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小金澤硝子の社長ってこんな人!やんちゃ盛りの子ども時代から、社長になるまで ~小・中学生編~

「社長の過去って、どんな感じだったんでしょうか?」


そう質問すると、小金澤社長は「そんなの聞いてもロクな話にならないよ」と豪快に笑った。

2代目として会社を継ぎ、社員をまとめている現在。

そこに至るまでには、スポーツ、大ケガ、不良高校でのケンカ…波乱万丈のストーリーがあった。

「これ記事にできるかな~(笑)」

そう言いつつ社長は直接、幼少期から今に至るまでの数々の武勇伝を語ってくれた。


体は病弱、しかし性格は… やんちゃ盛りな幼少期~中学卒業まで

子どもの頃は、ずっと体が弱かったんですよ。小児喘息で、予防接種とかも受けられないくらいで。

東京育ちで兄弟は4人いて、親戚や従兄弟も近くに住んでて、休みの日は親の会社の野球チームの応援に行ったり、焼肉食べに行ったりして。そういうときでも興奮するとすぐ熱を出して寝込んじゃうような、そういう子どもでした。

旅行に行ってもそうでしたね、喘息でヒーヒーして、部屋で寝てるしかない。

両親がよく議論してましたよ、「空気がきれいな田舎に預けたほうがいいんじゃないか」ってね。東京は空気が悪いですから。


そんな体だったのに、性格はまあ破天荒だった。

よく遊んで、ケガばっかりしてね。例えば塀の上からジャンプして、誰がいちばん遠くまで飛べるか競争して、着地と同時に用水路の角かなんかに思いっきり頭をぶつけて血だらけになったりとか。

何針か縫いましたよ。

あとは、道で野球してて、トラックが来て「どけ」って言われても、「いま俺たちが野球してるから」って相手を待たせたり。

パンツの中にクワガタを入れて遊んでたら何をとは言いませんが挟まれて絶叫して、慌てて飛んできた親父がペンチでクワガタ潰したりね。

そんなバカばっかりやってました(笑)


柔道、サッカー、そしてケンカ…高校入学は果たして⁈

小学2年生から、警察署で柔道をやってました。

強かったので、学年を1年ウソついて大会に出たこともありましたね。本当はまだ2年生なんだけど、3年生からしか出られない大会に出ちゃう、みたいな。

だから対戦相手はほとんど年上だった。まあ、相手も年齢ウソついてたかもしれないけどね(笑)


大会には結構よく出ましたね。年に何回か開催されてたもんで。

2回だけ負けて、あとは全部1本勝ちでした。

長時間取っ組み合ってると疲れちゃうから、組んだ瞬間、一撃必殺!ってね。

まさかこんなタイミングで!ってところをもう、ガッとやる。

おもしろかったですよ。体もどんどん大きくなって、小学5年生で体重が65キロあった。

さすがに「これはデブすぎるな」って自分で気づいて、ちょっと甘いものとかジュースとか、控えてみたりしましたけどね(笑)

でも、そのあと身長がグッと伸びたので、そんなに本格的なダイエットはしなくても標準的な体になりました。


柔道は結局、中学に入ってやめちゃいましたね。

やっぱり遊びがおもしろくなって、練習をサボるようになって、そのままいつの間にか。

代わりにってわけじゃないですけど、中学ではサッカーをやってました。

全然やりたかったわけじゃないんだけど、友達がサッカー部に入ってたのと、まあサッカーだったらモテるかなって(笑)

中1までは普通に練習に出てたけど、それ以降は全然行かなくなったかな。

大会の前だけちょっと行って、一応レギュラーにはしてもらって、大田区で3位だったかな、そんな感じの結果も一応残して…それくらいですかね。


で、高校に行きました。

本当は行くつもりなかったんですよ、高校なんて。遊んでばっかりで勉強なんてもちろん嫌いだったし、そもそもできなかったし。

親には迷惑というか、心配をかけたと思います。

でも、そのような経験があるからこそ、今につながってるってのはありますね。


次回▶ 小金澤硝子の社長ってこんな人!ケンカ、大ケガ、やんちゃ盛りの子ども時代から、社長になるまで ~高校生編~


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