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「エンジニアをハッピーに」トレードワークス誕生の背景①

株式会社トレードワークスは、金融業界向けに特化した独立系システム開発会社として、主に証券会社やFX会社向けに安心・確実にインターネット上で取引ができるシステムを開発・提供しています。

元エンジニア社長の口癖は「エンジニアをハッピーに」。

数少ない金融系IT企業としてエンジニア文化がベースになっているため、エンジニアにとって働きやすい環境が築かれています。

そこで今回は取締役・金融ソリューション事業部長である徳島直哉さんに、その内容について詳しくインタビューしてみました!トレードワークスの創業背景やカルチャーの実態についてどのような背景があるのか、ぜひご注目ください。

【ネット証券の黎明期から技術力で優位性を発揮】

―トレードワークの設立は1999年です。この頃市場はどんな状況だったのでしょうか?

徳島:大きな変化として、1996年にインターネット証券が誕生しました。それまで証券会社の営業は電話や訪問販売が主で、取引自体も証券会社の店頭で行われていましたが、一連のビジネスモデルがオンラインで完結できるようになったのです。ユーザーも徐々に増え始めていました。

さらに1999年には、日本における株式売買委託手数料の完全自由化を受け、新たに電気・通信などの異業種が証券市場に参入しはじめ、ネット証券の開業が相次ぎました。当社はこの時期に設立いたしました。


―まさに、インターネット証券市場のイノベーション期に設立したのですね。

徳島:そうですね。1999年を境に、証券は全く異なる市場に変化したと言ってもいいでしょう。インターネット上でいつでもどこでも取引ができるようになったのはもちろん、手数料が格段に安くなりました。対面取引に比べると実に20倍以上もの差があったのですから、大きな変革です。

またインターネットの普及によって、ユーザーが投資情報を容易に収集できるようになったことも、市場に影響を与えました。


―トレードワークスは大きな変革の中にあって、なぜロケットスタートを切れたのでしょうか?

徳島:当社の代表である浅見が、競合他社に比べて早いタイミングで金融系のシステムに触れていたのが大きな要素だったと思います。浅見は今から30年ほど前に外資系のコンピューターメーカーに勤めた経験があり、当時の日本にはノウハウがなかった金融系システムに慣れ親しんでいました。

それだけでもある程度のアドバンテージはあったのですが、それをさらに助長したのが日本における金融系システムの開発体制です。

従来、大手金融系企業の多くはSIerに依頼をせず、社内システム部門がシステム開発を担っていました。その社内システム部門が企業として独立して金融系システム開発に乗り出していましたが、彼らの多くは開発に必要なテクノロジーに関して知見が薄い状態だったのです。その結果、日本の金融系システムの進化は欧米に比べて遅くなり、当社が優位性を発揮しやすい状況が生まれました。


ー金融系IT企業の中では、珍しいカルチャーを持っているとのことですが、実際にはどんなものですか?

Sier系企業の中で、代表が元エンジニアの会社はわずか10%程度。エンジニアを理解し、常にエンジニアのことを第一に考える浅見は、エンジニアのやりたいことや気持ちを尊重してきました。エンジニアの好奇心や追及心を武器にする中で生まれた文化は「自由」。ミッションクリティカルとは少しかけ離れた文化を浅見の「やっちゃいなよ」の言葉が築き上げているのです。設立から20年以上経った今、浅見から部長陣へ、部長陣からメンバーへその思いが引き継がれています。詳しくは『「エンジニアをハッピーに」トレードワークス誕生の背景②』でお話しします!

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