浦畑 眞一郎's Wantedly Profile
高齢者福祉に携わって40数年。老後の人生どう生ききる?数千人の高齢者の関わり関わり、真似たい事例・真似たくない事例、多数の人生に寄り添い、自身も大きく成長させて頂きました。 ...
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要介護の状態というのは、身体レベル・認知レベル・医療ケア等の内容が、できる・できないの個別評価で行われています。その後、各項目ごとに、個別に採点し、その総合点で介護度が出る という仕組みになっていますよね。
この結果、要介護1とか要介護2とかの認定が下り、介護事業所からサービス提供が受けられるという仕組みになっています。
ここで重要なのは、どこに目をつけるかです。人間は、できない内容に目が行きがちなので、「何とかしなければ」とすべてを対応しなければならないと考えがち。底上げ・現状維持の関わり意識で、応対する姿勢が多いのではないでしょうか。
加齢により、日々衰えていく老後の人生。あれもこれも、できないことを、できるようにしようと、もがき苦しむ日常の生活。こんな姿・こんな意識で当人及び関わる者すべてが、汗しているように思いま す。これって、おかしくありませんか?
朽ちていく高齢者。あれこれ強制的にやったとしても、老いていき、すべての能力が低下していく自然の流れは変えられません。食い止めようと、底上げの認識で各々の動作を個別の高めようとしても、それは無理です。高齢になれば余計に、それに打ち勝つ力は持ち合わせていません。
そのうち、やっていることが空しくなり、気力が失せ、生きる目的を見失うという負のスパイラルに陥っていくのではないでしょうか。これって、侘びしく、悲しげな生き方ですよね。
▼インタビュイー
浦畑 眞一郎 / 特定非営利活動法人きらっと 会長
だったらどうするか。一点集中しかないのではないでしょう。ある行為に特化して、これだけは、何としても改善する。こんな、強い思い・意識が、生きる目標を持つことに繋がるのではないでしょうか。できるできないを基準に、安易に行動を起こす、起こさない、を決める。ってもったいないですね。
要介護の状態になっても、一つ・二つ・三つできることがあり、もう少しがんばれば、できそうな気がする。ここに注目し、この部分だけは、何としても維持 する、向上させる。こんな老後の人生を送ってほしいものですし、それに寄り添う私たちでありたいと願っています。
加齢より、身体レベルや能力が衰えていく。これは自然の流れです。幸せに生きていこうとするならば、この流れに抵抗する生き方が必要です。
慢性的な病気を持ち、少しづつ老いていく事への不安。転倒骨折や急に病気を発症し、急激に身体レベルが低下したときなど。気持ちが落ち込み、行く末の希望もなく精神的に蝕む・そうすると、生きる意欲は急速に低下します。
どうすればいいのか答えも見つからず、目的もなくだらだら暮らしてしまう。こんな姿に数多く関わりました。介護サービスの提供者として、精神面の安心と信頼の絆を持ち、やる気を呼び覚ますことが必要で、自分の意志で自ら動いてもらう。これこそが、われわれの活動姿勢です。できないことが、できるようになった姿を数多く体験しました。これで私たちは元気になります。明日からの活力になります。
「こうなって欲しい」強い気持ちを持って楽しい活動となるよう精進していきたいと考えます。
希望が持てない世の中ですね。所有欲・使用欲など、高度成長期に大きな比重を占めた価値観を引きずっていませんか。
物を持つことに満足し、幸せ感を実感する。あなたにとって、本当の「富」(財産)はなんでしょう。お金だけですか?人間の悲しい”性”。”欲望の連鎖”は、留まるところを知りません。「富」の一つである”お金”は大切なものですが、それのみで「幸せ感」「満足感」が満たされる物ではありません。たとえば、大金持ちでも互いにいがみ合う夫婦と、それほどお金はなくても仲良く暮らす夫婦ではどちらが幸せですか。また、自分の好きな仕事をして達成感を得ている人と、好きでない仕事をして高収入を得ている人どちらがうらやましいでしょうか。
世の中の変化が、”富”の定義をも変えています。最高の”富”とは、モノを持つことから、内面的な安心感・充実感があって、気持ちが高揚できる環境に自分が居ると自覚できることではないでしょうか。人々の求める”幸せ感”は、確実にモノではない方向に向かっているのです。特に所得格差が広がってきた日本においては、お金でないところに”幸せ感”を感じなければ、その大半が人生を幸せに感じられないのかもしれません。皆さんは、幸福を何に見出しますか。
現役を引退した後はゴルフや旅行三昧など、遊ぶこと(自己満足)ばかりにお金と時間を使い、何も遺さず死ぬことを考えている人もいるようです。そのような余生は時間が経てば、侘びしく、悲しげな時間を過ごすことにならいでしょうか。やはり、微力ながら誰かの役に立ち、後進に影響を与えることが、この世代の果たすべき役割なのではないでしょうか。
サラリーマンとして定年を迎えられた満足感、事業に大きな役割を果たした実績など、過去にあったかもしれません。しかし今、過去の栄光に執着し自慢げにお高く留まる生き方がいいのでしょうか。一人の存在感は小さなものです。自分の人生を精一杯生き抜くのであれば、地域の人たちと関わり、顕著に行動する姿勢こそ大切で、意識改革が必要です。
人は人との関わりなしで生きられません。生き様や真摯に課題に取り組み続けたその生涯そのものこそが、生きた証であり、後生への最大の遺物になるのではないでしょうか。
信じられる、確かな何かを見つけませんか。
介護保険制度がスタートして、10年が経過しました。この間、思いもよらない利用者の伸び、ルール違反による事業所の退場等、混乱・不安を抱く場面も見受けられましたが、世間に認知された制度として定着したように思えます。
今、事業者からみて、利用者視点に立って、現状と将来像について、私なりの考えを伝えさせていただきます。まず、第1に、介護保険制度の理念はどこへ言ってしまったのでしょう・・・・・
介護保険法第1条に、「有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、必要なサービスを給付(提供)する。」とされています。つまり、介護保険に携わる事業所は、要介護者に対し、自立支援(レベルの維持向上)に向けたサービス提供をしなさい、と言われていることですよね。
しかしながら、今運用されている国が決めたルールでは、自立支援の視点から大きく遠のき、極度の利用制限がなされています。官僚によるルール立案が、各事業所の自由度を奪い、管理統制による厳しい運用を強いられています。給付抑制数字を追う政策立案・実行。本来あるべき姿はどこへ行ったのでしょう。理念(自立支援)に基づくルール刷新へ、舵を切ってもらいものです。
全国で展開されている介護事業所では、保険事業との位置づけから、上記ルールに基づく運営を余儀なくされ、画一的で、独自性を発揮しづらい運営を強要されています。また報酬体型も、レベルが悪化すればするほど収入が増える仕組みとなっています。
つまり、レベルを改善する(理念に基づく自立支援サービスを提供し、結果を出せば)こととなれば、事業所が得る収入は減ることとなります。これは、悪化させなければ、事業の安定運営はしづらくなる構造となっています。各事業所では、年を取ることにより、衰えていくものだという感覚で、利用者を甘やかし、持てる能力を奪い、介護度を悪化させる方向へ導く運営を行われているように感じます。
結果、収入が増え、経営は安定しますが、職員のモチベーションは下がり、退職者が増え、要員の補充もままならない状況になっています。職員にとって、将来展望のない夢や希望が持てるような場でなくなり、利用者の意識も生きる意欲が徐々に無くなっていくこととなっています。
利用者にとって、施設に入所すれば、安心感は増します。しかしながら、非日常空間での暮らしを強いられ、持てる能力を奪われるような生き方が当人にとって、幸せな生き方の選択でしょうか。家族等の事情や個人のエゴなど、様々な要因で入所を選ぶことは、「姨捨山にほかす」かわいそうな選択肢にしか写りません。
在宅で暮らすことは、大きな、大きな不安があります。しかしながら、長年住み慣れた我が家が、一番居心地がよく、精神的に安らぐ場所です。私たちは、在宅にこだわった結果、多くの方々の最期に立ち会わさせていただきました。今、改めて自宅の持つパワー、すごさを実感しています。寝たきり状態から、立てるようになり、歩けるようになりたい。これを目指し、日々実践することが、老後の人生であり、われわれ介護保険事業者としての存在意義があるのではないでしょうか。
制度設計不備により、理念本来の姿(レベル改善)で事業運営を行えば、経営状況は厳しいものがあります。しかし、できないことができるようになり、元気に、人らしい人生を歩まれる姿に、寄り添わして頂ける。これだけで、われわれは幸せで、様々な人に巡り会える喜びに、感謝しているところです。
現在、利用者ニーズに基づく運営ができにくい状況にありますが、本来あるべき姿へ原点回避するときが必ずやってくると信じています。現在運用されている制度の問題点を強く感じながら、事業を行っています。利用者それぞれが、自立へ向けてがんばっておられる姿に関わり、ほんの少し改善が図れた、この経験の積み重ねが大切であると思います。ささやかな幸せの尊さに触れられる、こんな活動を継続していきたいと考えます。
介護保険法の第1条には、明確に自立支援を目指し、サービス提供を行うとはっきり明記されています。にもかかわらず、加齢とともにレベルは低下するものと決めつけられているので、サービスを継続利用すればレベルは悪化し、給付は膨らみます。
よって、国は給付を抑制のため利用制限を行いますし、事業者はそうなるものと認識し、依存心を高め、レベルを悪化させ、ますます高まる要求に応える。そのうち限界を迎え、クレームを引き起こす。夢も希望ももてず、モチベーションが極めて低い制度運用となっています。
自立支援の理念に基づくサービス提供をすれば、事業者の収入は減り、経営的に苦しい運営を余儀なくされます。よって、だれもそこを目指しません。
介護保険制度始まる前、厚生労働省はレベル改善を評価し、成功報酬のルールを設けると説明がありました。しかし、いまだにその配慮はなく、詐欺にあったものと感じています。
本来、レベル改善が図れたかどうかで、事業所の評価をすべきではないでしょうか。元気になり、自立に近づけば、サービス量は低下し、最後には給付抑制に繋がる運用となるのではないでしょうか。
介護保険法第1条の「目的」には、自立支援を目的としてサービスを提供すると明確に示されています。わたしたちは、この考え方に基づき運営してます。とかく年を取れば、衰えていく、これは自然の流れで、仕方のないものと考えがちです。
わたしたちは、そうではないという信念を持って取り組んでいます。この衰えて行こうとする流れの速度をゆるめ、せき止め、逆流させることが本会の使命と考えています。さぼれば、劇的にレベルは低下する反面、がんばってもなかなか結果は現れない空しいものです。それでも日々こつこつと、がんばり続ける利用者に寄り添い、一人一人の世の営みの中身を高めていきたい。これが、本会が目指す活動です。
長さでは計れない命の尊さがありますよね。あきらめず、強い志を持って、人生を歩もうとする姿に接し、活動したいものです。
そうなるも、ならいないも、自己選択・自己決定により決まります。我々に依存するだけで単に寄り添うだけでは、真の幸せは訪れません。自ら行動を起こし、継続して自力で努力しないと「幸せ」は勝ち取ることはできません。 われわれが与えられるものではありません。
(1)利用者のサービス
何のために、サービス提供を受けるのか、「元気になりたい」「歩けるようになりたい」「トイレに自力で行けるようになりたい」これが、本来のニーズではないでしょうか。
しかしながら、「労ってもらって当たり前」という精神構造に陥りやすい。自己中心的で自分の辛さがわからない、と不機嫌になる。側面も持ち合わせています。70年・80年生きてきて、世渡り上手なずる賢い世代でもあります。
年とともに、社会から徐々に遠ざけられたところへ追いやられ、孤独になり、目標もない狭い世界観(意固地で自己中心的な不足ばっかり訴える)を持ち、聞く耳持たない頑固さもあります。
(2)あるべき事業者の立つ位置
かわいそう、気の毒の気持ちで、われわれが何とかしてあげなければと使命感を持って、運営されているところが多いように感じます。
事業者として、この思いが強ければ強いほど、依存心を高めるだけで、行き着くところ、要求に応えられない限界が来て、クレームが発生し、職員の志気は低下する。今の常識では、こうなるものと決めつけ、仕方がないと諦めて運営している事業所を多く目にします。
当人ができることを代わりにやって上げ感謝される。甘やかした行動が、結果、本人の持てる能力を奪い、レベル悪化に繋がってると感じてほしい。そんなつかの間の喜びを感じる活動ってむなしさを感じます。
われわれの立つ位置は、やってあげるところではありません。横に寄り添い、自力で行うことを見守り、足らずを補う、当人の持てる力をいかに引き出すかが、サービス提供のあるべき姿です。
(1)無理とあきらめる介護から、可能性を追求・持続する介護へ
一朝一夕にレベルは改善しません。しかし、こだわりを持って、数ヶ月続けていると何かが変わってきます。忘れ去られた気力・やる気も徐々に芽生えて来ます。これを感じて、更に次へ、この積み重ねが、重介護から要支援へ導けると確信します。胃ろうは、2人取れ、今は口から摂取となりました。現在3人目挑戦中です。
(2)在宅にこだわり続けて
死ぬまで在宅、これがわれわれの使命です。在宅は無理と諦め、施設に送ることは、われわれに取って、恥と考えています。
他事業所からは、「もう施設を紹介しては」とよく耳にします。それであっても基本施設は紹介しません。施設に入れば、安心安全は確保されます。しかし、それは家族・関係者のエゴです。非日常の生活環境に身を置いてしまう。長年住み慣れた自宅が、一番いい場所に決まっています。ここに住み続ける強い意志を、本人・家族・関係者が持つことが必要です。
家族や関係者がリスク回避のため、自分たちが楽するための思いは、当人の尊厳を無視した、勝手な行動としか、私には写りません。
(3)経営的にしんどい部分が見え隠れするけれど
この事業は特定の顧客と長期的なつきあいを前提に成り立つものです。介護度が改善すれば、収入は減ります。しかし、本人・家族との信頼関係は強まります。そして、職員の志気も向上します。
変に安心感を与え、甘やかし、レベルを悪化させ、収入を増やす。お金で幸せを享受する寄生虫のような事業展開が、蔓延しているように感じます。人を物として扱うような今の価値観、何かむなしさを感じます。
(1)アナログ感性を重視した運営
日々、利用者の状況は変化に富んでいます。その場の空気を読み、肌で感じて、考え行動する。これが、知恵ある人の行動パターンです。感情を持ち合わせた人として、自己判断・自己責任で、その時々動くのが、介護のプロとしての基本姿勢です。
(2)マニュアルは基本なしの運営
誰が活動しても同じ、一見安心感を与える活動です。しかし、当人の状況は活動毎に変化します。調子のいいとき、悪いとき、同じ活動を実施するよう強要することは事業者の都合です。活動者を信頼し、その最良でオペレーションする。利用者・活動者を人として扱う。当たり前の行為を実践するため、細かなところまで決めつけたマニュアルは必要ないと考えています。
強引に押すことだけでは、うまくいきません。待つことも必要です。時間が流れる内抵抗する力は弱ります。こうあるべきと、思い続けれれば、必ず願いはかないます。「依存する人」を「変化を起こす人」へ導くため、それぞれの持ち味を生かした運営を基本とするならば、マニュアルは必要ありません。
ケアマネも、主任ヘルパーも、登録ヘルパーも上下関係を無くすようにしています。目指す思いは当然共有し、担い手の主は、登録ヘルパーです。これを下支えするのが、ケアマネであり、主任ヘルパーです。登録ヘルパーに対し、上から目線、強い指示命令は行えない環境になっています。登録ヘルパーの持ち味をいかに引き出すか、ここに、焦点を絞っています。
次に、施設はありません。最期を迎えるまで、在宅で全うするのがわれわれの使命です。苦しさもありますが、亡くなられた後、それぞれに達成感・充実感を味わっています。生きながらえる中で、自宅が持つパワーはすごい物があります。単に安心感だけが強調されたところに身を置く。こんな逃避した人生ってもったいない気がします。
人にとって、最後まで、自分らしく生きるための努力をする。これが、幸せな人生へと導かれるものであると確信しています。
夜間は、自力で「サービス提供なしでも可能です」立位・歩行が困難で、排泄はおむつでと、不自由な生活を余儀なくされることがあります。こんな時、夜中も含め、定期的におむつ交換しなければならないと、プランを組まれ、サービス提供をしているケースがあります。サービス提供をし続ける限り、おむつは取れません。
われわれの活動は、午後6時~翌午前8時まではサービス提供を行いません。この理由は、ヘルパー(主婦)の日常生活を守るためです。ヘルパーも家庭があり、家を守る義務があります。夕刻になれば、夕食を作り、家族と一緒に食べるなど、家庭団らんの大切な時間帯です。これを犠牲にする活動って、人としてどうかと考え、あえて営業を終えています。
もう一点は、利用者の依存心を高めないという思いがあります。今は、おむつの性能も良くなり、尿漏れ等、余り心配しなくいい状況となりました。夜は自力でがんばれと突き放す関係が、自立心を高めるのに多いに役立っています。
漏れて、汚れていやな思いを強いられる。ここから自分で何とかしようと思いが湧き出てきます。寝たきりから、立つことに挑戦しようとうとがんばりがでます。こんなきっかけを作るのがわれわれの役割です。ポータブルトイレに移れるようになる。トイレに行けるようになる。目標を持ち合わせた人生を共に歩む。こんな活動から、自立支援を目標とした活動へと繋がります。
ここ最近、在宅での看取りが多くなってきました。この1年で10件程度の活動を行いました。訪問看護・訪問診療と連携し、できうる限り在宅でとこだわり続けた活動を行いました。その結果、医療の知識は深まり、医療関係者との接点も強まりました。最後は家でも、病院でも大差ないと実感しています。
この経験から感じたことは、関わる職員には一定の負荷は掛かりますが、一時のことであり、亡くなられた後、達成感・満足度は非常に高いものがあります。対応させることにより、職員の志気の低下を懸念する向きもありますが、対応は短期間に終わることが多く、反対に志気は向上しているように感じます。
これを経験した家族にとって、本会に対する評価は高く、印象に残るものとなっています。
(1)離職率は、ほぼ0%
登録ヘルパーの離職率は、ここ最近0%、2級へルパーから介護福祉士へ挑戦するもの多数 → 今年度特定事業所加算算定予定です。
(2)求人チラシなしでの新規登録ヘルパーの採用
5年程度求人チラシへの掲載なし、職員の紹介、飛び込み来所、ハローワーク、知り合いの紹介等により採用しました。
(3)営業なしでの新規利用者獲得
病院、市ケースワーカー、地域包括支援センター、他事業所、職員からの紹介など、随時新規顧客獲得あり、4月新規顧客を12件獲得しました(通常2~3件程度)。
(4)クレームとならない運営
自立支援の思いを強く持ち続けてきた結果、こうなったと思います。利用者も職員も、前向きな生き方を続けようとする気持ちが、合い通じる信頼関係を強め、共有できる目標に向かって歩みを進める姿勢の結果と思います。
「攻めは最大の防御なり」元気になりたいと思う本来のニーズを叶える姿勢が第1優先で、自らの防御姿勢を全面に出す運営ではないと思います。事務的・機械的な対応から、泥臭い純粋な人と人との素朴な関係づくりの視点を持つことが、クレームを減らす大きな要因になっていると思います。
(5)ボス・派閥のない運営
活動しているのは人です。組織の縛りの中で、なぜ上下という格差を設ける必要があるのでしょう。各々長所・短所があり、それぞれの持ち味があります。上から目線で、組織という名の下に各人の感性を押し殺す運営を強いり、画一化する運営、ある意味、管理しやすい体制でしょう。
しかし、人は知能があり、工夫をしてしまいます。縛りを最小限に、自由度を増し、目的を共有する中で、プラス発想の活動が芽生え、上下関係は自然と小さくなります。
(1)動物である
(2)生きながらえようとする生命体としての特性を有する
(3)治癒力・自己浄化作用を有する
(4)知恵を有する「工夫ができる」
(5)感情を有する
人と人の営みの基本的な部分で、事業が成り立っていると考えています。よって、自然の道理に反する行動は、様々な障害をもたらすのではないでしょうか。
動いて生きながらえるものです。知恵を使い、よりよくなろうと、工夫する特性を有しています。これに逆らう行為は、感情がある分、ストレスとなり、あるべき姿に戻そうとする力が働きます。利用者も事業者もこれに逆らう思い・行動があり、モチベーションが落ち、信頼関係が深まらなくなっているように思います。
人として上記のことを踏まえた活動が基本で、これに基づく事業展開が基本と考えます。
人が持つ力量は微細なものです。職員のオーラ(波動)と利用者のオーラ(波動)の絡み合いから、良きにも悪きにも進みます。楽しく、愉快に仕事をし、よきオーラを発し続けていれば、必ず相通じる何かが生まれます。これが良き循環になると信じ続け、自立支援を目指した活動が必要です。
時には、神頼みの考え方もあってもいいのではないでしょうか。神棚を置く、お祓いをする、気の流れの調整(風水・オーラ調整・置物・水晶・お守り)等々、頼るのも、良き流れになるかもしれません。
(1)一部の人に尊敬を集める組織よりも、スタッフ全員が理念や活動を理解し、志を共有できるきる組織としたいものですね。
(2)自分の仕事をどこまでも前向きに見つめること。その姿勢は、よき仕事、よき人間、よき機会を引き寄せ、さらにはよき運気を呼び込みます。
(3)今まで得たデータを駆使して、最良の結果を出そうと、知恵を絞り工夫をする。この積み重ねが、こういう状況の時、自分はどうすればいいか。もしこの方法がダメだったら、次はどうしたらいいか。と機転を利かして答えをだす「才覚」を持ち続けた活動の積み重ねがよき事業への道しるべ。こんな、組織運営をしたいものです。
特定非営利活動法人きらっとでは、絶賛メンバーを募集中です!今回のストーリーを読んで、一緒に活躍してみたいと感じた方・ご興味がある方がいらっしゃいましたら、下記またはこちらより気軽にエントリー下さい。まずはカジュアル面談にてお会いできるのを楽しみにしています!