【新卒3期生】「社会貢献」軸の私が、本気でVision達成しようとしていると感じた | メンバーインタビュー
はじめまして!株式会社ヘルスベイシス新卒3期生の大浦理奈です。この記事では、私の人物像、就活の経緯を中心に、最終的にヘルスベイシスに決めた理由をお話しします。こんな方は、ぜひお読みください。✔ ...
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はじめまして!株式会社ヘルスベイシス新卒3期生の大田鈴佳(おおた れいか)です。
この記事では、私の人物像、就活の経緯を中心に、最終的にヘルスベイシスに決めた理由をお話しします。
こんな方は、ぜひお読みください。
✔ 自分は何者で何がしたいんだろうと悩む方
✔ あの時もっと頑張ればよかったと後悔をしたくない方
最後までお読みいただければ嬉しいです。
<プロフィール>
名前:大田 鈴佳
大学:駒澤大学
見ていた業界:ブライダル、不動産、IT、人材、コンサル
出身:東京都府中市
趣味:漫画を読むこと、アニメ鑑賞、一人で映画観に行ったり博物館などの企画展に行くこと
自分でも自覚しているのですが、とにかくニコニコ過ごしていたの一言に尽きると思います。当時のクラス内での私のキャラクター像は、空手・ピアノ・バスケを習い、休み時間は絶対に外遊びをするほど、「アクティブな子」だと思います。
友達とは一度も喧嘩せず、雰囲気が悪くなりそうになったら自分から折れる、あまり自分のやりたいことは主張しないなど、大人しい面もありました。それが友達からみたら、「優しい子」とも思われていました。しかし正直、当時の私としては、しっかり自分を主張することができる友達を、少し羨ましく思った記憶があります。
中学校で、女子バレーボール部に入部したことで、自分の性格が大きく変わりました。
女子バレーボール部で過ごした3年間は、新しい経験ばかりでした。1年生の時は、練習を休みがちな同期1人と1人しかいない2年生の先輩と練習し、昭和風の体育教師の顧問に怒られる日々を過ごしました。2年生の時は、顧問が変わったのですが、休みがちな同期と練習熱心な10人ほどの後輩たちで揉め、後輩たちが練習をボイコットするハプニングがあるなど、個人的にとても濃い3年間でした。
しかし、部活を辞めたいと考えたことは一度もありませんでした。このチームを支えていく人が自分しかいないと考えていたのもありますが、辞めたいと考える以前に自分がバレーボールという競技にハマっていたからです。
どうしようもない状況で、ひたすら状況打破のために、自分はどうするべきかを常に考えていた3年間だったと思います。しかし、そんな状況下でも、先輩と密な関係を築くことができ、同期と後輩たちのトラブルを解決した際には、それまで以上に互いのことを思いやることができるチームに成長したことに喜びを感じ、とても楽しい3年間でもありました。
女子バレーボール部時代は、現在の私を形成するのに大部分を占めていると思っています。
中学校1年生の時の顧問は、パス練のとき常に「相手が取りやすいボールを出せ」と言っていました。パスをもらった相手が良い形で次のプレーにつなげるためでもあります。そこから、相手にとって取りやすいパスは何か、自分はどのようなパスをもらったら嬉しいと思うか、という意識が生まれました。それ以降、自分がどのような態勢であっても、次の仲間がどのようなボールをもらったら次に繋げられるかと考えながら、プレーするようになりました。
この意識は、バレーボール以外でも生かされ、中学、その後の高校の部活動での後輩へのアドバイス、大学時代でのアルバイトで、相手が理解しやすいようにコミュニケーションをとっていました。
高校でも、女子バレーボール部に所属したのですが、そこで大きな壁にぶつかることになります。
2年生になり、私はキャプテンとして、中学と同様、同期1人とともに、10人ほど入った後輩たちを引っ張っていく存在となりました。そこで直面した課題が、他校との明らかな技術力の差でした。それまで私は、中学強豪校出身の先輩たちに混ざってプレーをしていたために、先輩引退後、後輩たちに混ざってプレーすることになり、技術力の差を感じました。
表にははっきり出さなかったのですが、私自身、とても負けず嫌いだったので、夏休みが明けても、私たち2年生と同じ技術力をもつ後輩が少なく、焦りとともに苛立ちを感じていました。後輩たちの努力している姿を見ていましたが、当時の私としては、「引退まで1年切っているのに、なんでできないことが多いのか。どれだけ練習を頑張っていても、結果を出せなきゃ意味がないのではないか。」という気持ちがありました。
それを、引退した先輩に相談したところ、「試合に勝てなきゃ意味がないっていう気持ちもわかる。でも、勝つだけがすべてじゃないっていうのも大事だと思う。プロセスもちゃんと見てあげなきゃ」と、諫めてくれました。それを聞いたとき、それまでの考えを反省するとともに、そう考えていた自分がなんだか恥ずかしく感じました。
その後、後輩たちにとって、1年生から試合経験を積むことができるということは、他校の1年生にはない利点だと考えるようになりました。チームとして、試合に勝つことは一つの目標としながらも、後輩たちが他校のどの学校よりも経験値や技術力をもったチームになれるように、基礎練習が多いメニューを実施し、後輩育成のサポートをすることで、自分のなかでモチベーションをあげました。
高校時代のバレーボールは、状況を悲観せず、前向きに考え、捉える経験が多くありました。この経験により、今後の生活でも、何事も角度を変えて前向きに捉えるようになったので、とても貴重な経験をしたと思います。
入学時、コロナ禍1年目だったのですが、じっとしているのが元々苦手だったため、何もためらわず4月からマクドナルドのアルバイトを始めました。尊敬できる先輩方に出会えたおかげで、アルバイトといえでも、働くうえで大事な意識やマナーを学ぶことができました。その年の秋頃に、オンラインでサークルフェスティバルが開催され、活動再開の見込みはなかったのですが、バレーボールサークルに入会しました。
2年生になり、徐々に授業が対面で行われ、サークル活動も再開され、やっと大学生活がスタートしたような気がしました。マクドナルドのアルバイトでも、トレーナーに昇格し、先輩の勧めでお客様サポートをするポジションのトレーニングが始まりました。そのなかで、お客様のために何か役に立てることをしたときやオーダー以外のコミュニケーションをとったときの楽しさを感じ、お客様が過ごしやすい環境を常に整えることにやりがいを感じるようになりました。
3年生になり、違うアルバイトをしてみたいという興味から、マクドナルドと並行して木曽路のアルバイトを始めました。そこでは、マクドナルドとは正反対の、日本式のおもてなしや作法を学ぶことができました。また、お客様のニーズや私たち接客従業員に求められるスキルも全く違ったので、今までとのギャップを感じ、視野を広げる意味でもとても楽しいと感じました。
日本史が好きで歴史学科に入学し、アルバイトを中心に様々な年齢や考え方の人と出会い、コミュニケーションをとってきた大学生活は、ほとんどがコロナ禍ではあったものの、とても充実していました。
こうして過去を振り返ってみると、私は、
「どんな状況でも前向きに捉え」
「関わる相手の立場になって考え行動し」
「周りの人と協力しながら目標に向かって進むことが好き」
という特徴をもった性格だということに気づきました。
ここに書いていないことも含め、自分には就職活動で使えるガクチカはたくさんあると思っていたので、そこまで不安を持たずに3年の夏からスタートしました。
しかし、すぐに自分が何者なのか分からないという壁にぶつかることになりました。
この学生時代を通して、他薦でキャプテンや委員会を務めたり、リーダーをやるときは、自分の意見を主張するよりもチームメンバーの意見をまとめ、その折衷案を提案することが多かったため、いつも自分が何やりたいか分からず、今まで生きていたとも思いました。
アルバイトの経験が生かしやすいサービス業界をメインにしていましたが、特に業界や職種、会社の規模、知名度などを絞らずに就職活動を進めました。当初は、進めていくうちに自分がやりたいことも見つかるだろうと漠然に思っていました。しかし、何度、就活セミナーや会社説明会の一環で行われる自己分析を行っても、ぼんやりとした自分しか浮かばず、何より将来どんな自分になりたいか想像することが一番難しかったです。
そんな状態のまま、自分にとって人間関係が築きやすい環境が整っていることを就活軸に10月から早期選考を受けはじめました。2月に、夏から何度もインターンに参加し、入社意欲が高かったブライダル企業2社の早期選考に落ちたことで、自分のなかでかなり焦りを感じました。
そこから、もう一度業界研究や企業研究を行い、それまでみていなかった業界にも視野を広げました。当時、自己分析は納得できていない部分もありましたが、これ以上やってもあまり変化はないと思い、再度やり直そうとしませんでした。
しかし、それが余計自分がやりたいことが何か分からなくなる原因になりました。
当時いただいていた内定にも満足することができない自分もおり、やみくも就活に近い状況のなか、「自分は何者で何がしたいんだろう」という思考がずっとループしていました。そのような状態でも、内定先に満足できていない理由が、自分にとって新しい環境ではなく、わくわく感を感じていないからだと気づくことができました。
ある企業での説明会で、「20代は厳しい環境に身をおくべき」というお話を聞いたことで、自分は新しい環境を求めているのかもしれないと思い、5月頃に就活軸を、自己成長できる環境に変えました。
そんななかで出会ったのが、ヘルスベイシスでした。
ヘルスベイシスの選考は、今まで受けてきた企業とは、違う点がいくつもあり、学ばせていただくことも多くありました。面談や面接を何度も行っていくうちに、自分だけでは言語化や再認識することができなかったことに気づくことができ、なぜ自分が自己成長したいのかが徐々に形作られていく実感がありました。
たくさんの面談を通して気づいた現時点での自分のありたい姿は、「スキルを身につけながら、将来的にどんなキャリアプランでも創れるようになりたい」です。未来のことは未来にならないとわからないものです。だったら、それまでに身につけられるスキルは学び、未来の自分が「あの時もっと頑張ればよかった」と後悔しないようにしたいと考えるようになりました。
それでも、私のなかでまだ迷いがあったのも事実です。いわゆる決め手がみつからないというものです。
そんな状態のまま、ヘルスベイシスの最終面接に臨みました。
最終面接で、私からの質問に対し、「そういう意味のない質問じゃなくて、素の大田さんと話したい」と言われ、思わず涙が出てきてしまいました。今考えても、なぜ泣いてしまったのか理由が出てこないのですが、「素の大田さん」という言葉が一番刺さった記憶があります。
私のある質問に対し、「この質問の意図は何ですか」と聞かれ、泣きながら私は「今自分がもっている価値観と照らし合わせたいからです」と答えました。それに返ってきた答えは、「学生時代しか過ごしていないその価値観ではかるのは、結果的に自分の価値観を狭めることになるし、これから先何度も変わる価値観をここで決定してしまうのはよくない」と言われました。
これを聞いたとき、自分が少なからず驕っていた面があったと気づき、とても恥ずかしく感じました。
他社の最終面接を経て、入社の決め手をみつけることにとても苦労しました。正直、どの企業に入社しても、とても充実するだろうし、学べることも多くあると感じていました。福利厚生の充実度であったり、年間休日の日数や昇給・賞与の頻度などで差をつけて決める方法もありましたが、私は、それらで入社を決めたくないと思っていました。
そんななかで、思い出したことが、自分の直感で高校受験での志望校を決めたことでした。
中学3年生の夏休み、母と一緒に自分の偏差値に合った高校の学校説明会をいくつか訪問しました。多くの学校が、自校のカリキュラムや大学受験時の学校としての取り組みをメインに話すなか、ある学校だけが、終始、校長先生の好きな本の話から始まり、自校の生徒の誇れるところや充実な高校生活には何が大切であるか、自分は生徒たちにこういう学校生活を送ってほしいなどをたくさん話してくれました。
私は、その校長先生に対してとても面白い先生だと感じ、この先生がいる学校なら楽しく過ごせる気がするという直感から、その学校を志望校に定め、猛勉強し、晴れてその学校の生徒となりました。高校在学中や卒業後に、何度も楽しかった思い出を思い返しては、中学3年生の自分とその直感にとても感謝しています。
その経験から、多くの気づきを得ることができた企業は、ヘルスベイシスだけで、ヘルスベイシスなら、これからももっと自分にはない気づきを得ることができるのではないかという直感から、入社を決めました。
就職活動という言葉を聞いただけで、やる気が失せてしまう方もいると思います。やることがたくさんあり、体力も精神も削ることになります。私のように、自分がどういう人間で、何がしたいのか全くわからないという方は多いと思います。
そんな私からのアドバイスとしては、「就活は、自分ととことん向き合うチャンスであり、前向きになんでも楽しんでいこう」です。
就職活動中、辛いこともありましたが、基本的に楽しんでやっていました。自己分析であれば、他人からはこう思われていたんだという気づきであったり、業界研究であれば、自分が今まで知らなかったことがたくさんありました。それが自分にとって面白くて、全く受ける予定のなかったエンタメや金融業界なども調べたりしていました。
就活期間が長くなればなるほど、焦ってしまう方もいらっしゃると思います。そんな時こそ焦らず、「自己分析の時間が増え、自分をもっと深く理解できる」と捉えましょう。長期間になってしまっても、自分が納得できる企業に出会うことが一番大切だと思います。焦らず常に努力し続ければ、いつか実を結ぶときが必ず来ます。
就職活動の正解はその人それぞれで全く違います。この記事を読んでいる皆様が、納得のいく就職活動を送れることを祈っています。
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