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誰もが仕事に熱狂できる組織を目指して。オンボーディングプラットフォーム「Onn」が生まれるまで。

今回、お届けするのはワークサイドの代表 秋山が従業員の入社体験を向上させるオンボーディングプラットフォーム「Onn(オン)」を生み出すまでの創業ストーリーです。働くことを楽しみ、時に苦しみながら組織が提供する従業員体験の重要性を実感し、Onnのアイディアにたどり着くまでの秋山の軌跡をご紹介します!


働く喜びをみんなに

――「仕事」や「組織」の領域でサービスを立ち上げたきっかけやルーツはどこにあるのでしょうか?

原点は学生時代の就職活動にあります。

OB訪問をする中で自分と大して年齢が変わらないのに「すごい!こうなりたい!」と思わされる人たちの姿を目の当たりにしたんです。仕事を通じて何かを良くしたり誰かを幸せにしようと志す彼らの熱量に触れ「働くことってこんなにエキサイティングなんだ!」とワクワクしました。

自分の世界がどんどん広がっていくOB訪問が楽しくて、気付けば出会ったOBは100人超。就職活動を終えてからは就活支援事業を展開するスタートアップで学生インターンとして働き、就活支援団体も3つ掛け持ちしていました。


私自身はそうやって働くことの意義深さやおもしろさにのめり込んでいったんですが、就職活動に対してすごくネガティブな友人もいました。やりたいことが見つからない、就活の軸が定まらない、どうにかしたいけど何をすればいいのかさえわからない…。

社会に出たことがない学生がそうなるのはむしろ普通だと今となっては思うのですが、当時は「どうしてこんなに楽しい機会があるのに没頭できないんだろう…」と思っていました。


――なぜ自分だけでなく他人にも働く楽しさを感じてほしいと思ったのですか?

シンプルに、悩んでいる仲間に手を差し伸べたかったんです。

私は小さい頃から誰かを喜ばせるのが好きでした。5歳くらいから毎年両親の誕生日会を開いたり、小学生のときはノートでロールプレイングゲームをつくって弟を楽しませたり。大学生になってもテニスサークルで合宿の企画統括をやったりして、メンバーが喜ぶ瞬間をつくるのが好きだったんです。

当時たくさんのOBに会って自分の中に蓄積された就職活動や仕事に関する知識をサークルの仲間に伝えようと、居酒屋でちょっとした就活講座を開きました。講座が終わる頃には悩んでいた彼らの表情が明るくなり「自信が持てた!」「前向きになれた!」と喜んでもらえたことが印象に残っています。思えばこれがOnnのサービスづくりにおける原体験なのかもしれません。


リクルートで味わった最高の入社体験

――「就活に熱狂」した学生が新卒で選んだ会社は?

新卒ではリクルートキャリアに入社しました。OB訪問で会ったリクルートの社員はみんな仕事に熱狂し、情熱を持って働いているように見えました。5人10人と会えば温度差も出てくるのかと思っていたのです

もう一社、リクルートの競合企業とも迷っていたのですが、彼らが説明会や面接で語ることはいつも「リクルートをどう倒すか」。一方のリクルートは誰もが「世の中をどう良くしていくか」を語っていました。

誰かを喜ばせることが好きだったと述べましたが、その「誰か」って拡張していくとやがて「世の中」になるんです。せっかく人生を賭けるならそんな風に働きたいと思い、入社を決意しました。


――リクルートではどんな若手時代を過ごしましたか?

新卒では自ら希望した営業に配属されました。達成意欲や競争心、成長意欲が強い自分に合っているし、いちばん成果を出せるのは営業だと思っていました。

スタートダッシュを狙って学生のうちからガッツリ働いていたこともあり、入社3ヶ月で顧客の新規開拓数で全社トップになるなど滑り出しは好調でした。早朝から深夜まで猛烈に働き、成果を積み上げて5年目には全社表彰を受けることができました。

思えば新卒のときのメンターが提供してくれた体験はすばらしく、それがなければこんなスタートは切れなかったと思います。「困ったことがあればいつでも言って来いよ!」の言葉に始まり、私のために時間を割いて毎日1on1、さらには関係づくりのために社内のキーマンとひとりずつ引き合わせるところまでやってもらいました。

おかげで社内の理解が進み、先輩社員との連携が取りやすくなって仕事の成果にもつながりました。何より良かったのは魅力的な先輩たちとの会話を通じて会社を好きになれたことです。


新天地での苦悩

――その後も順風満帆なキャリアを歩むことができたのですか?

それがそうでもないんです…。

入社5年目、自分の成長スピードの鈍化に焦りを感じていたタイミングで尊敬していた先輩社員に「お前は非連続で成長できてるのか?」と言われました。「120%くらいの成長はできてるんだろうけど、200%を目指すなら環境を変えたほうがいい。」と。

先輩とは出張先で飲んでいたんですが、急いで家に戻ってその日が締め切りだった海外駐在の社内公募ポジションに滑り込みで応募し、無事に書類審査と面接を通過して2ヶ月後からシンガポール駐在が決定しました。

赴任先では「日本で全社表彰を受けた人材」として高いパフォーマンスを期待されていましたが、英語もロクに話せない状態で飛び込んだためコミュニケーションが上手く取れず、スタートダッシュどころか完全に出遅れてしまいました。



周囲は「即戦力じゃないの?大丈夫アイツ?」という雰囲気。一人前の人材として全て任されているので「できません」とは言えず、上司とは十分なコミュニケーションが取れませんでした。チームのマネジメントどころか自分一人の業績さえままならない中で不安が募り、成果が出ないために上司からのプレッシャーが強くなってますます焦る悪循環。コンフォートゾーンに留まるまいと自ら願い出た異動でしたが、本当に苦しい日々でした。

社内異動にこそ手厚いサポート、オンボーディングが必要だと実感した経験です。


――その後は何を?

シンガポール赴任直後の半年はかなり苦しみましたが次の半年で持ち直し、駐在の任期1年が終わる頃には何とか成果も出せました。現地での成果を手土産に「帰国後は事業開発がやりたいです!」と申し入れ、これが認められて念願の事業開発を担当することになりました。さらにその後は社内起業のポジションに応募して「サンカク」というサービスを立ち上げました。


――新しい挑戦は上手くいきましたか?

実はシンガポールのときと全く同じ失敗をしました…。

営業と事業開発の両方を統括する立場で着任したのですが、ここでも即戦力としての期待を一身に背負うことに。チームには全社の組織再編で考え方や文化の違うメンバーが集められたのですが、彼らを上手く束ねることができませんでした。またしても「即戦力じゃないの?大丈夫アイツ?」という目を向けられ、苦しいスタートになってしまいました。

事業づくりはそれまでの営業とは違い、誰かがつくったものを売るのではなく今そこにない価値を自ら生み出していく仕事。変数やドライバも多く、多少勉強したことはあっても実践経験のない自分は素人同然。キャッチアップにはとても苦労しました。

チームが教えてくれた「熱狂」

――ゼロイチの事業立ち上げにこだわったのはどうしてですか?

サンカクの立ち上げに挑戦した背景にあったのはコンプレックスです。営業としては国内外で経験を積んだものの、内実は「世の中を良くしたい!」と言いながらイチ営業として顧客に商材を売っているだけ。今ある価値を届けることはできても新しい価値を生み出すことができていない事実に強烈な焦りを感じていました。

名刺の発注担当に「減り方が異常」と言われるくらいたくさんの企業を訪ね、事業の種を求めて多いときで月に300人くらいにヒアリングしました。当時はまだ副業が一般的でない時代。優秀な人に来てほしい企業と、違う環境で力を試してみたいビジネスパーソンを引き合わせ「仕事を辞めずに成長企業の経営にサンカクできる」機会を提供するマッチングビジネスを思いついたんです。


――やはり、苦しい体験でしたか?

会社からは500万円の資金だけが与えられ、そこから先は全て自分の責任。自分でメンバーを採用し、社会人になって初めてチームでのモノづくりを経験することになりました。確かに苦労もしましたが、自分一人で売上をつくっていた営業時代には経験できなかった共創という喜びに出会えたのも事実です。


私が足を使って何百人ものユーザーにヒアリングし、イメージした理想像をUXデザイナーがサービス設計やデザインに落としてくれ、それをエンジニアが一人で開発してくれて2ヶ月足らずでリリースまで持っていくことができたんです。

リリース初日にBRIDGEに取り上げられ、SNSでもバズり、あっという間にユーザーが1,000人を超えて反響は非常に大きなものになりました。インターネットサービスが秘めたポテンシャルに驚くと同時に、自分たちが生み出したサービスが世の中を動かそうとしている事実に魂が震える思いでした。「ネットサービスってすげぇ!」と。

ヒアリングを重ねてニーズを確信していたとしても、出すまではわからない不確実性は残ります。不安との戦いの中で大きな反響を目の当たりにしたそのとき、強みの違う仲間が集まってひとつの事業をつくり上げていく仕事が心の底から楽しいと感じました。

自走する組織づくりの難しさ

――事業の成長に伴って組織はどう変化しましたか?

その後の展開は事業責任者としては失敗体験です。

リリース直後にこそ大きな反響がありましたが、事業を急成長させることができずに力不足を感じる場面が増えてきました。サービスコンセプトには多くの共感が寄せられたものの、それを実現するための仮説検証サイクルを高速で回すことができず、事業も組織も少しずつ勢いを失っていきました。


途中から私は別のサービスを兼務することになったのですが、リーダーの迷いはチームに伝わってしまうもの。会社の意向に合わせて仕事を掛け持ち、事業に対する向き合い方に中途半端さが拭えないリーダーがメンバーから強いコミットを引き出せるはずがありません。

サンカクには2年半ほど関わりましたが、メンバーの自走を促したり組織の一体感を生み出すことができず、結果として自走する組織をつくり上げることができませんでした。人を活かし、組織の文化を醸成する意識が希薄だったと大いに反省しています。

このときの組織づくりに対する心残りもまた、今のサービスにつながる経験だと思っています。

Onnが生まれた理由

――リクルートを退職したのはなぜですか?

当時社内でサービスの兼務が増えたことや、人員や予算の計画に一定の制約がかかることから、世の中を良くするプロダクトを生み出すことに集中しづらいと個人的に感じていました。自分のピュアな思いを形にし、自分が実現したい世界を最短でつくるなら外に出たほうがいいと思ったんです。


――なぜ、Onnをつくろうと思ったのですか?

リクルート退職後はフリーランスとして企業の採用支援やコンサルティングをやっていました。ここでもたくさんの企業と話をしましたが、オンボーディングに悩む組織が本当に多かった。「手を付けたいんだけ


元々採用支援の領域で営業をやっていたときから「苦労して採用した人材を入社後に上手くサポートできていない」という課題を頻繁に耳にしていました。そのためオンボーディングが多くの企業に共通する課題であることをスッと理解できたんです。

せっかく採用した人材が育たなかったりすぐ辞めてしまうことには多くの人事や経営者が悩んでいますし、その先にはかつて自分がそうだったように、新しい組織でイマイチな体験をして仕事を楽しめずに苦しんでいる入社者がいることも鮮明にイメージできました。

入社者の体験を良くすることで仕事を楽しむ人が増え、それがやがて組織を強くし、最終的に世の中を良くしていく…。これが実現したい「あるべき姿」だと自分の中に情熱が湧いてきたんです。

本来、誰もが働くことで幸せを実感したいはずなのに、現実はそうなっていません。何とかそのギャップを埋めたいんです。私個人が楽しく働くだけでは世の中は良くならない。世の中を良くする仕事が私にとって人生を賭すべき仕事であり、やりがいなんです。

Onnの目指す世界

――これからOnnをどんな風に育てたいですか?

オンボーディング体験が良くならない原因のひとつは組織構造にあると思います。会社員である以上は与えられた責務があり、それを逸脱する行動は起こしにくい。ひとりの入社者を迎え入れる上で「採用は人事、手続きは労務、育成は現場…」といった具合に役割が分かれ、結果的に入社者のオンボーディング体験にも分断が起きています。

これをシームレスにつなぎ合わせ、一貫性のある体験を提供できる人材が組織に誰もいない会社が本当に多い。Onnはそこを補い、入社者に寄り添った体験を提供するために役立つツールに育てていきたいと思っています。

従業員同士の良好な人間関係の構築を促進したり、心理的安全性を担保することを実現し「この会社に入ってよかった。働くことが楽しい!」と言える人をOnnでたくさん生み出していけたらそれ以上の喜びはありません。


――そのために自社にはどんな人に入社してほしいですか?

顧客にWOWを届けたいと思う人、そして仲間を大切にできる人です。

私個人の起業の動機ややりがいの源泉はサービスを通じて世の中を良くしていくことにあります。一緒に仕事をする仲間も同じ想いを共有できる存在であってほしいと思います。



そして世の中を良くしていけるプロダクトづくりはひとりでは不可能で仲間の力が不可欠。人と向き合うことに終わりはなく、長い時間軸で取り組み続ける必要があります。長く仲間を大切にし、信頼し合える組織を築いていきたいと思っています。

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