4月も中旬頃になると昼休み時や定時後におそらく同期であろう新入社員が固まって街をタムロしている光景をよく見ます。(私が住んでいた名古屋では)
子鴨がくっついて歩いているようでなんだか微笑ましいです。
1~2か月もすると配属も決まっていき、自然と別行動になっていくんですよね、、。
信じてもらえないかもしれませんが、私にも20代の頃があって、その時よく感じていた、仕事のミスに対する指摘について、ちょっと気づいたことがあったので参考まで。
私も若いころは単純なポカミス(又は手抜きからくる雑な仕事)をやらかすことはあり、当然ながら上司や先輩に指摘を受け、叱られることもしばしばありました。
それで当時よく理不尽に感じたのは、確かに間違いだけど別に大した問題じゃないからそこまで厳しく言わなくても、、、というような場面です。
同じような度合のミスをしても前はそんなに厳しく指摘されなかったのに何で今回はここまで言われるのだろう。みたいな。
全く同じミスを繰り返していたわけでもない、、
単に先輩・上司の機嫌が悪かったのか、、、
指摘を聞く態度が悪かったのか、、、
結構モヤモヤしていたことがありました。
結局答えは出ず、当時の私は直接聞くほど勇気もなく。
(昔のIT業界は建設業の現場みたいな感じで、怒号も飛び交い、とてもおっかない人が多かった。個人調べ)
経験とともにミスの内容も変わり、そのうちそんなことを考えることも無くなっていきました。
で、新社会人を見ていてその時のこととか、ふと振り返ってみて
ああ、これかなというものが見えてきました。
・・・長い前フリですみません
考えてみれば至極単純。指摘している部分の違いでした。
若いころの自分は、ミスそのもので起きた迷惑度合の大小を気にしていて、指摘する上司・先輩側は、ミスが起きた根本要素を見ていたんですよね。
つまり、迷惑度合が大きくても本人の意識に問題はなく、経験の浅さなどから来るものなら指摘や注意喚起だけになるけど、怠惰な感情など意識の低さや甘さから来ていたなら、迷惑度合が小さくても厳しく指導されていたということです。
つまりは、先輩や上司は、ミスで発生した問題そのものと、ミスの原因とは別軸で見ていて、本人の意識の低さや甘さを見ており、そこに対して指導していたということだったのです。
それに対して若いころの自分は、意識の部分の視点があまりなくミスした部分しか見ておらず、解決すればいいという視点しか無かった。
だから指導に対する厳しさにギャップを感じてしまっていたんだと。
「最近の若者は・・・」という世代ギャップもそういう視点の違いからきているんじゃないかなと、着慣れていないリクルートスーツの新社会人を見て感じました。
ちなみに「最近の若者は・・・」というのは古代ギリシャの哲学者プラトンもそういう愚痴を言っていたようで、こういうのって数千年続いているようです。
今の新社会人もあと20年くらい社会人続ければ同じこと言っているんでしょうか。
ちなみに私の若いころの世代は世間的には「新人類」とか「バブル世代」って言われていました。今の新社会人は「Z世代」ですかね。 過去には「氷河期」「ゆとり」「さとり」・・・
大体その時の世相とリンクしているので今後は「コロナ世代」とか「コロナ後世代」になっていくのか。
時間は誰にも平等に経過しますが、時間あたりの価値は人により全く異なります。特に若いころの時間はそれだけで貴重なものとも言えます。
よくお金も「投資」なのか「消費」なのか「浪費」なのかを考えるみたいな話がありますが時間も同じだと思います。
新社会人さんにも「その場」「その瞬間」しか無い貴重な時間を有意義に使って欲しいものですね。
でも最近感じるのは「無駄な時間」こそある意味贅沢な時間の使い方だなと逆説的に思ったり。