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私がSANCYOに入社した理由

初めまして!SANCYOで職業指導員をしている島川です。
今回は私がSANCYOに入社した理由について書かせていただきます。
少し長くなりますがお付き合いください。

私がSANCYOに入社した理由は3つあります。

1つ目は『社会の側の壁を壊したいから
2つ目は『その可能性を肌で感じたから
3つ目は『働きたい場所で働きたいから』です。

私がSANCYOの存在を知ったのは、現在勤めている就労継続支援A型事業所TANOSHIKA CREATIVEの開所資金を集めるために2018年に弊社が行っていたクラウドファンディングでした。
https://camp-fire.jp/projects/view/63668

軽作業やパン作りなどをする所が多い中、PC作業をメインとする事業所に大きな可能性を感じ、5000円を支援したのがきっかけでした。

その頃、私は教師をしておりました。
特別支援教育に興味があり、特別支援学級の担任を2回務め、特別支援学校教諭の免許も取得しました。
そんな私が転職を本気で考えたのは、担任していた生徒と行った、特別支援学校高等部の進学説明会の時でした。

学校での取り組みを拝見した後で進路説明会に出席しましたが、卒業生の進路先を見て愕然としました。
どの年度を見ても、高等部を卒業してそのまま一般就職に至った生徒の数が10人もいませんでした。
高等部の生徒数は元々少ないですが、それにしても少なく感じました。

それ以外の生徒は、A型やB型などの就労支援施設で働いたり、障がいの重い生徒は生活介護事業所等への入所、中には家事手伝いと書いてある場合もありました。

私は社会の側の壁の大きさを突きつけられました。
自分の無知や無力さを呪い、教え子の将来を憂いました。

先ほど見学した際、生徒や教員は懸命に学びを積み上げていました。彼らを責める気にはなれません。

就職した子ですら、学校ではリーダー格だったはずですが、以前から受け入れてくれている地元企業の清掃や製造など、限られた職種の中から選択したというのが実情だと思います。

これは受け入れる側に彼らと協同するための努力や意欲、能力やノウハウ、設備がないことなど社会の側にある壁、「障害の社会モデル」によるものです。

私はその壁を壊さんがために、教師という肩書きを捨てることにしました。
なぜなら彼らにとって、卒業した後の人生の方が圧倒的に長いからです。
私がどれだけ優れた授業を展開しようが、それは彼らの将来とは関係ないのです。

学校では障害に理解のある人達に囲まれ、彼らの意思が尊重され大切に育まれますが、
社会に一歩出ると障害特性について理解のない人達に囲まれ、
職業選択の自由すらままならないのが彼らの卒業後に待ち受けている現実です。

そんな彼らの働く場所や選択肢を増やすことが私の教育者としての次の目標になりました。
まずはどんなことができるのか、可能性を探ることが必要でした。
その時、以前支援したTANOSHIKAのことを思い出しました。
クラファンの時に感じた可能性を肌で感じてみたいと思いました。

そして2018年9月、社長に頼み開所して半年ほど経った就労継続支援A型事業所TANOSHIKA CREATIVEへ研修に約1週間行かせてもらいました。

そこでは多様な障害を抱えた方達が、デザイン・コーディング・ライティングなど、自身の障害特性や得意分野に合わせたPC作業に取り組まれていました。

AKARIというオウンドメディアで当事者に向けて当事者目線の情報を発信したり、
Photoshopやillustratorの技術を磨いて名刺やポスターなどの制作をしたり、
地元農家さんから委託され、webページの制作も行っていました。
大和農園さんHP → https://yamatono-en.com/index.html

自分が抱いていた作業所のイメージとは随分違っていました。
ほとんど一般のデザイン会社と変わらないことが行われていました。
短い期間ではありましたが、毎日新鮮な驚きと発見の日々でした。

研修の最終日を迎える頃には、メンバーの皆さんともすっかり顔なじみになりましたが、
同時にこのまま漫然と教師を続けることへの疑問が大きくなりました。

私は既に教師として食べていけるだけの経験や資格がありましたが、
働く場所や仕事内容を自分で選ぶということは一度もなく、
今にして思えばあれは『働きづらさ』を抱えた状態でした。

自分が働きたい場所で、働きたい人と、やりたい仕事をしてみたい』それが私の本心だったのです。

何より私は「ここでしか学べないこと、できないことがある」と感じていました。
私はその晩、社長にTANOSHIKAへ支援員としての入社をお願いしました。
その後、単身久留米に移り住み、今に至ります。

今はAKARIの編集長を務め、記事制作やオンラインイベントを通じて少しでも当事者の方の生きづらさ、働きづらさを解消するために日々尽力しています。

私は自分の選択を正解だったと自信を持って言えます。まだ目的を果たせたとは思っていませんが、あのまま思考停止して同じ場所にとどまり続けるよりも、ここへ来て大きく目標へ近づくことができたと思います。

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