100の生業を持つ現代版百姓を目指す、破天荒フリーランスのざき山です。
今日も複業メディア「ウィズパラ」で取り扱ったテーマ「AI時代の今、20歳に戻るとしたら稼ぐためにどんな行動するか作戦を立ててみる」の内容について紹介していきます。(元記事:https://wizpara.com/3136/)
最近、AnthropicのCEO、ダリオ・アモデイが「AI開発のペースを落とすべきだ」という論考を出し、それにイーロンマスクも賛同したというニュースがありましたね。
なんでもイーロンマスクは、AIは「核兵器より潜在的に危険」なんだとか。
さらにダリオ・アモデイはAIエージェントが大量に協調して行動するようになれば、1年以内にインターネット全体を乗っ取る能力を持つ可能性について警告してます。
具体的には、より高度なAIが大量のボットを動かし、持続的なボットネットを構築するシナリオです。
AnthropicのAI安全研究者エヴァン何やらさんは「今後10年間にAIが人類を滅ぼす可能性は個人的には10%超だと思う」ぬゎんて言っています。
じゃぁ、もうAIやめればいいじゃんと自分みたいな一般人は思う訳ですが、絶対に世界のAI開発競争にはブレーキはかかりません。
核開発と一緒で、それは囚人のジレンマだからです。
なんで、冒頭でこんな話をするかというと、AIのこの進歩スピードは異次元で、しかも、ロボットや自動運転車などの物理的な「身体」を統合し、現実世界で自律的に判断・行動させる技術フィジカルAIも爆発的に進歩してくるので、人間の仕事がどんどん無くなっていくのはもう確定路線なのです。
我々、フリーランスにとってもただ事ではありません。
現にわたくしざき山もWeb制作業に関しては、AIの影響を受け、事業は縮小傾向・・・というより事業はほぼクローズ状態。
幸い、自分には他のメシのタネもいくつかあり、年齢的にも若い時にある程度稼いで投資に回せているので、何とか逃げ切りセーフかなぁという感はあるのですが・・。
ただ、もし、今の自分が20歳に戻れたとしたら。
そして、2026年のAIの進歩を知った状態で、「これから40年、50年かけて稼いでいくにはどうする?」と聞かれたら、たぶん20年前、30年前の自分とは、まったく違う答えを出すと思います。
「とりあえず資格を取ろう」「大企業に入ろう」「プログラミングを覚えよう」「手に職をつけよう」・・・みたいなことにはなりません。
もちろん、これらが悪いわけではありませんけど。
ただ、AIによって「知識を持っている」「情報を処理できる」「文章を書ける」「絵を描ける」「コードを書ける」といった能力そのものの価値が小さくなっている気がします。
実際、世界経済フォーラムの「Future of Jobs Report 2025」では、2030年までにAI・情報処理技術やロボット・自律システムが雇用を大きく変えると企業側が予想しており、同時にAI・機械学習関連やビッグデータなどの職種が成長するとされています。
つまり「仕事が全部なくなる」というより、仕事の中身そのものが猛烈な勢いで入れ替わっていってるわけです。
では、20歳の自分だったら、この世界でどうやって稼ぐのか、もしくは稼ぐためにどう準備していくのか。
少し極端なくらいに未来を想像しながら、作戦を考えてみたいと思います。
二十歳のフリーランスが抑えるべき今後数年先の未来
まず、前提として「これから何が起こるか」を考えてみます。
もちろん未来のことなので、おいらにも確実なことは分かりません。
しかし、20歳から50歳まで働くと考えれば、30年間という時間があります。
その30年間に、AIやロボットが今よりずっと賢くなっている可能性を無視して人生設計するのは、無謀すぎます。
そこでじぶんは、かなり悲観的というか、「もし最悪の方向に技術が進んだら?」くらいの前提で考えてみます。
ホワイトワーカー的な仕事の完全な終焉
まず、一番分かりやすいのがホワイトカラーです。
文章を書く。資料を作る。メールを返信する。議事録を作る。翻訳する。市場を調査する。プログラムを書く。デザインする。経理をする。契約書を確認する。
こうした仕事は、これまで「頭を使う仕事」とされてきました。
ところがAIは、まさにこうした仕事を得意としています。
もちろん、人間が完全に不要になるとは思いませんけど。
実際、2026年時点のILOの調査レビューでは、生成AIによる大規模な雇用消失はまだ限定的で、現時点では「仕事そのものを丸ごと消す」というより、仕事の中にあるタスクを自動化・補助する影響が大きいとされています。
ただし、20歳から30年、40年働くことを考えるなら、「今は人間がやっているから、これからも人間がやるだろう」という考え方はしないほうがいいでしょう。
「機械がやったほうが圧倒的に安く、速く、正確になりそうな仕事は何か?」という視点で考えたほうが良さそうです。
この発想を持っておくだけでも、職業選択はかなり変わってくると思います。
乗り物の運転、配送業務、国防(軍隊)すらAI/フィジカルAIに代替される
次にやってくるのが、いわゆるフィジカルAIです。
これまではAIが「パソコンの中」にいました。しかし、AIがロボットや自動運転車などの身体(ハード)を持つようになれば話が変わります。
工場、倉庫、配送、農業、建設、清掃、介護、警備、そして自動車や各種モビリティ。AIが「考える」だけではなく、「実際に動く」ようになるからです。
国際ロボット連盟(IFR)によれば、2024年には世界で約54万2,000台の産業用ロボットが新たに導入され、稼働中の産業用ロボットは約466万台に達しています。10年前と比較すると年間導入台数は2倍以上です。
さらに現在は、AIによってロボットが環境を認識し、状況に応じて動作する「Physical AI」への研究開発も進んでいます。IFRも、生成AIとロボットを組み合わせる動きを重要なトレンドとして挙げています。
もちろん、「あと数年でトラック運転手が全員失業する」という話ではありません。
物理世界には、道路事情、天候、事故、責任問題、法律、コストなど、コンピューター上にはない難しさがあります。
それでも20歳なら、「運転という技能を30年間の人生の最大の武器にする」という選択については、一度立ち止まって考えると思います。
さらに極端に考えれば、軍事分野ですら無人機、自律システム、AIによる情報分析などが進んでいます。人間が戦場に行って直接判断するという仕事まで、技術によって変質していく可能性はあります。
「人間にしかできないと思っていた仕事が、実はそうでもなかった」という現象は、これから何度も起こるでしょう。
クリエイターも終焉!?クリエイティブな領域すらAIに置き換えられる
これは、クリエイターにとってかなりショッキングな話です。
私は20年近くWeb制作をしてきたので、特にそう感じます。
昔は、「絵が描ける」「デザインができる」「文章が書ける」「写真を撮れる」「動画を編集できる」というだけで、かなりの技能でした。
ところが生成AIは、その領域に猛烈な勢いで入ってきました。
しかも厄介なのは、「クリエイティブな仕事ならAIにはできないだろう」という期待が、あまり通用しないことです。
AIは文章も書く。画像も作る。音楽も作る。動画も作る。プログラムも書く。アイデアまで出す。
つまり、「肉体労働は機械、頭脳労働は人間」という古い図式が崩れ始めています。
だからじぶんは20歳なら、「クリエイターになれば安心」とは考えません。
ただ「クリエイターであること」そのものより、「自分の名前で残るものを持つこと」には価値は残ると考えています。
第一次産業やエッセンシャルワーカーは、さすがに大丈夫?
では、農業、漁業、林業、建設、介護、清掃、修理、調理などはどうでしょう。
ここは比較的残りやすい……と考えたくなります。
実際、物理世界で動く仕事は、現時点ではAIだけで完結させることが難しいものも多い。
ただし、「ブルーカラーだから安全」とも言い切れません。
ロボットは工場だけではなく、物流やサービス分野にも広がっています。IFRも、物流・倉庫、製造、サービスなどをAI・ロボット導入の主要分野として挙げています。
たとえば農業なら、「人間がトラクターを運転する」から、「自動運転の農業機械を人間が監督する」へ変わるかもしれない。
清掃なら、「人間が掃除する」から、「ロボットが掃除し、人間が特殊な場所だけ対応する」になるかもしれない。
つまり、職業そのものが残っても、必要な人数が減る可能性があります。
日本はまだ最新テクノロジーへの置き換えがゆるやか・・人の仕事が保護されがち・・だがそれでも。
日本では、海外の一部地域と比較すると、新技術による仕事の置き換えが一気に進まないケースもあります。
法律、商慣行、企業文化、既存設備、顧客側の抵抗など、技術以外の要因がたくさんあるからです。
一方で、日本でも生成AIの導入は進んでいます。
経済産業省も、生成AIの急速な普及を背景に、国内企業で利用・導入が進んでいる一方、本格的な活用にはまだ課題があるとしています。
つまり、「日本だからAI化は遅い」というのは、ある意味では正しくても、「日本だからAI化は起こらない」とは考えないほうがよさそうです。
20歳の人間からすれば、就職する会社が今後30年も同じやり方で仕事をしている保証など、どこにもありません。
むしろ日本は、人手不足を背景として自動化が必要になる場面も増えていくでしょう。
人のぬくもりを与えたり、性の相手すら人間からロボットに代替されうる
さらに考えを進めると、かなり変なところまで行きます。
「人間にしかできない仕事」と言われているものです。
接客、介護、カウンセリング、話し相手、恋人、さらには性的なサービス。
こうしたものは、「さすがに人間じゃないと無理だろう」と思いたくなります。
しかし、人間がサービスを買う理由は、必ずしも「相手が人間だから」だけではありません。
寂しいから話し相手が欲しい。褒めてもらいたい。自分を肯定してほしい。誰かに構ってほしい。性的な欲求を満たしたい。
こうした需要を満たすために、相手が必ず生身の人間である必要があるのか。
これはまだ分かりません。
ただ、AIとロボットが進歩すれば、これまで「人間同士だから成立している」と思われていた領域にも入ってくる可能性があります。
ここまで考えると、「人間にしかできない仕事を探せばいい」という戦略も、少し怪しくなってきます。
そもそもAI/フィジカルAIが爆発的に進歩していく中で、AIに奪われない仕事なんてあるのか?
ここまで考えてくると、こう思うようになります。
「AIに絶対に奪われない仕事」を探すこと自体が、無理ゲーなのではないか・・と。
AIにできない仕事を探している間にも、AIの能力は指数関数的スピードで進化しているからです。
10年前には「AIにはできない」と思われていたことが、現在では普通にAIにできる。そして今「AIには難しい」と言われていることも、10年後には分かりません。
だったら、「絶対にAIに奪われない職業」ではなく、「AIによって世の中が変わっても、自分が稼ぎ方を変えられる状態」を作ったほうがいいんじゃないか。
20歳の自分なら、ここを人生戦略の中心に置きます。
AI時代でも仕事を奪われずにフリーランスとして稼ぎ続けるための戦略紹介
ここからが本題です。
では、20歳に戻ったとして、実際にどうするのか。
生産性・役に立つか勝負ではAI・ロボットに勝てないことを早々に認める(張り合わない)
まず、AIと同じ土俵で戦わない。
これが一番大事だと思います。
AIは速い。大量の情報を扱える。疲れない。24時間動ける。大量生産できる。そして改善速度も速い。
ここに人間が、「私は人間だから心がこもっています!」と正面から挑んでも、ぜんぜん勝負になりません。
だから、「生産性」「処理速度」「大量生産」「正確性」ではAIに勝てないと、さっさと認める。
そして別の価値を探します。
これは敗北ではありません。「F1カーと短距離走で競争しない」くらいの話です。
どんなニッチなフィールドでもいい・・その道の第一人者になる
狙いたいのが、超ニッチな専門家です。
ここでいう「専門家」は、大学教授のようなものに限りません。
例えば、「日本全国の○○祭りに異常に詳しい人」「○○という楽器だけを研究している人」「○○地域の古い民俗芸能なら誰より詳しい人」「特定のスポーツの特定の技術だけを教える人」でもいい。
AIは膨大な情報を扱えます。
しかし、「この世界ではこの人に聞けばいい」という社会的ポジションは、単なる情報量だけでは作れません。
しかもニッチであればあるほど、巨大企業が参入する経済的メリットも小さくなります。
20歳なら、「100万人に知られる」よりも、「500人しか知らないけれど、その500人には圧倒的に知られている」というポジションを一つずつ作っていくかもしれません。
人に教える「講師業・コーチング業」
これは、かなり有望だと思っています。
なぜなら、知識そのものはAIから得られても、「その人が何につまずいているのかを見抜く」ことは、単なる知識提供とは別の能力だからです。
スポーツ、楽器、語学、仕事、趣味、職人技、受験、営業、文章。いろいろあります。
もちろんAIにも個別指導はできます。だから「AIには教えられない」とは考えません。
むしろ、AIを使った個別指導+人間による観察・フィードバックという形になる可能性も高いでしょう。
それでも、人間同士で実際に会い、「ここをこう直したほうがいい」「今日はここまでにしておこう」「この人にはこの方法が合っている」と判断する価値は残る可能性があります。
20歳なら早いうちからこの人に教わりたいと思われるような一芸を身に付け、そしてそれを「教える技術」を身につけます。
百のナリワイをもつ現代版百姓というフリーランス像の模索
これからの時代は、「フリーランス=パソコンで仕事をする人」という固定観念も捨てたほうがいいと思っています。
たとえば、出張修理、庭仕事、家具製作、楽器のメンテナンス、祭りの道具制作、撮影、イベント運営、教室、個人向けサービス、地域の困りごとの解決。こういうものです。
これらを会社員ではなく、一人の事業者として複数掛け持ちする。
昔の「百姓」に近い。
一つの仕事に人生を預けるのではなく、「自分という小さな会社が、いくつもの仕事を持っている」という状態です。
これはAI時代に限らず、かなり強い生き方だと思います。
クリエイターは権利(著作権)で守られる自分のコンテンツを作り上げよう
クリエイターなら、単発の受託制作だけに依存しないこと。これも重要です。
「企業から依頼されてロゴを作る」だけではなく、「自分自身の作品・キャラクター・文章・音楽・映像・世界観を持つ」方向へ進む。
なぜなら、受託制作は「労働」ですが、自分のコンテンツは「資産」になり得るからです。
もちろん、AI生成物と著作権の関係はまだ発展途上です。
例えば米国著作権局は2025年、生成AIの出力について、単なるプロンプト入力だけではなく、人間が十分な表現上の要素を決定した場合などに著作権による保護が成立し得るという整理を示しています。
つまり、「AIに作らせたものを売る」だけではなく、「AIを道具として使いながら、自分の創作・編集・構成・世界観を積み上げる」ことが重要になってくると思います。
AIがやらないことって何だろう・・・・遊ぶこと?遊びを極めることが稼ぎにつながる?
ここで、ちょっと変な方向に行きます。
AIが仕事をする時代になったら、人間は遊びを極めるのもアリなのではないか。と思うのです。
旅行する。祭りを見る。楽器を弾く。スポーツをする。酒場に行く。料理する。山に登る。釣りをする。ものを作る。誰かと話す。
もちろん、AIもゲームをしたり、仮想世界で活動したりできるようになるでしょう。だから「遊び=人間だけのもの」とは言えません。
しかし、現実の世界で自分の身体を使って遊び、そこから経験や人間関係や物語を生み出すことには、まだ大きな価値があると思います。
そして、その経験を発信する。教える。コミュニティを作る。イベントにする。本にする。映像にする。商品にする。
そうすれば、「遊び→経験→コンテンツ→コミュニティ→仕事」という循環を作ることもできます。
「遊びを仕事にする」というより、「遊びを極めた結果、仕事が発生する」という状態です。
神は細部に宿る(細部に徹底的にこだわれる人間になる)・・・AIは細部に拘れないという確信
ここは少し個人的な仮説です。
私は、AI時代だからこそ「細部にこだわる能力」が価値を持つと思っています。
ただし、「AIは細部にこだわれない」と断言するつもりはありません。むしろAIは、とんでもない量の細部を処理できます。
そうではなく、「どの細部にこだわるべきなのかを、自分の価値観から決めること」に人間の面白さがあるのではないかと思っています。
例えば、同じ文章を書くにしても、「この一文の語尾はこれでいいのか」「この写真は本当にこの位置でいいのか」「この祭りの幕の柄には、この意味があるのではないか」「この作品には、この余白が必要なのではないか」と、自分なりの美意識で延々とこだわる。
これは生産性だけで考えれば、完全に無駄です。
でも、人間はこういう無駄に価値を感じます。
だから私は、「何でもできる人」ではなく、「どうでもよさそうなところに異常なほどこだわれる人」を目指すと思います。
小さい(小さすぎる)仕事は絶対になくならない、それらをいくつもかけ持つ
AI時代には、「こんな小さな仕事、誰がやるんだろう?」という仕事が大量に残る可能性があります。
逆に、大企業がAIで効率化してしまうほど、「わざわざ人間を一人雇うほどではない」という小さな仕事が増える可能性もあります。
例えば、月5,000円の仕事、月1万円の仕事、1回3,000円の仕事、月2万円の仕事。一つひとつは小さい。
でも、それが10個あれば月10万円です。20個あれば20万円。
もちろん、管理コストや営業コストを考える必要があります。だから単純に「小さい仕事をいっぱい取ればいい」という話ではありません。
重要なのは、小さい仕事を標準化して、繰り返し受けられる仕組みを作ること。
これならフリーランスとの相性もいい。
「100万円の仕事を一発取る」だけではなく、「毎月1万円を払ってくれる顧客を10人持つ」という発想です。
AIを駆使する側に回るのはアリか無しか?
これは当然、アリです。
というか、20歳なら絶対に一度は試します。
AIを使える人と使えない人では、同じ人間でも生産性が大きく変わる可能性がある。
文章を書く。コードを書く。市場調査をする。画像を作る。動画を編集する。営業資料を作る。顧客対応をする。事務作業を自動化する。
こうした仕事をAIに手伝わせる。
ただし、「AIを使えること自体」を最終的な専門性にはしないと思います。
AIは変化が速すぎるからです。
「○○というAIツールの専門家です」という肩書きは、数年後には陳腐化しているかもしれません。
そうではなく、「○○業界に詳しい人が、AIを使って圧倒的に効率よく仕事をする」という形を狙います。
AIは武器。本業は別にある。このくらいがちょうどいい。
AI・フィジカルAIなんか知ったことじゃない、半自給自足的な生活スタイルの確立
そして、最後はこれです。
もしかすると私は20歳に戻ったら、「AIに勝とう」とすらしないかもしれません。
食料を少し作る。料理する。修理する。ものを作る。小さな家に住む。生活費を下げる。必要な収入を減らす。物を買わない。お金がかからない趣味を持つ。
こういう方向です。
なぜなら、「月100万円稼がないと生きられない人」と「月15万円あれば生きられる人」では、AI時代に対する強さがまったく違うからです。
これは「稼ぐ」というテーマから少し外れているように見えて、実はかなり重要です。
稼ぐ能力だけではなく、必要とするお金を減らす能力も収入と同じくらい重要。
20歳なら、じぶんはこの能力も早いうちから身につけます。
一点ものの手仕事職人を目指す
そして、最後に「職人」です。
これはAI時代に残る仕事の代表例……と断言するつもりはありません。
ロボット技術がさらに進歩すれば、手仕事の一部まで自動化される可能性はあります。
それでも、「世界に一つしかないものを、人間が自分の手で作る」という行為には、一定の価値が残ると思います。
量産品ならAI・ロボットに任せればいい。
でも、「あなたのために作りました」という一点ものには別の価値があります。
だから20歳なら、大量生産できる技術より、「自分にしか作れないものを作る技術」を一つ持っておきたい。
AI・フィジカルAIに自律的に動いて稼いでもらう世界の到来
そして、ここまでの話を全部ひっくり返すような未来も考えておく必要があります。
AIやロボットが人間の仕事を奪うだけではなく、AIやロボットそのものが稼ぐ世界です。
例えば、AIがコンテンツを作る。AIが営業する。AIが広告を運用する。AIがソフトウェアを作る。ロボットが商品を製造する。ロボットが配送する。ロボットが店舗を運営する。
そして、それらを所有している人に利益が入ってくる。
こうなると、「自分が何の仕事をするか」という問題そのものが変わります。
素直に白旗・・・既得権益を得られる側にまわる
予想よりはるかにAI・フィジカルAIが進歩したら・・・最後は素直に白旗を上げます。
既得権益でどうにかして、AIの脅威から守ってもらう・・・そんな道を模索してしまう自分もいます。
国や自治体の補助制度、親族・知り合いの縁故での仕事、これらを素直にフル活用するということです。
今までの歴史を見るにどれだけ技術革新が起ころうとも新たな仕事も必ず創出されていく
ここらへんでいったん冷静になりたい。
AIによって仕事が大量に消えるたり、人間の仕事はなくなったりは間違いないんですけど、歴史を振り返れば、技術革新は仕事を破壊すると同時に、新しい仕事も生まれているわけで。
農業の機械化、工場の自動化、コンピューター、インターネット、スマートフォン・・。
そのたびに古い仕事が減り、新しい仕事が生まれてきました。
なので「AIによって仕事が全部なくなる」という未来も、「AIなんて大したことない。人間の仕事は何も変わらない」という未来も、どちらも極端すぎると思います。
おそらく現実は、大量の仕事が変わり、大量の仕事が消え、大量の新しい仕事が生まれる。
その過程で、人間にとって「普通の仕事」の定義そのものが変わっていく。
結局は今までと同じそんな未来かなと思います。
だから20歳の自分に伝えるなら、「この資格さえ取れば一生安泰」「この職業ならAIに奪われない」というものを探すより、変化するたびに自分の仕事を作り直せる人間になれ、と言うと思います。
まとめ
もし本当に20歳に戻れたら、たぶん「AIに奪われない仕事」を一つ選ぶことはしません。
むしろ、複数の逃げ道を作ります。
AIを使える、人にも教えられる、何かを作れる、小さな仕事を複数持っている、自分のコンテンツを持っている、ニッチな分野で知られている、一点もの業物ものを作れる、生活費を下げられる、投資などの資産を持っているなどなど。
そして何より、「自分は○○という職業の人間である」というアイデンティティを、あまり強固にしない。
これからの時代は、職業よりも「自分という小さな事業体」を作ったほうがいいのかもしれません。
「人間にしかできないこと」すら、どんどん機械に侵食される可能性があります。
だったら最後に残るのは何なのか。・・まだ分かりません。
だからこそ、20歳なら一つの答えに賭けない。
AIに勝つ必要もない、AIから逃げる必要もない、AIを使ってもいい、AIに仕事を奪われてもいい・・・また別の仕事を始めればいい、始められるようにしておく。
そんなふうに、何度でも商売を作り直せる人間になる。
そして、もしAIやロボットが本当に人間より圧倒的に優秀になってしまったら――。
そのときは潔く、機械とAIに働いてもらって遊びに行く。(たぶん、そのときはベーシックインカムが整備されてるはず)
20歳に戻れるなら、そんな人生設計をしてみたいと思います。