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【PR flix】第1回 PRの歴史を紐といてみる。

 アンティル取締役の久井です。最近ポッドキャストをよく聞いてまして、コテンラジオ(https://cotenradio.fm/)が特にお気に入りです。そしてコテンさんを聞くまでもなく(コテンラジオは最高なので聞いて欲しい)、歴史ってホントに面白いわけですが、単に面白がっているだけではなく、やはり学ばねばならないわけです、歴史から。コテンさんでも触れられていましたが、キングダムな古代中国・春秋戦国時代、諸子百家の考えなんかを少し覗いてみると、この数年で語られているようなビジネス界隈の課題はあらかた出尽くしているといっても過言ではない。なのでそれらを学ぶことは、我々にとってヒントだらけなんですよね。​​本来は原典から自身で見ていくべきですが、時間は有限。そこでコテンさんなんかを頼ることになります。漫画でも良いですし、Youtubeでもたくさん有りますね、歴史コンテンツ。いずれにしても、歴史から学ぶ。この姿勢は忘れずにいたいものです。

 さて、長くなった前置きは終わりにして、今回の本題に入りたいと思います。何を隠そう今回は、PRの歴史について書くのであります。「PRの歴史」という話題で必ず出てくるのは、「PRの父」と呼ばれるアイビー・リーです。新聞記者出身のアイビー・リーはプレスリリースを生み出した人として知られていますが、記者会見やクリッピングなども彼が始めたと言われています。私としては、PRの専門家としてのステートメント(Declaration of Principles)を出していることもとても重要なものと思っています。

ではPRの起源は、というと、古代ローマにまで遡るとされ、(コテンラジオでもおなじみ)カエサルの「ガリア戦記」はPR文書として機能していました。また中国では各王朝が歴史書を編纂していましたが、それらはその王朝の正統性を世に知らしめるためのであり、いわばPR文書であるとも言えます。その意味では、古事記や日本書紀なんかも同じかもしれません。(諸説あり)

 話を20世紀に戻します。アイビー・リー以降を近代PRと定義するとして、近代PRは哀しいかな、戦争によって大いに発展を遂げます。第一次世界大戦期(及びその前)には、一方向的(パブリック・インフォメーション)で説得型のコミュニケーション(プロパガンダ)を主体とした活動が展開されました。この時期に「広報の父」(また父が出てきましたw)と呼ばれるエドワード・バーネイズが登場します。バーネイズの著書「世論の結晶(Clystalizing Public Opinion)」は、PRに関する最初の専門的な書籍であり、ナチスドイツの宣伝担当であったゲッペルスも愛読していたそうで、ナチスのプロパガンダにその手法は利用されました。ちなみにバーネイズは「心理学の父」(父、3人めw)ジークムント・フロイトの甥であり、心理学にも精通していました。第二次世界大戦期には、第32代大統領のフランクリン・ルーズベルトが大統領選でもPRを活用した他、当時最大のマスメディアであったラジオによってニューディール政策を浸透させるなどしています。またマッカーサーは、早くから軍の中にPR担当をおいて記者への情報提供などを行っていました。終戦後、日本に近代的なPRをもたらしたのがGHQであり、GHQは日本の統治のためにPRを大いに活用、そこから官公庁での導入、民間企業へも広がっていきます。

 そして、そうした中から日本のPR会社も誕生してくるわけですが、弊社アンティルは2004年、親会社のベクトルは1993年の設立であり、大手と呼ばれる各社と比べるとかなり後発になります。後発だった我々がいかにしてNo.1になっていったか、そしてこの先どう進もうとしているのか。その辺りを次回以降でつらつらと書いていこうと思っています。

(参考文献)「広報が会社を強くする 広報実務のAtoZ」高雄宏政著、「入門パブリックリレーションズ 双方向コミュニケーションを可能にする新広報戦略」井之上喬編、「広報会議 2018年9月号」

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