高校卒業後、私は秋田を離れ、オーストラリアで2年間暮らしました。19歳でシドニーのシェアハウス運営を始め、3軒まで広げて事業を売却。その後、1年半の世界一周を経て、ミャンマーで映像制作会社を立ち上げました。帰国後はコンサルティング会社とLITALICOで働き、故郷の秋田でBarrier Freeを創業しました。
経歴だけを見ると、迷いなく挑戦を続けてきたように映るかもしれません。しかし、その出発点は、自信に満ちたものではありませんでした。
挑戦する機会が、人を変える
18歳の頃、海外で働きすぎで心身の調子を崩し、精神科へ通った経験があります。当時の私は、自分にできることがあるという感覚を十分に持てていませんでした。そんな自分が変わるきっかけになったのが、海外へ出て、実際に仕事や事業へ挑戦する機会を得たことでした。
シドニーでは、最初から知識や十分な資金があったわけではありません。それでも目の前の課題を一つずつ解決し、シェアハウスを3軒まで広げ、事業を引き継いでもらうところまで進めることができました。言葉も文化も異なる環境で、小さな『できた』を重ねた経験が自信になりました。
人は、能力がないから挑戦できないのではなく、安心して挑戦できる機会や成功体験が不足していることがあります。
この実感が、現在のBarrier Freeが大切にする『安心と挑戦の両立』につながっています。
海外で気づいた、スタートラインの違い
<1年半のバックパッカー世界一周>
世界を巡り、ミャンマーで人脈も知識も資金もほとんどない状態から事業を始める中で強く感じたのは、生まれた場所や家庭環境、所得、国籍などによって、人生のスタートラインは同じではないということでした。
現地では事務所もカフェから始まり、仕事が思うように進まない時期もありました。
それでも社員や顧客が増え、事業を次の会社へ引き継げるまで成長した経験は、ゼロから組織をつくる難しさと面白さの両方を教えてくれました。
私は海外へ挑戦する機会を得たからこそ、自信を持つことができました。
一方で、本人の努力とは関係なく、挑戦の入口にさえ立ちにくい人がいます。
だからこそ、『生まれてきた環境や属性に関係なく、自分のやりたいことに挑戦できる社会をつくりたい』と考えるようになりました。
本人だけに変化を求めるのではなく、社会や仕事の環境の側を変える。この考えが、Barrier FreeのVision『もっと、バリアフリー』の原点です。
<ミャンマーでは生まれた環境を理由に将来を諦めている方がたくさんいる一方で、日本で働くことを夢見てお寺で必死に日本語を勉強する方とも触れ合ってきた>
突破力だけでは、続く組織はつくれない
海外での事業は、勢いと突破力で前へ進めた部分が大きく、営業や育成を仕組みにする力は十分ではありませんでした。その未熟さを認め、コンサルティング会社へ入り、KPIをもとに仮説と振り返りを重ねること、個人の経験をチームの仕組みに変えることを学びました。さらにLITALICOでは、全国1,000を超える就労支援事業所の方々と対話しました。本気で業界を良くしようとする事業所がある一方で、『障がいのある方の仕事だから安くてよい』という前提や、メンバーの成長とその先の就職に十分向き合えていない現場も見てきました。
<お世話になったLITALICOを卒業>
良い支援を続けるためには、支援者の思いだけでなく、地域企業から選ばれる仕事と、持続できる事業の仕組みが必要です。
そこで故郷の秋田から、支援と事業を分けず、実際の顧客の仕事を通じて成長と自立を支える就労支援を始めました。現在は秋田・盛岡の各拠点で、PC業務、デザイン、SNS運用、バックオフィス、施設外就労など、地域の中で選べる仕事を増やしています。メンバーが期待を超える仕事をし、その姿を地域企業に見てもらうことで、『障がいがあるからできない』という認識を実績から変えていく。海外で培った突破力と、会社員時代に学んだ仕組み化の両方を生かし、個人の頑張りだけに依存しない形で社会の側へ働きかけています。
まとめ
海外で得た小さな成功体験も、ミャンマーで感じた機会の不平等も、就労支援業界で抱いた問題意識も、すべて現在のBarrier Freeにつながっています。目の前の人を支援するだけでなく、その人の働く姿と成果を通じて地域のバイアスを変え、卒業後も安心して働ける環境を企業と一緒につくる。
東北の現場からこの変化を積み重ね、地域が変わっても挑戦できる選択肢を増やしていきたいと考えています。