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ヒダカラで企画営業&採用担当をしている田口です。
入社して3年半が経ちますが、いまだに自分がヒダカラへのエントリーシートに書いた一言が忘れられずにいます。
「飛騨を好きになりたい」
ヒダカラは、飛騨のタカラモノを発掘し、その魅力を伝えていく地域商社。その会社へのエントリーシートに「飛騨が好きです!」ではなく「飛騨を好きになりたい」。暗に「今は飛騨が好きではないです」って言っているような一言を書いてよく採用してもらえたものです。
でも、嘘偽りない本当の気持ちでした。
私は生まれも育ちも東京。大学時代に渡米したとき以外はずっと東京に暮らしていました。友達も家族も親戚も皆東京にいる。だから東京を離れることなんて一生ないと思っていました。東京を離れる理由なんてひとつもなかった。
でも、飛騨の祖父母の家を継ぐと決めていた夫に出会い、飛騨に移住することになりました。人生って分からないものですね。
勿論、自分で納得して、結婚して、生後6か月の息子を連れて飛騨に来ました。でも、田舎暮らしは私にとって想像以上にカルチャーショックがあったし、なにより孤独との闘いに折り合いをつけるのに時間がかかりました。
夫の祖父母の家を継いだので、ご近所の方々は気にかけてくれました。とはいえ、夫も岐阜県出身ではない。日中仕事で家にいない。私と子どもは児童館には行くけど、そこでできるのは「ママ友」であって、自分の友達ではない。皆よくしてくれるけど、ちょっと放っておいてほしい時もあった。
30歳で突然始まった知らない土地での暮らしにかなり苦戦しました。孤独だったなぁ。
・・・
そんな感じで飛騨での生活をスタートさせたので、「飛騨を好き」なんてカンタンには思えませんでした。
飛騨の楽しみ方の入り口として、よく皆さん言う「自然を楽しむ」というのもまったく加点ポイントにならなかった。私はもともと山が好きなわけでもないし、むしろインドア派の人間だから。(今思えばとても失礼で、とても勿体ないことをしていました)
御嶽山
そんな私も「こんな風にずっと暮らしを楽しめないのは嫌だ」「子供経由じゃなくて自分の知り合いを増やしたい」と思うように。
そして、ご縁がありヒダカラに入社し、「飛騨を好きになりたい」を仕事を通じて実践していくこととなりました。
ヒダカラに入って私がどうやって飛騨が大好きな人間になっていったか、思いつく3つをご紹介します。
①スタッフみんなが飛騨が好きすぎた
<ヒダカラの仲間たち>
ヒダカラに入って驚いたのは「え、みんな飛騨めちゃくちゃ好きじゃん!!」ということ。
確かに飛騨の魅力を発信する仕事。飛騨が好きに決まってるか、と思いつつ、中には私のように旦那さんの都合で飛騨に来た方もいました。
入社時隣の席で色々おしえてくれたちかさんはそのひとり。でも私とはまったく違い、山登りが好きで「こんなに山が近い環境なかなかない!」と興奮気味に教えてくれたのを覚えています。
<ちいかわになって登場したちかさん>
飛騨が好きで、飛騨で暮らしたいという想いが強いあまり、大阪のデザイン事務所を辞めUターンしたデザイナーのまなさん。彼女の心の底から湧き出るような情熱の飛騨愛。それをどんどんデザインにしてしまう力強さに圧倒されました。
<まなさんと一緒に担当した広報誌>
そういう皆の想いは、仕事に反映されていました。それぞれ思う飛騨の魅力を心の中に持っているからこそ、どんな仕事に取り組むにしても「ブレない芯」みたいなものがしっかりあるように見えました。
だからこそ作り手への理解の解像度だったり、アウトプットの成熟度が高い。
あぁ、わたし。こんな気持ちで入社しちゃって、ごめんなさい!と思ったほどでした。
②飛騨の大量インプット&アウトプット
これまで家で子どもとすごしていた私にとって、入社して浴びた飛騨の情報、口にした飛騨の食べ物、耳にする飛騨弁は、とてつもなく多い情報量で、入社して飛騨をインプットしまくったことにより、一気に視界が開けたような感覚になりました。
子どもと自分の世界から、突然異世界に飛び出したような気分でした。
夫からは「水を得た魚」と言われたほど、毎日が新鮮で楽しくて、本当に本当に出会うすべてのモノ・人・こと、関わるプロジェクトが私の栄養分となっているようでした。
<入社してすぐ担当させてもらったクラファン『帰ってきた #おうちで飛騨牛』>
代表2人も、何かオモシロそうな意見がでると「めっちゃいいね!やろう!」と言い、その瞬間に全力ダッシュで走り出しているような人たち。そのスピード感に驚きつつ、一緒にその波に乗れるようなワクワク感がありました。
とにかく何事も、インプットとアウトプットがセットで大切と言われますよね。インプットだけしていても意味がないし、アウトプットだけしていてもいつかアイディアが枯渇してしまう。
私はヒダカラに入社したことにより、「飛騨のインプットとアウトプット」を大量におこなう環境に身を置くことができたので、「飛騨のことを知る」「飛騨の事業者さんや自治体と一緒に仕事する」を繰り替えしていきました。
やったことのない仕事も多かったので、トライ&エラーで、周りにも助けてもらいながら爆速PDCAが回っていた気がします。私自身が爆速PDCAを回していたというより、会社の爆速PDCAが回っていて、そこをマグロのように自動的にずっと泳いでいた感覚です(笑)。
③飛騨の美味しいものを食べ続けられる贅沢環境
移住してから、飛騨は食べ物がおいしい。それは感じていました。ヒダカラに入る前も地域の美味しいものは機会があれば食べてみたり、近所の人から朝採れの野菜をいただいたり。(玄関前に大量の大根が並べてあったときは何らかの儀式が行われるのかと思った)
でも、ヒダカラに入ったら、それまで知らなかった美味しいものにすごい勢いで出会いました。
例えば、ヒダカラに入ってから初めて知ったソヤ畦畑さん。
オフィスに野菜を販売しに来てくださったことがあり、ソヤさんの野菜を見て「何て美しいんだろう…」と見とれたほど。そして調理すると見た目もかわいくてジューシー!
<初めて出会う野菜もたくさんあって、見てるだけでワクワクする>
水村農園さんのネギにいたっては、「私今まで食べてたの本当にネギだったのでしょうか…」と思う程のジューシーで甘いネギで。初めて食べたときは感動で言葉を失いました。
<焼いて、たまご、めんつゆ、かつおぶしをのせて食べるのが好きです。>
こういう出会いがいくつもいくつもあって、東京に暮らしていた時は、スーパーで野菜を買うだけで、そこに売っているものが普通だと思っていたのに、「野菜ってこんなに美味しいんだ」と気づかされました。
野菜だけでなく、お米も、鮎も桃も、乳製品も、お餅も…ここには書ききれないほどの感動がありました。
わたし、やっと生物として人間にさせてもらっている。そんな気にすらさせてもらった経験です。
ヒダカラに入社しなかったら、ずっと飛騨が嫌いだったかもしれない
<深山豆富店のイベントに出役中のわたし>
「飛騨を好きになりたい」と言っていた私ですが、今では、普通に「飛騨が好き」と言えるようになりました。
ヒダカラに入る前の私は、「田舎だからしょうがない」「別に好きにならなくたっていい」などとぼやきながら、やりたい仕事も見つけられずくすぶっていました。
それまで東京でやってきた仕事とは全く違う仕事で、未経験で入社したのに3年半でいろんなことができるようになったし、何よりちゃんと飛騨を自分の言葉で語れるようになった。移住する前の私には想像できなかった自分になった。
ヒダカラに入っていなければ、今頃、ソファでゴロゴロしながらテレビを見て「あー飛騨はつまんない」って言っていたかもしれません。それだけ多くの出会いが私を飛騨好きにしてくれたということ。
くすぶっている時間は少し長かったけれど、ちゃんとこうして飛騨を好きになって楽しい毎日を過ごしています。
今、もし自分の暮らしている町が好きになれなくても、きっと、ちょっとしたきっかけで世界が変わる瞬間があるはずです。時間がかかるかもしれないけど、無理しなくて大丈夫。
私みたいに「飛騨を好きになりたい」なんてエントリーシートに書いて、飛騨の地域商社に就職できた人間がここにいますから!