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鳥取からインドへ、そして国境を無くす

今回は共同代表の岩永祐一さんのお話を伺います。海外(留学、バックパッカー)に興味のある方、映像・起業に興味のある方、将来に悩んでいる方は是非ご一読ください!

-何をやるべきか悩んだ青春時代

-鳥取の田舎からインドへ、その経緯を教えてください

岩永と申します。宜しくお願い致します。僕は鳥取の田舎に生まれまして、マイペースに育ってきたのですが、小さい頃から漠然と浮かんでいた疑問が「世界は広いのに、なぜ僕は日本の田舎に生まれたんだろう・・・」というものでした。

-そんな疑問を小さい頃から?

そうですね、なんでよりによって鳥取に・・・って。

そういった経緯もあり、漠然と「鳥取の外」というものを意識するようになり、東京に行きたい、と。勉強は好きだったので、東京の大学に行こうと思いました。だけど、何を学びたいのか、そして何を仕事にしたいのか、全く定まらなかったんです。中学ぐらいからそれがずっと悩みでした。何も決まっていない、決められない自分に焦りを感じていました。

-中学時代からもうそんなに焦りを

そうですね、当時から「一生を賭ける対象が見つからない、このままでは何も見つからない、このまま年老いてしまう」って。結局見つからないまま東京に出てきました。

-バックパッカーで得た新しい人生観

-東京に出てきてからは?

大学に入ってあれこれやるんですけど何も見つからない。なんとなく起業したいなーと思って、ビジネスっぽいことをいくつか始めたりしたんですけど、当時ホリエモンのライブドア事件などが尾を引いていて、「なんの大志もないのに起業なんかしたってダメだ」って思って諦めました。

次に思ったのは「グローバルなことに関わりたい」ってこと。おそらく鳥取から出たい!という気持ちの延長で今度は海外に出たいって思ったんだと思います。そして大学一年の夏、初の海外旅行でインドに行きます。

-初海外でインド!

そうです。高校の同級生と行ったんですが、やられましたね。カルチャーショックというやつです。これがあのインドかと。

-どんなショックを?

中高ぐらいの時に「もし世界の村が100人の村だったら」っていう番組があったんです。有名人・タレントが世界各地に行って、貧困の中にいる子供とか若者と一緒に過ごすっていうようなものだったと思うんですけど、最後は必ずといっていいほどその有名人が泣いてるんですよ。彼らに同情して。可哀想・・的な。なので僕の中でインドのイメージは「ストリートチルドレンがたくさんいる可哀想な国」。なんか幼稚な考えだけど、当時は本気でそう思ってました。

だけど実際に行ってみて全く違ったんです。むしろ逆で、子供たちは目がキラキラしていて、大人も含めて 日本の人たちよりエネルギッシュで熱気がすごいんですよ。

初海外のインド

-テレビと全然違うと

そうです。ああテレビやインターネットの情報って全然違うじゃんって。もっと他の国も知りたいと思うようになりました。自分がやりたいことは何も見つかってないけど、とにかく旅することが楽しくて、それから長期休みのたびに海外に行くように。食事は毎日卵ご飯で節約して、バイト代を全て注ぎ込んで。

今はおそらく行けないであろうシリアとか、とにかくいろんな国に行きました。当時はまだスマホもなくて、ガイドブックが重要な情報源だったので、「地球の歩き方」という本を、自分が行く予定の国ごとに買って、回ろうと思ってる都市が載っているページだけを切り取って繋げて、「オリジナル地球の歩き方」を作って持ち歩いてましたw 例えばエジプト、ヨルダン、イスラエル、シリア、トルコ、アゼルバイジャンの数都市ずつみたいな。全部丸々持っていくと荷物が死ぬほど重くなるので。

ヨルダンのペトラ遺跡

シリアの子供たち

-なんか楽しそうですねw

現実世界でドラクエをやってるような気分でしたね。たくさんのことを学びましたし、価値観がかなり変わりました。一つ挙げるとすれば、人生は何とかなるということ。やっぱり旅をしていると危険なことも含めていろんなことが起こりますし、計画通りに行かないことばかりですが、でもなんだかんだ終着点に辿り着ける。

やるかやらないか悩んでいるよりも、とりあえず「えいっ!」て踏み出してしまえばなんとかなるじゃんって。

-やりたいこと、そして

-やりたいことは決まりました?

ぜんっぜん見つからなかったんですが、とにかくいろんなことに首を突っ込んだ結果、学生生活終了間際ロスタイムでやっと映像をやりたいっていうことが固まってきて。

それまで僕にとって映像は身近すぎて、それを仕事にしようとも思えない対象でした。だけど改めて当時思ったのは、映像を仕事にしたら一番幸せかもしれないなって。

振り返ると、高校の時に文化祭でショートフィルムを撮って以来ハマり、ふざけたものから真面目なものまで、いろんな映像を好き勝手に撮って編集するようになって、とにかく楽しかったんですよね。編集しているときは時を忘れられるというか。で思い返せば、僕の曽祖父は地元で映画の配給や映画館の経営をしていた事業家だったんですが、その影響で祖父の家に映画のポスターがたくさんあったり。小さい頃から僕はチャップリンの映画を見て育ってたんです。

当時の映画宣伝資料

-実は脈々と映画の血が流れていたと

子供の頃の楽しみは毎週スイミングスクールの帰りに親にTSUTAYAに連れて行ってもらって、「仮面ライダー」や「ドラえもん劇場版」なんかを借りて帰ることでした。何度も繰り返し見ていましたし、大学に入って以降も映画ばかり見ていました。でもその時点まで全くそのことを意識していなかったなんです。当たり前すぎて。

そして、南米を回っている時に、どこの国かは忘れたんですけど駄菓子屋みたいなところで、でっかいテレビがどん!と置いてあって、「アベンジャーズ」を流してたんですよ。それを子供達が食い入るように見ていたんですね、もう時が止まったかのように子供たちは直立不動でそれを見てました。それを目の当たりにした僕は「映画ってすごいな、簡単に国境を超えるんだな」って深く心を動かされたんです。

-それが「国境を無くす」に繋がってるんですかね?

そうです。バックパッカーしてる間からずっと思ってたんです。何で戦争や紛争があるんだよ、仲良くしてくれよーって。

ふつふつと、世界の不和を少しでも無くしていきたいって気持ちが湧いていました。一方で映画やエンタメって、政治や経済とは違って簡単にそこを乗り越えてしまうじゃないですか。あれ、もしかしてこれじゃない?俺のやりたいことはって。

日を追うごとにそれが確信に変わっていきました。

-やっと見つかったんですね

そうですね。中学の頃から出口の見えない穴の中をずっと歩いてる気分でしたし、今回話してないですが道中たくさんの人に迷惑をかけてしまったし、遠回りだったような気もするけど、僕にとってはこれがベストなプロセスだったんだと今になって思います。でなければバックパッカーもやっていなかった気がするし。

やりたい事なんて結局見つからない、という意見もあります。そうかもしれない。人それぞれです。でも、見つける、という意志を持って根気よく探せば必ず見つかると僕は思ってます。

「好きなことがあって、仕事になっていいね!」と良く言われます。だけど「先まで光の見えないトンネルの中にいる」みたいな状況になっても腐らず、諦めず行動し、探し続けて辿り着いたものなんですよ。大抵の人は本気で探してないですから。

-アメリカに渡る

キャリアとしては、最初は映像とは全く関係ないリクルートキャリア( 現リクルート )という人材系の会社に入って営業の仕事を4年弱経験、そこから国内の映像制作会社に移り、そしてアメリカに渡ります。

バックパッカーしているときから、「旅じゃなくてどこかに住んで勉強と仕事をしてみたいな」と思ってたんですね。20代のうちにはそれをやりたいとずっと思っていて、国は色々と悩んだんですが、最後はやっぱハリウッドに行っとけ!と思って。LAに留学に行くことにしました。

-学校はどちらに?

それが何も決めずに行きまして、とはいえそれではVISAが取れないので語学学校にはとりあえず入ろうと。契約だけ先にして、でそのまま行くのはなんかもったいないからっていう理由で途中チベットに寄りました。そこからネパールにも行ってフラフラしてたんですけど、その間もLAのどこに住むのか決まっておらず、LA行き出発ギリギリでググってシェアハウスを契約しました。

-だいぶ無計画ですねw

もうむしろそういう事が好きなんですよね、冒険っぽいことが。偶然に身を任せるというか。で1日目、シェアハウスに入ったら日本人の男の子が一緒の部屋だったんですけど、彼が黙々と勉強をしていて、何をそんなに頑張っているのって聞いたら「UCLA EXTENSION」てところに入学して映画を学ぶんだって。

「おーまじかい!じゃあ俺もそこに行くわ」って。調べたら学費安いし、卒業した後働ける資格も取れるし、色々とコスパ最強だということがわかり。そこから2ヶ月間、必死にTOEFLの勉強をしてUCLA EXTENSIONに移りました。そこは僕にとって天国でした。

-天国!具体的に教えてください。

まず、立地ですね。UCLAがあるのはWestwoodという場所なんですけどめちゃくちゃ治安が良くて。いわゆる金持ちエリアですね。有名人もよく見かけたし、NETFLIXドラマ「Stranger Things」のプレミアイベントも近所の映画館でやってたし、タランティーノの最新作の撮影あるらしいぞ、みたいな噂を聞きつけては近くの現場に急行したり。

ああ映画の都にいるんだなって。何度も夢の中にいるみたいな感覚に陥ったのを覚えています。

また、学校の生徒も世界中から映画好きが集まってきてるんですね。アジア、ヨーロッパ、南米から。僕は日本では普通の大学に通ってたから、映画狂みたいな友達があまりいなくて。それが周りみんな映画狂なんですよ。19歳なのに人生2回目なんじゃないかっていうくらい映画詳しいやつとか。一度、授業で僕が既存の素材を使って編集した映像をクラスで見せる機会があって、生徒の一人が「Yuichi! このフッテージはデヴィッドリンチ監督のブルー・ベルベットのオープニングからとってきてるわね」って。はい大正解ですって。

そして、めちゃくちゃマイペースに学べるんです。他の学校だと課題に追われて死にそうにながらやるんだけど、ここは自由に自分でカリキュラムを組めるので、働いてる社会人とかも学びに来てました。地元のおばさんとか、音楽プロデューサーとか。そして彼らが作る映画はめちゃくちゃ面白いんですよ。この分野は年齢やバックグラウンド関係なく、誰でも芸術家になれるなって思いました。

気づいたらあっという間に卒業して、フリーで映画やCMを中心に仕事をしていましたが、最近日本に戻ってきました。

トルコ人の俳優に演技指導

監督した映画のワンシーン

LA在住アーティストとの共同写真作品

-ずっとLAに住もうとは思わなかった?

最初は思っていたんですけど、VISAの問題がまずあって。フリーで働く外国人はここをクリアしなきゃいけないんです。僕もO-1というアーティスト用のVISAを取ろうと思ってたんですが、いつしか「VISAを取るために、映画を映画祭に出して、受賞して成績を残さなきゃならない」っていう思考になりつつあることに気づいて。VISAを取るために映画を作るって本末転倒だなと。そういう何かに対する執着を感じると僕はやる気を失っちゃうんです。それに加えてちょうどコロナの問題が出てきて、だったら行き来ができなくなる前に戻ろうと思って日本に帰ってきました。今でも撮影のプロジェクトでアメリカに行くことはありますが、それ以来拠点は日本になりました。

-SAMANSAの創業まで

日本に帰ってきてからはフリーで活動しつつ、共同創業者のタカくんと映像制作会社を始めました。制作だけじゃなくて、アメリカでは当たり前にあった脚本制作のアプリを日本でもローンチしたり。日本の映像制作環境を良くするためにできることを模索し続けました。

-アメリカと比べて日本は遅れてるんですか?

遅れているというかそれ以上に僕が感じたのは、日本の人が「日本ではいい映画が作れない」と嘆いているという現状です。また、遅れている、ということで言えば、日本は映画だけじゃなくてどんな産業も遅れをとっています。経済全体が落ち込んでていってるわけです。だからこれは映画だけの問題じゃないんですよね。日本に長く住んでる方々には認識しづらい事実ですが。

-そういう状況がSAMANSAの創業に影響を?

僕らがやろうとしていることはアジア地域のエンタメ市場を活性化することです。どうしても、ビジネスのアメリカ、アートのフランス率いるヨーロッパに比べて、中国をのぞいたアジアは成長できていない。

日本で良い映画が作れないのであれば、アジアやその他の地域でバックアップする体制を今以上に作っていきたい、と。今連絡をとっているスウェーデンの監督も、「スウェーデンでは良い映画が作れない、だからSAMANSAの試みに期待してる」と言ってくれていて。アジアだけじゃなくて世界でもっと良い仕組みを作っていかなければと思っています。

世界中のクリエイターが情熱を注いだ作品が見れる「SAMANSA」は利益の8割をクリエイターに還元する

また「国境を無くす」について、具体的には「世界中の人の相互理解を深めたい」という想いがあります。最近はNETFLIXだったりで世界中のコンテンツを気軽に見ることができますが、僕がバックパッカー時代に体験した、地球の裏側に住んでる人とお酒で乾杯して仲良くなって、語り合う、そういう世界をもっと加速させていきたいと思っています。だから今後はオンライン以外でも事業をやっていくつもりです。映画の制作もSAMANSAでやっていきますし、僕個人のプロジェクトとしても映画その他映像は変わらず作り続けていきます。( ↓↓↓ 岩永さん個人サイト ↓↓↓ )

岩永祐一's Site
https://yuichiiwanaga.mystrikingly.com/

日本人だから、とか、この会社の正社員だから、とかじゃなくて、みんなが一個人としての人生をワクワク生きる。そういった世界を作り上げていく一助となれば僕の人生は全うされます。それで心置きなく死ねる。

-学生の頃悩んでいたやりたいことの答えですね!

そうですね!やりたいことが分からなくても、諦めずに考え、行動していればいつしか気付かないうちにそれが答えに繋がっているはずです。これからも困難が幾多あると思いますが、ま、なんとかなるはずです!

-本日はありがとうございました!

ありがとうございました!当社に興味を持ってくださったみなさんからのご連絡お待ちしてます!全然話し足りないので是非ともさらに話を聞きに来てください!w

ショートフィルム配信サービス「SAMANSA」
https://lp.samansa.com/

Samantha, Inc コーポレートサイト
https://www.aboutsamansa.com/

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