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【Interview#1『概念をぶっ壊す』】大手外資コンサルファーム出身CEOが語る。SEPTA創業ストーリー

ハイ・シナジーコミュニティを形成し、社会の負を解消する構造を作る

SEPTAは、上記のミッションをもとに、フリーコンサルタント向けの案件紹介サービス「CoProJect」を運営しています。そんなSEPTAで働くメンバーを知ってもらうために、インタビュー形式で社員紹介をいたします!

今回は、弊社の創業者であり、代表取締役CEOである【山口貴士】さんをご紹介します。

山口 貴士 (やまぐち たかし)

愛知県出身。慶應義塾大学理工学部において、遺伝的アルゴリズムとその応用を学ぶ。
卒業後、PwCアドバイザリー合同会社に入社。
事業再生部門にて、主にPEファンドの買収後バリューアップや買収時のコンサルティング業務に従事。
その後、PwC同期とともに、株式会社ExPAを共同創業。
2020年8月にCEOを辞任し、同年に株式会社SEPTAを設立。
代表取締役兼CEOを担う。

■幼少期からの反発心が生み出した「社長」という夢

---これまでの経歴・自己紹介をお願いします。

山口:山口貴士と申します。32歳男性。

私がどういう人間かというと、「反発心」とか「抵抗力が強い」とか、そういったキーワードがあがると思います。その背景は、タイのバンコクで育った幼少期・三歳の頃まで遡るんですけど、家庭環境としては、父親が総合商社の駐在員で、姉が二人いて、私が一番年下でした。母親は総合商社の駐在員の妻としてやることがたくさんあったらしく、私から見ると、割と子供のことをほったらかしにするっていうイメージがありました。なので、よく姉二人と私で、部屋にあるちょっとした遊具で遊んでいたという記憶があります。

2歳差と4歳差の姉がいて、私が1〜2歳の時、遊具に向かってハイハイするんですけど、姉が道を閉ざしてくるんですよ。通っちゃダメとかって。しかも二人で(笑)。それで、私はハイハイしながら頭をぐりぐりして、なんとか突破しようと試みてきたらしいんです。そこで、そういった困難に対して反発するっていう特徴が幼少期に築かれたんだと思います。

一番よく表しているエピソードとして、一番最初に覚えた言葉が「ダメ」でした。幼少期を経て「ダメ、ダメ」って全部に反発していたことで、反抗心が築かれていき、さらにそれは年を重ねるごとに強化されていきました。よくある事例で言うと、例えば小学校とか中学校で、集団行動とか集団で下校するとかみたいな時は、ことごとく反発したくなるんです。集団行動から外れた行動をとることをよしと考えていたんですよね。成績とかに関しても、良くても悪くてもどっちでもいいんですけど、集団に混ざるとか迎合するみたいなのをすごく嫌がっていた。将来の夢とかも、男の子だと警察官になりたいとかスポーツ選手になりたいとか、スポーツの中でも野球とかサッカーとかが多かったんですけど、自分は当時、野球とかサッカーだと日本にプロ選手いるじゃんって思ってたんです。ここまで考えていなかったとは思うんですけど、それだとなんか迎合してる感があったので、すごく嫌な感じがあって。なので、自分は当時プロがいなかったバスケットボールの選手になりたいっていう夢を掲げて、反発しているっていう感覚を持ってました。

---他に反発エピソードあります?

山口:例えば、小学5年生の時は授業中に掃除道具箱に隠れるとか(笑)。

---それはなんだか闇を感じますね。それは何をやりたかったんですか?

山口:何を思って入ったのかはわからないですけど、普通にずーっと授業を受けているだけっていうのが嫌になったんでしょうね。掃除道具箱に入ったら、何か人と違うっていう(笑)。あくまで人と違うことを全体にアピールしたいっていうのがありました。

ちょっと違う人だと思われたいっていう強い欲求があったからなのかもしれないですね。

---社長という夢は、いつから抱き始めたんですか?

山口:流石に中学に上がると、黒人みたいなバネがないからプロバスケ選手は無理そうだとちょっと現実的になってきまして。周りのみんなも、ちょっとした現実的な夢を語ってる人が多かった中で、私は「社長」っていうものが、集団とは何か違うものを目指している感覚があったので、そこで始めて社長っていう夢を抱き始めるんですよ。

そこからその夢はずっと持っていて、大学に進学した時に、オーナー社長が経営する居酒屋のアルバイトを始めたんですけど、その時に初めて社長という人間に触れました。その際に、今まで漠然と考えていた社長というもののイメージが、ガラッと変わりました。

---そのイメージはどう変わったんですか?

山口:元々のイメージとしては、社長は偉そうであるとか、自分の私利私欲のためにやっているとかって言ったイメージを勝手に持っていたんですよね。でも、そこの社長は、何のために事業をやっているかと言った説明や、何を目指しているのかと言った理想像をすごくよく語る人で。その中でも、「この居酒屋の事業運用を通して人々を感動させる、社会貢献のためにやる」といったことを何遍も言っていたんですよ。そういう話を何回も聞いて、実際に社会貢献のために本当に努力して働いている姿をみて、世の中にこんな人いるんやぁと、ちょっとしたカルチャーショックを受けたのを覚えています。

それとともに、形は何でもいいんですけど、こうやって社会への貢献を、何かしら自分もできるようになりたいという感覚を思うようになった。元々社長になりたいなぁ〜ぐらいには思っていたんですけど、そこで初めて社長になろうって決意したんですよね。

---社長とは私利私欲で動くというイメージがあったって仰いましたけど、元々なりたい社長像としてそういったものを抱いていたんですか?

山口:そもそもなろうとは思っていなかったっていうのが正しいかもしれないですね。中学の時も高校の時も、大学だと起業家っていう言葉に変わったりするぐらいなんですけど、元々社長になるっていうのが他者とは違う夢だったからそう言っていたっていうぐらいの感覚でした。

---潜水艦の操縦者じゃだめだったんですか?

山口:潜水艦の操縦士(笑)。確かにそれも人と違いますけど(笑)。

おそらく他者と違うっていうことをちゃんとアピールもしたかったんですよね。それで、多くの人が知っているもので違うものといえば社長っていう。まあ、中学の時は社長ぐらいしか思いつかなかったっていうのもあると思いますけどね。

あ、ちなみに1浪3留なんですけど、結局そのアルバイトは5年ぐらいやっていました。それで、そこのオーナー社長に「本気で経営者になりたいんです」って相談しに行きました。どういうキャリアを積んだほうがいいのかっていう相談をした際に、そこの社長は中卒なこともあって、お金の計算とか事業のファイナンスとかそう言ったところを何も学んでいなかったから苦労したっていう話があり、財務とか経理とか会計とか学べと言われました。それを鵜呑みにして、財務とか経理とか会計とかを学べるようなところを就職先として選ぼうという決意をしました。就活では銀行とか一般企業を受けて。一般企業と言っても慶應の就活ってみんな大手ばっか受けるので、私もそれに流されて大手を受けました。

---それは迎合にあたるんじゃないですか?

山口:他者と一線を画していたのは、財務とか会計を学べるようなポジションを見ていて、ちゃんと将来の起業に向けた目的があったこと。まあ1浪3留なので、大手とか銀行とか軒並み書類で落ちまして、結局会計を学べるってので会計系のファームぐらいしか思いつかなくて、PwCアドバイザリーを受けました。それで無事内定をもらえたので、2016年の4月に入ったっていうのが新卒になるまでの経緯です。



■1浪3留で大手外資コンサルファームに新卒入社し、2年で独立&1社目の起業

---入社してからのエピソードも教えてください。

山口:幼少期からの反発精神はずっと続いていました。なんならいまだに続いているとも思うんですけど。

新卒コンサルファームってやっぱり意識高い人が多いので、みんな研修とかめちゃくちゃ頑張るんですよ。研修初日からみんな徹夜で頑張るみたいなことがめちゃくちゃあったんですよ。研修講師も遅くまでいるのもあってそれが当たり前だったんですよね。そっちが当たり前だったので、敢えて17時の定時で帰るみたいなことをしてました。逆にみんなが17時に帰ってたら、むしろ遅くまでやってたと思うんですけど。

最初の1年間は部署をローテーションしていたので、それなりに新しい知識とか知見を身につけられました。でも、1周して戻って半年ぐらい経った時、ちょうど業務にも慣れてきて、なんだか消費してる感が強くなっていきました。プロジェクトごとにスコープを変えて、やることは違っていたんですけど、考え方の観点とか結局何をやるかとかって割と似通ってるってことに気づいて、それがなんだかこう、消化してるだけやなぁ感があって。それで、ちょうど2年目が終わる3月ぐらいから、起業したほうがいいのか転職したほうがいいのか迷い始めました。4月の1ヶ月に少しだけ転職活動をやったんですけど、結局しようかなしまいかなって迷っていた際に、5月から海外に行ってくれって言われて、面白そうだなと思って一旦海外に行きました。

---海外はどこに行ったんですか?

山口:シンガポールです。とある物流企業の、各拠点におけるキャッシュフローの可視化をしてました。

それで結局7〜8月ぐらいに日本へ帰国して、また転職しようか起業しようか悩み始めて。そんな中で、ちょうど父親からコンサル案件をもらったので、これでとりあえずコンサルフィー取れそうだから当面は生きていけるだろうなと思い、一旦独立してみようかなという心持ちでコンサルファームをやめました。

---そこから起業するに至るわけですね。

山口:起業してから当面はそっちに専念してやろうと思っていました。

8〜9月ぐらいから、フリーランスのコンサルタント向けの案件を獲得するために、提案書などを作っていたんですけど、実際に起業するにあたって絶対に誘いたい人がいて、それが前事業の共同創業者でした。「起業したいんだけど、いつくるの」って話をずっとしていたんですけど、その人が他にPwC同期2人と、とあるプロダクトを作ってるっていう話になって。じゃあやってみようっていう流れで、AriKiri Noteという学生向けの知識共有プラットフォームをリリースすることになりました。

ただ、実際に運営してみた結果、それなりに工数かかるし、やることがやまほどありました。マーケティングも、今思えばこうしとけばよかったっていろいろ出るんですが、その時なりに頑張っても結果があまり出ず。そこで、本当に今後一緒にやっていけるかどうかという話になりました。というのも、私以外の3人のうち、1人はある程度時間が余ってるってこともあってハーフコミットぐらいはできたんですけど、残りの2人がPwC現職で、コンサルとしての仕事がかなり忙しく、ハーフコミットすら難しいという状況だったので。結果、その2人はやめ、残りの1人と私で共同創業という形になりました。そこも当時は考えが至らなかったんですけど、別にハーフコミットじゃなくても業務委託や週末コミットって形でもよかったじゃんって今では少し反省しています。

2018年11月に2人で共同創業し、抜けて行った2人の協力もあって2019年の1月にAriKiri Noteをリリースすることができました。ただ、学生向けのサービスで学生からお金を徴収するサービスだったので、マジで売り上げが立たなかったんですよね。しかもサービスそのものがノート共有売買だったので、年に4回ぐらいしかないテストの時期にしか需要がなく、かつ学生向けだったので入ってくるお金はかなり少額で。最初リリースした時なんかは売り上げ200円でした(笑)。

さすがにこれだけでは食っていけないなと思ったので、2月ごろからフリーコンサルとしての仕事も始めました。その時は、あと二ヶ月ぐらいでキャッシュアウトするってところだったので、早々に入れる案件を選んで九州に飛びました。

---九州に飛んでフリーコンサルやって、そのからは?

山口:フリーコンサル案件を通してキャッシュを生みつつ、引き続きAriKiri Noteのアップデートをしてました。元々私が業務を運営するとかの実行部門になって、共同創業者が事業の方向性を考えていたんですが、2年目迎えたあたりに、共同創業者提案で、新しくAriKiri Careerという事業をやることになりました。

その中で、今これをやっていていいんだっけという疑問を持ち始めました。というのも、前までの事業は、自分が作っている感があったんですよね。でも、新しい事業をやっていくってなった時に、これでいいんだっけ感とかこれでキャッシュ稼げるんだっけっていう違和感を覚えていって。

当時はあんまり気づいていなかったんですけど、今でこそわかるのは、そもそもの方向性の言語化すると、共同創業者は個人が自力で自由になれる力を獲得することをすごく重視している一方で、私はコミュニティーとかチームとか、組織立って自由な社会にしていきたいという気持ちが強くあり、2人の間で差異がありました。私の文脈だと、個がチャレンジできる世界というのは、組織や社会がそういう姿勢を許容できる体制ができているから可能なんです。その当時はここまで気づいてなかったんですけど、なんか違うなという違和感は思っていて。思い悩んだ結果、2020年の6月に、もうこの事業が自分の方向性とは違うということを伝え、揉め、7月半ばやめました。



■ハイ・シナジーコミュニティの形成をミッションに、2020年8月SEPTAを創業

---SEPTAを創業して「CoProJect」を始めるまでには、どういった流れがあったんですか?

山口:7月の途中ぐらいからもうすでに次に何をやるかを考えていました。VC先であるREAPRAと改めて自分のやりたいことを整理して、言語化して、何の事業でやっていくのかを考えていました。ただ、何の事業でやっていくかは前の会社の失敗もあったので、できるだけ早くキャッシュが立つっていう観点が一番強く入っていて。

それに加えて、長期的に自分が目指したい世界観に繋がる可能性がある領域っていうのも加味して、2020年の8月にスタートしたのが「CoProJect」です。その当時、片手間でフリーコンサルもやっていたので、フリーコンサルの紹介事業に関して、エージェント側の負の側面というか、もっとこうすればいいのにっていうのが結構見えてきたっていうのも理由にあると思います。

---その負の側面は解消されていると思いますか?

山口:うーん……まだまだ解消はされていないです(笑)。なぜそういった負の側面が為るのかはわかりました。

---ようやくSEPTAを創業したわけですが、今はどういう未来を目指していますか?

山口: まずは、組織風土や文化みたいなところで言うと、ハイ・シナジーコミュニティを作るって言っているので、そもそもSEPTA内部から実践していかなければならないと考えています。自分がチャレンジして成長できるように動いたら、他者の成長とかチャレンジにインパクトを与えると言った状態を、SEPTA内でもちゃんとつくらなければならないというのは喫緊の課題ですね。

---今の仕事のやりがいを教えてください。

山口:最近思うのが、自分ができるようになることってあまり自分の成長として感じなくて。

どちらかというと従業員ができるようになることの方が、自分が成長したなぁとめっちゃ感じる。従業員が、ある業務ができるようになったとか、こういったことを新たに提案できるようになったとか、少ないながらもそういう時に成長を感じますね。今後は、そのような事象をもっと私が生み出さなきゃいけないですね。

---今は、事業作りというよりかは組織作りの方がやりがいを感じるってことですか?

山口:事業の側面で言うと、成長してるんですけど、成長してない気がするんですよね(笑)。従業員規模で言ったら成長していないからなのかな。

もちろん事業は何でもいいってわけではないんですけど。CoProJectを作った創業当初は、売り上げ右肩上がりで成長しているっていうことにもやりがいを感じていました。ただ、今は成長速度はあるんですけど、加速度が一定な気がするんですよ。成長のペースをどんどん加速させないといけないんだと思う。それが事業規模の成長を感じられていない原因の一つかもしれないです。側からみたら成長しているんだろうけど。なので今今だと、他人が成長するっていうことがやりがいになっています。

---最後に、どういう人材に来てほしいですか?

山口:今やっている既存事業は、ある程度成長していて手元に業務があるのが現状なんですよ。ただ、業務自体あることは嬉しいことなんですけど、業務があるが故に既存の業務から脱せない。既存の業務から脱せないと、ルーティンワークが続くように見えてしまい、そのルーティンワークで時間が消費される。更なる成長とかミッションを追求するにあたって、理想としてはそういう概念をぶっ壊す人がほしいです。

具体的に申し上げると、直近ではフリーランスコンサルタントの目線に立って業務に取り組むことに対してモチベーション高く取り組んでいただける方や、何かの領域において圧倒的な実績を残されてきた方と一緒に仕事ができると良いなと思っています。

そういった、弊社のミッションに共感しつつも、SEPTA内部でもハイ・シナジーが実施できていないところがあるので、自らハイ・シナジーを実践する心持ちを持った人が欲しいです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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心より、お待ちしております!


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