”どんな人でも自分らしく過ごせる環境をつりたい” という思いから、学生時代より「まちづくり」に興味を持っていた作業療法士の下畠有喜(しもはた・ゆうき)さん。
2015年に京都から鞆の浦(以下、鞆)へ移住し、現在は『地域共生のまちづくり』を実現すべく、鞆で介護福祉施設を営む鞆の浦・さくらホーム(さくらんぼの運営施設)の一員として日々地域に向き合っています。
今回は、鞆の町の魅力や文化、また、下畠さんが放課後デイサービス・さくらんぼで今後挑戦したいことなどから『地域共生のまちづくり』のヒントを探ります。
下畠さんとさくらんぼの子ども(鞆の海にて)
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まずは、下畠さんが作業療法士を目指したきっかけや鞆への移住を決めた理由、また、一住民として暮らすにあたり大切にしている事について伺います。
■ 鞆の町に魅せられて
ーー 下畠さんが作業療法士を目指したきっかけを教えてください。
進路選択で悩んでいた高校2年生の時に、13歳のハローワークというのをみて作業療法士を知りました。昔から、人の役に立つ仕事をしたいと考えていたので、リハビリの仕事はすごく魅力的だったんです。
学生時代は、作業分析や地域リハビリテーションの授業に興味を持ちました。外部講師のPSW(精神保健福祉士)の先生が、地域住民と精神疾患の人が一緒になってお祭りに参加している事例を紹介してくれ、作業療法ってこんなこともできるんだ、と衝撃を受けたのを覚えています。
医療介護福祉から始まる「まちづくり」に興味を持つようになったのはその頃からです。関係性を築いてこそできるまちづくりに、いつか自分も関わってみたいなと思うようになりました。
ーー 鞆へ移住したきっかけは何だったのですか?
地域共生のまちづくりを学び・体験・体感しようという「鞆の浦まちづくり塾(通称:鞆塾)」に、第1期生として参加したのがきっかけです。
鞆塾のことは、京都の作業療法士仲間から教えてもらい知りました。鞆塾は、さくらホームの作業療法士・羽田知世さんが実行委員をされています。大学の先生による防災や地域づくりに関する講義が聞けたり、実際に鞆の祭りの準備や本番に参加することができたりする内容になっていました。
期間としては2ヶ月程度やっていて、そのうちの好きな日に参加する感じです。私は京都から高速バスに乗り、週末の休みを利用して鞆に通い続けました。鞆塾の一期生は鞆や福山周辺の人が多く、地元の人たちと合宿のような形で深く関われたことにとても喜びを感じました。
鞆の町や人、祭りなどの文化、そして鞆塾で学んだ「お互いさまじゃけぇ」という言葉が心に響き、鞆に移住することを決意しました。
■ 鞆の文化 「お互いさまじゃけぇ」
ーー 下畠さんが外から見た鞆のまちは、具体的にどんなところが魅力的だったのか教えてください。
鞆の町の人はとにかくみんな優しくて、外から来た自分を温かく受け入れてくれました。祭りも、縄を巻いたり山車を磨いたりする準備段階から、とても丁寧に教えてくれます。祭り本番でも、当屋(祭りの際にその準備や執行などをする家のこと)でふらふらになるまでお酒を飲ませてもいました。
こうやって地域の人に受け入れてもらえることがとても新鮮で、嬉しくて。人の温かさや繋がりのある町って素晴らしいなと感じました。
ーー 鞆では年間を通して祭りが7回行われるほど祭り文化が根付いていますが、下畠さんから見て、鞆の人にとって祭りとはどんな存在だと感じますか?
鞆の人にとって祭りは、生活の一部だと思います。鞆は町ごとの結束力がとても強いのですが、それは祭り文化から来ているものだと思います。
秋の大祭りである渡守神社例祭は、7年周期の輪番制で町ごとに当番が割り当てられます。9月中旬の金・土・日の3日間、昼の3時から深夜3時まで山車を引いて回るというお祭りなのですが、その当番が7年に一回、各町に回ってくるんです。各町内で張り合い、非常に盛り上がります。
ーー 下畠さんが鞆で暮らすようになり、一住民として大切にしていることはなんですか? また、「お互いさまじゃけぇ」の文化を実際に体験してみて感じたことがあれば教えてください。
やはり、人との繋がりは大事だなと思います。現在住んでいるところや職場の周辺、また以前住んでいたところで生まれた繋がりを今でもずっと大切にしています。繋がりがあるからこそ、暮らしが豊かになるからです。
今の家は、お隣が90代のおばあちゃんと70代の娘さんなのですが、私の2歳の子どもをすごく可愛がって下さいます。ごはんやおやつを作って持ってきてくれるんですが、それがとても嬉しいです。そのかわり、彼女たちが困った時には、僕たち家族がお手伝いをします。以前、娘さんが骨折して日常生活に不便がでた際は、買い物をしたり家事のお世話をしたりしました。
「お互いさまじゃけぇ」の文化の中、今、私は幸せに暮らしています。
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ここからは、さくらんぼでの働き方や今後に思い描くことについて伺います。
■ 地域と ”共に” 歩むということ
ーー ”どんな人でも自分らしく過ごせる環境をつりたい” という想いから、さくらホームで働くことを決意した下畠さんですが、実際に移住し働いてみて、何か変化はありましたか?
地域共生のまちは、当然、自分たちだけでは作ることができません。自分たちの想いだけで突き進むのではなく、地域の人に助けてもらいながら徐々に無関心から関心に変えていくことを学びました。
以前、認知症の人が徘徊していたと、近所の方からさくらホームに連絡がきました。なんとかしてくれ、と最初の方は半ば苦情のような連絡が来ていましたが、次第に「私らが見守りするわ」と言ってくれるようになったのです。無関心ではなく、関心を持ってもらえるようになったのがとても嬉しかったです。
人の意識は、こうやって少しずつ変わっていくのだと、実際に働くことで感じることができました。
「あそこにいったら、何とかなるじゃろ」といわれるのが、私たちのさくらホームです。しかし、いい意味で周りの環境や地域に人に助けてもらいながら、自分たちだけで全てを抱え込まず、地域の中に "在る" ことを意識するのが大切だと学びました。
ーー 2021年より、さくらホームの小規模多機能型居宅介護施設から放課後デイサービス・さくらんぼへ配属となった下畠さんですが、現在の仕事についてはいかがですか?
これまで高齢者の方と関わることが多かったので、さくらんぼで子ども達と関わるのはとても新鮮で面白いです。毎日子どもたちと本気で追いかけっこをしたり、夏はプールや海に行って遊んだり、本当に楽しいことだらけです。仕事行きたくないな〜と思う日は一度もないですね。また、私自身2歳の子どももいるので、子育ての予習にもなっています。
さくらんぼの子どもたちを見ていると、自分も小さい頃こんな経験したかったな〜と、羨ましくなるくらいです。自分の子どもも通わせたいくらいです。それくらい、さくらんぼの子どもたちはたくさんの楽しい体験をできているのではないかと思います。
自分自身の働き方としても、長期休暇を除いた普段の勤務は午後からなので、趣味を楽しむことができています。私は、本を読んだりしています。
■ 鞆の浦・さくらんぼからインクルーシブな社会を目指す
ーー最後に、下畠さんが今後チャレンジしていきたいことや、未来に想い描くことがあれば教えてください。
さくらんぼの子どもたちのために、インクルーシブ遊具が取り揃う「公園」を仙酔島に作りたいです。インクルーシブ遊具とは、障がいがある子もない子も一緒になって遊ぶことができる遊具のことです。遊具を作っているところとコラボして、鞆ブランド、さくらんぼブランドとして遊具を開発し、世界に発信していけたらいいですね。
さくらホームの代表である羽田冨美江さんは、本当にエネルギッシュでパワフルな方です。以前、羽田さんに「こうゆうことがしたい!、というのがあったら実際に声に出したらできるんよ」と教えてもらいました。話しているとどんどん楽しくなるし、すごく盛り上がるので、本当にできちゃう気になるんですよね。
さくらんぼから地域共生のまちづくりができるよう、子どもたちの笑顔が一つでも増えるよう、羽田さんのように声にあげ続けていきたいと思います。
■ 下畠有喜 / 放課後等デイサービス・さくらんぼ作業療法士
京都府出身。一児の父。京都で作業療法士免許を取得後、神経難病の専門病院で4年間勤務。鞆の浦まちづくり塾(通称:鞆塾)をきっかけに2015年に鞆の浦へ移住し、さくらホームへ就職。小規模多機能型居宅介護施設での勤務を経て、2021年より放課後等デーサービスさくらんぼにてリハビリ業務に従事している。
【取材・文・撮影=河村由実子、撮影=佐々木慎】