失敗をおそれず何度も挑戦!新しい価値を生み出し続ける必然性の高い企業をめざして|株式会社 コスモビューティー 代表取締役社長 山添 隆
化粧品を主軸に医薬部外品・化成品のOEM・ODM事業を行い、日本国内だけでなく、海外にも安心・安全・安定の品質の商品を届けている株式会社コスモビューティー。
発注元のお客様の期待を超えるような、付加価値の高い商品を生み出し続ける理由。それは創業以来、社内で脈々と受け継がれている「No play, No error を良しとしない精神」にあると言う。
「これからも失敗をおそれず挑戦を続け、『コスモビューティーでなければダメなんだ!』とお客様に求め続けていただけるような強い会社をめざします」と力強く語るのは、社長の山添 隆(やまぞえ たかし)。
コスモビューティーでは、いかにしてチャレンジ精神が受け継がれてきたのか。
そして、コスモビューティーがめざす未来像とは。
コスモビューティーと歴史と未来に迫る、山添社長のストーリー。
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[執筆・校正]株式会社ストーリーテラーズ 平澤歩
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ベトナム工場時代を支えた「失敗をおそれずチャレンジし続ける風土」
「大学卒業後、『就職先を見つけなければ』と思い、求人情報誌をパラパラと見ていたところ、『関西の勢いがある会社』として1ページ目に掲載されていた当社。
『ベトナムに新工場を設立予定』との情報が目に飛び込み、『ベトナムに行きたい!』という純粋な興味から、すぐに連絡をして面談の予定を取り付けました」
そんな偶然とも、運命とも言える出会いからコスモビューティーの前身の会社であるモクケンに、社会人未経験で入社した山添。
「後から聞いた話によると、売上が急増している時期で、とにかく人手が足りなかったため、即採用となったようです(笑)。
当時は社員が皆とてつもなく忙しく、研修制度もなかったので、入社初日から先輩に『とりあえずこの仕事、自分で調べながらやってみて』と言われる状況でした。少し面食らいましたが、与えられた仕事に体当たりで臨み、実務を通して知識を身につけていきました。
入社わずか1ヶ月後に、突然海外出張を命じられたことも。
『この部品を台湾で製造しているから、どんな様子か見てきてくれる?』などと言われましてね。
右も左もわからない中で、とにかくその都度必要な情報を頭に詰め込んで、必死に対応していました」
めまぐるしく働きながら、少しずつ、しかし着実に仕事を覚えていった山添。
入社して約9ヶ月ほど経った頃、ついにベトナム工場が完成した。
「ベトナム工場の完成を受け、現地赴任メンバーの社内募集がありました。
私はもともと『ベトナムに行けること』に魅力を感じて入社したため、迷わず『僕に行かせてください!』と手をあげました(笑)。
そして、製造・貿易・人事など、ベトナム工場の全ての業務の責任者として現地に赴任させてもらうことになりました」
3ヶ月間の国内研修後、山添はベトナム工場に着任。
「最初は、安定した品質の商品を大量生産することが非常に難しい状況でした。
なにせ、性能の優れた機械も十分な材料もなく、手作業の工程が多かったものですから。
そこで、自力で徹底的に調べて性能の優れた機械を導入したり、材料や原価など製品製造にまつわるあらゆる物事を研究・調査したりして、工場を運営するための知識を手当たり次第身につけていきました」
未経験で行った工場運営に加えて大変だったのは、工場で働くベトナム人社員の教育だった。
「業務だけでなく、洋式トイレの使い方を教えたり、タイムカードの打刻ルールを教えたりと、日本の習慣を教えるところから始まりました。
ただでさえたくさんの社員をまとめるのは難しい中、文化や習慣の違うベトナム人社員を教育し、統率することはとても大変でした。
しかし、このベトナム工場での経験を通して、『わからないなりにその都度様々な課題を解決していく力』や、『個性豊かなたくさんの社員を率いる力』を身につけることができ、その力は社長として会社を経営する今にも生きています」
それにしても、この時山添は社会人として働き始めてたったの1年。
新設されたベトナム工場の責任者を担い、様々な挑戦を行うなど、普通は失敗をおそれて怖気づいてしまいそうなもの。なぜ山添はここまで大きなチャレンジを行うことができたのだろうか。
「それは、当時の専務が『チャレンジングな姿勢はプラス評価。チャレンジして失敗したとしても、次に繋がる失敗はマイナス評価にはしない』という考え方を持っており、失敗をおそれず安心してチャレンジできたからです。
もし新しい取り組みに挑戦して、失敗したとしても、しっかりと上司やメンバーに報告し、失敗して得た学びから改善してプラスに転じることが大事。
この方針がなければ、全く正解がわからない中で、新しい機械や材料への投資や改善に何度も挑戦することはできなかったと思います。
この考え方は、現在にいたるまで受け継がれている、当社の成長エンジンです」
OEM商品製造から企画提案型商品製造へ
ベトナム工場が新設された当時、コスモビューティーでは、工業用せっけんや車用ワックス・車用シャンプーなどをメインに製造していた。しかしベトナム工場では、当時生産量の少なかった化粧品をメインに製造することに。
しかし、化粧品製造メーカーとして実績の少ない会社が、大手化粧品メーカーと真っ向から勝負するのは非常に厳しい戦い。そこで、大手バラエティショップのコスメ商品をOEM製造することに活路を見出したのだった。
「1つの商品の製造に費やすことのできるコストには限りがありますが、そのコスト以上の品質の商品を製造し、他社製造メーカーとの差別化を図ろうと必死に努力を重ねました。その結果、受注先の大手バラエティショップで商品は話題を呼び、ヒットしました。
そして、『コスモビューティーがOEM製造したコスメ製品は、コストバランスと品質がとても優れている』との評判が広がり、通販メーカー・スーパーマーケット・ドラッグストア・量販店などのメーカー担当者からの問い合わせが殺到するようになりました。
これをきっかけに、当社は化粧品の製造をメイン事業にすることとなりました」
しかし、事業は軌道には乗ったものの、「このままでは単なる薄利多売の工場生産から抜け出せない。より付加価値のある製品を生み出さないと成長できない」という課題を感じた山添。
製品開発に力を入れるべく、研究員を増強。そして、単にお客様から注文を受けた商品を製造するにとどまらず、商品のコンセプトやブランドストーリーを企画・提案する力を磨いていった。
「そうして取り組みはじめた企画提案型の商品開発や製造でしたが、最初はうまく行かず、容器からの液漏れが起きたり、品質が安定しなかったりと、問題が次から次へと発生。結果として、ご依頼いただいたお客様には、たくさんのご迷惑をおかけしてしまいました。
しかし、『失敗を糧にしてプラスに転じさせるマインド』を忘れず、迅速に改善策を考え、お客様と一緒に粘り強く試行錯誤を続けたことで、ついにヒット商品を生み出すことができました。
この成功体験から、当社の現在の事業スタイルである企画提案型の事業モデルを確立し、『企画提案力・コストバランス・品質の優れたコスモビューティー』として、他社に負けないお客様から選ばれる企業へと成長していきました」
唯一無二の必然性の高い企業をめざして
商品の企画提案力と安心・安全・安定の品質でメーカーの支持を獲得し、成長を続けるコスモビューティー。
今後、山添は「『コスモビューティーにぜひ頼みたい』『やはりコスモビューティーでなければ!』と思っていただけるような、必然性の高い企業をめざしたい」と話す。
「必然性の高い企業へと成長するためには、お客様の期待を超える付加価値の高い提案を行い、商品を生み出す必要があります。
その実現のためには、私自身、ベトナム工場時代から勇気づけられてきた『失敗をおそれず、安心して挑戦し続けられる風土』が不可欠です。
失敗を受け止める環境があるから、社員はおそれることなく前向きにチャレンジできる。社員は様々なことにチャレンジして、時には悔しい思いをし、学びながら成長していく。そして、社員が成長すれば、会社自体さらに成長することができる。
この文化は、これからどんなに新しいメンバーが加わったとしても、必ず脈々と受け継ぎ、お客様をあっと言わせるような新しい価値を生み出し続けます」
そう力強く語る山添。
コスモビューティーは積極的なチャレンジで、これからも日本、そして世界へ新しい価値を届け続ける。