ち溢れて、僕の社会人人生はスタートした。
社会人デビュー、注目ルーキーに
就活は大嫌いだったが、そのなかでやっと見つけた自分が惚れた会社で仕事ができる!そんな喜びに満ち溢れて社会人1年目のスタートを切った記憶がある。
(現在は八百屋の社長だが、社会人1年目は営業マンとして働いていた。今とは全く違う仕事)
僕の社会人1年目は、夢と希望と情熱をそのままぶつけた1年間となった。テンション高いまま走り抜けた。1年目って右も左もわからないかわりに、右と左を覚えていく楽しさがある。やればやるだけ自分の力に変わっていく感覚がある。僕は仕事が面白くて仕方なかった、朝から晩まで働き続けた。仕事が好きで仕方なかった。
その甲斐あって、1年目から営業マンとして好成績を残すことができて、きっと注目のルーキーだったと思う。(笑)
2年目の試練と転機
しかしだ!2年目に突入すると、会社のことや業界のことが見えてくる。右も左もわからなった1年前とは違い、右も左もある程度自分でやれることが増えてくる。すると、、、なんだかおもしろくないのだ。わがままなのだろうが、自分自身の成長鈍化という感覚も出てきた。あんなに面白かった仕事が、急に面白くなくなってしまったのだ。1年目に好成績を残してしまったのも、振り返ってみるとよくなかったかもしれない。なんだか、僕は社会人をなめてしまったのかもしれない。
そして、転職を決意し、僕はスーパーマーケットで働くこととなる。
未経験から小売りの世界へ
それがこの業界との初めての接点となる。業界未経験で入社した僕は、この食品業界の魅力に取りつかれたようにのめりこんでいった。社会人をなめていた僕だが、目の前の商品ひとつも売れないという悔しさを味わうことになる。営業マン時代に、好成績だった僕は100円200円の商品ひとつすらも目の前のお客さんに売れないことが、情けなく、悔しかった。「この俺が、こんなに仕事ができないなんて…。」という思いだ。
ここだけの話だが、毎日涙が流れるほど悔しい思いがあり、本当に泣いていた。(笑)
小売りの世界というのは、こんなにも難しく、奥が深いものなのかと、悔しさとは裏腹にその難しさと奥ゆかしさ故にのめりこんでいった。
そして、いつか社長になりたいという夢を持っていた僕は、この仕事の魅力にのめりこみすぎて、自分お店を持ってみたいという思いに至り、独立起業したのが八百鮮という会社だ。
(↑ 2010年に市原が創業した八百屋マンスーパーマーケット)
社会人スタートして、2年で飽きてしまった営業の仕事だったが、小売りの世界ではすでに20年ほど身を置いていることになる。その間飽きることなど、一切なく、やればやるほど魅力に取りつかれていっているのだから不思議だ。
代表市原が学んだ市原の仕事への向き合いかた
できない自分と向き合う面白さというものが仕事にはある。
この経験の中で僕が学んだことは、プライドを捨てることの大切さ。
どこかで営業ができた自分なら、小売りの販売の仕事など“朝飯前”くらいに高をくくっていたのではないかと思う。しかし、まったくできない自分に気付かされた。
プライドは仕事においてもっとも邪魔になる。
「営業として好成績だった」というプライドは転職後の自分の邪魔をした。プライドのある人間には仕事を教えにくい。プライドのある人間から物を買いたいと思う人は少ない。仕事においてプライドは邪魔でしかないのだ。
目の前にある100円200円の商品すら売ることができない。できない自分を認め、向き合い、素直になり、売れる先輩から全てを真似る。これができるようになってからは、それなりに成績を収めることができたが、今でも僕は商売は上手じゃない。いまでこそ社長として商売が上手な人に現場を任せるというスタイルで経営者としてやらせてもらっているが、ものを仕入れて売るだけなら、僕より優秀な社員は山ほどいる。
食品の小売りの世界で継続できたのも、できない自分がいたからだと思う。できないから悔しいし、情けなくなる。時には、自分には向いていないんじゃないかと思うこともたくさんあった。だからこそ、その悔しさが探求心になり、情けなさが己を成長させてくれた。だから、終わることのない「難しさ」への挑戦を続けられたと思うし、できる自分になるための成長欲求が尽きなかったからだと思う。
こんな原体験がもとになって、僕の八百屋ドリーム「八百屋を、日本一かっこよく。」というビジョンにつながったし、できない自分を認める大切さや、プライドを捨てることのマインドに気付かされてきた。
(↑ 八百鮮のビジョンマップ)