「10年後も、この働き方を続けていくのかい?」
これは僕が今の仕事に辿りつく前、数字に追われながら働いていたときにふと湧いてきた自問だ。
あなたがこのタイトルの記事に辿りついたということは、あなたは今の仕事において“数字”に追われていて、当時の僕のように悩んでいるのかもしれない。
「“数字”が思うように上がらない。」
「“数字”を上げているのにどこか気持ち的にしっくりきていない。」
そんなことを感じながら、あなたは悶々ともがいているのではないか。と、少し僕は心配してる。
突然失礼しました。申し遅れましたが、わたくし2023年5月から一般社団法人まちづくり西都KOKOKARAでマーケティング担当として働いています、山口雄大と申します。
▲風に吹かれ、西都原に生えていた謎キノコを手にして笑っている僕。これが一番いい表情だった。
この記事は、“数字”に追われることに疲れてしまった、まさにあなたのような人の転職活動において少しでも助けになれば、という想いで書いている。もし良ければ、最後までこの記事を読んでみてほしい。
(…とは言っているが、脳内過激派山口が僕自身のことを「お前ごときの記事が他人様のためになるなんぞ、そんなおこがましい話あるかよ、偉ぶるなよな。」とディスってくるので、「ふぅん、なるほど、こんな考え方もあるのか」程度に読んでもらえると嬉しい。)
目次
自信の中の不安、ふと湧いてきた“自問”。
仕事の尊さと、その裏にあった“数字”に対する気持ちの揺らぎ
なんだかしっくりこない、転職活動
“好き×得意”が想いのトリガーに
「想いを込められる場所」で働きたい人へ
自信の中の不安、ふと湧いてきた“自問”。
僕はどこか自信が持てなかった。仕事の結果や内容には自信を持っていたのに、である。
僕がKOKOKARAに入社する前に勤めていたのは、Webマーケティングに力を入れている事業会社だった。携わった仕事はパーソナルジムの集客マーケティングや九州の食品を全国へお届けするECサイトのマーケティング。
一緒に働いている仲間のことはとても尊敬できた。し、苦労はあれどちゃんと的確に・かつ想いと熱をもって打ち手を打っていけば数字(売上)が上がった。マーケティングとはそういうものである。もちろん、一概には言えないが。でも、だからこそ、この仕事はやりがいがあった。なのに、ふと思ってしまったのである。
「このままでいいのか?」と。
仕事の尊さと、その裏にあった“数字”に対する気持ちの揺らぎ
数字(売上)を作れているということは、それだけお客様の笑顔を作れているということの裏返しでもある。数字が上がればサービスの質も上がり、さらに多くのお客様へ、より満足度の高いものをお届けできるようになるということ。そして数字が上がり事業が続けば、お客様の人生もより良いものにし続けられるということ。これらは働くうえでとても尊いことである。
ただ当時僕は売上を求められることに少々疑問を感じていた。資本主義における企業としては当然のことなのだが、毎年売上を伸ばし事業を成長させ続けることを求められた。もう一度言うが、これは企業であれば至極当然のことである。なのに、「求められるのは売上だ」ということに対し「果たして僕は、そこに“想い”を込め続けられるのか?」という疑問を抱いてしまったのである。
その“疑問”の本当の正体がわからないまま、僕の転職活動はスタートした。
なんだかしっくりこない、転職活動
当時は都市部での就職も視野に入れて転職活動を行った。条件が良い求人やこれまでの経験が活かせそうな求人が目に入ってくる。が、ココロオドラナイ。音楽はなり続けない。届けたい胸の鼓動も聞こえない。
当然である、“疑問”の本当の正体がわかっていないのだから。
そこで、改めてこれまでの仕事を振り返ったときに気づいたことがある。「僕が頑張れるのは、“誰かのために”が感じられるとき」ということ。たぶんこれが僕の仕事観なんだ、と。
じゃあ、その“誰か”は誰なのか?僕の場合、それが「宮崎」だった。
“好き×得意”が想いのトリガーに
転職活動時の僕は、想いを込められる“誰か”を探し求めていたのかもしれない。そこで出逢ったのがKOKOKARAの求人だった。“マーケターとして西都市のシティプロモーションを担当するお仕事”。シナプスがはじけた。「そうじゃん、忘れてたけど僕は地元宮崎が好きなんだよ。好きなもののためであれば“想い”を込め続けられるかもしれない」と。
話は逸れるが、僕の宮崎好きには原体験がある。
僕は高校時代までを宮崎で過ごした。当時、車の免許を持っていなかった僕は、宮崎の広い空と果てしなく続く水平線を横目に、Jack Johnsonなんかを聴きながら海岸線をドライブすることが夢だった。思えば当時から宮崎愛はあったのだと思う。が、それを明確に認識したのは大学で県外に出てからだ。
県外の人にとって、宮崎は物理的にも時間的にも遠い存在。これは九州人にとっても、だ(陸の孤島とはよく言ったものである、九州山脈おそるべし)。そんな中、県外で仲良くなった友人を宮崎に連れてきて、ロケーションに合う音楽を流しながら車でアテンドをすることが度々あった。するとみんなこぞって感動して、宮崎のことを好きになって帰っていってくれる。なんならリピーターもいた。
▲不覚にも売れないインディーバンドのアー写みたいになってんだよな。
好きなものを、好きだと言ってもらえることは、とてつもなく嬉しい。僕は、好きなものを他人に紹介して、喜んでもらえることが好きなんだ。そんな体験をするたびに、僕の中の宮崎愛も育まれた。と、同時に宮崎のポテンシャルの高さも感じるようになっていった。
ポテンシャルがあるのにくすぶっている宮崎・西都のために、これまで培ってきたマーケティングの経験を活かせるのであれば、そんな嬉しいことはないじゃないか!求人を見つけた瞬間、ココロの中でドス声レディゴーが響いた。考えるより先に応募していた。
「想いを込められる場所」で働きたい人へ
そんなこんなで結局、今も僕は西都市で“数字”を追いかけている。開発した商品の売上、広告のCPO・ROAS、広告やSNS運用代行受託の売上、移住に繋がるLINE公式アカウントの登録者数などなどなど。どこにいたってどうしたって、生きている限り、そして働いている限り数字には追われるのである。ただ、KOKOKARAに来てからはその“数字”の意味が変わった。その数字は、僕が好きなもののために達成すべきものなのだ。今では数字が北極星のように金ぴかに光っている。
もし、あなたが今仕事で追っている“数字”に違和感を感じているのであれば、一度「あなたの好きなコトってなんなのか」というのを棚卸してみると良い。それが、「ローカル」とか「地方」なのであれば、たぶんあなたにとってKOKOKARAは合っているかもしれない。「好き」や「想い」をあきらめずに働きたい人にとって、KOKOKARAはきっと面白い場所になるはずだ。
ただ、最後にこれだけは言っておきたい。「KOKOKARAにくれば数字から解放される」というわけではない、ということだ。地方だと良くも悪くもお隣さんとの距離が近い。だからこそ、数字への想いが濃厚になる。より強い責任が生まれる。これほど楽しい“数字”はあるだろうか?
もしあなたが、この“数字”にワクワクしたのであれば、ぜひ一度お話ししましょう。まだ見ぬあなたと出逢えること、楽しみにしています。(あと、文中に出てきたつまらんボケにツッコミを入れられた人とは仲良くなれそうなので、是非お話ししましょう。)