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|今の大学生に伝えたいこと|ベンチャー企業の営業マネージャーが自分のこれまでを振り返って思うこと

「普通が一番や」

私の母親がよくいっていたセリフです。


初めまして、Rebozu合同会社の小森と申します。

現在27歳で飲食事業部の事業部長をしながら、採用にも携わらせていただいています。


今の私の印象を周りの方に聞いてみると

「ムードメーカー」「面白い」「小森さんがいると盛り上がる」

といった風によく言ってくれますが、昔は全く逆のタイプの人間でした。

大学生くらいまでは人と深く関わることがすごく怖かったですし、人に心を開くのもすごく時間がかかったタイプです。

社会人になってから再開した学生時代の友人たちには「昔とずいぶん変わったな」と良く言われるのですが、私もそう思います。笑

今となっては素敵な会社、仲間に出会え、毎日これでもかってくらい楽しく仕事ができています。

今回はそんな私がどうして変われたのか、どうして今こんなにも楽しく仕事ができているかについてお話ししたいと思います。

最後までご覧いただけると幸いです。

自己紹介

現在27歳、兵庫県の姫路市で生まれで
小学4年生から大学3回生まで野球一筋でした。
社会人になってから大阪へ出て、システムエンジニア、大手IT会社の営業、フリーランスの営業として活動ののちRebozuに入社、入社半年でチームリーダーに就任。
素敵な仲間と出会い、幸せな家庭を築き、全員と幸せになるために日々奮闘中。


私、昔は真逆のタイプでした。

実は私、元々はすごく引っ込み思案でした。

よく昔の話をすると今と違いすぎると全然みんな信じてくれません笑

私の人となりを知ってもらうためにも少し昔話からさせていただくと、今でこそ盛り上げたりだとか、注目されることも厭わず率先してボケたりするようなタイプですが、幼稚園のころなんて、髪の毛を切るだけで次の日に幼稚園に行くのを嫌がったりするくらいでした笑

小学校に入ってからも変わらず、みんなと一緒に遊んではいましたが中心人物とはほど遠い立ち位置の子でした。

クラスでも決して目立たず、特に勉強ができるわけでもなく運動も普通で周りに流されるように過ごした小学生時代でした。

小学4年生の夏、父に「野球チームに入れ」と言われ弟と2人で入団。私だけはイヤイヤながら体験入部を経てチームに参加することに。野球自体はチームに所属する前から公園でよく遊んでいたので好きだったのですが、練習に行くのはめちゃくちゃ嫌で毎週土日の練習だったのですが毎回吐きそうになりながら練習に行っていました。

当時の私はとにかく泣き虫で、臆病で、受け身な小学生だったと思います。

練習ではほぼ毎回と言っていいほど、泣いていましたし、怒られることを極端に怖がっていました。年上の人との関わるのもすごく苦手でとにかく怯えてあまり近寄ることはしませんでした。

中学と高校は野球のためだけに過ごしてきました。

特に高校は私立に進学し、甲子園にも出場するような高校で野球をすることを選びました。

部活動は真面目にやってきた方で、練習も真面目に取り組んできましたが最後までレギュラーを勝ち取ることはできず、チームも早々に敗退、そのまま引退を迎えました。



朝早くから夜遅くまで両親の献身的なサポートもあり、3年間野球に振り切った高校3年間を過ごすことができたのは親のおかげでした。甲子園に出たり、試合に出ることが叶わなかった申し訳なさと悔しさでこの時に親への恩返しや頭を使って努力をしなければ努力は無駄になることを痛感しました。


自分の人生を全力で生きる

すこし長くなりましたが、ここからが今の私を形作る部分のお話になります。

私に大きく影響を与えたのは大学2回生の頃に訪れたスリランカとカンボジアでのことでした。

当時スリランカもカンボジアもまだまだ途上国で舗装されていない道路やドアのないバスなど非日常で溢れ大学2回生の私からするとそれはそれはとても楽しい日々でした。

しかしながら、楽しい中にも垣間見える日本では絶対に見ることのないリアルな風景がとても印象的でした。


レストランでキッチンで鍋を振るう小学生くらいの男の子

山奥の道のないところから突然現れた兄弟

現地人の友人に奥地に案内してもらった時に見た家でゴミ捨て場から拾ってきた年齢も学年も不揃いな教科書であろう本とそこで生活する家族

カンボジア国境で入国審査待ちの時にいたLサイズの紙コップを黙って差し出す少女


5年以上経った今でも鮮明に覚えています。

彼ら、彼女らの姿を見て間もない頃に偶然テレビで本田圭佑さんの番組がされていました。

それはカンボジアの学校にいる子供達に対し夢聞いてる場面でした。みんな手を挙げていましたが、「お医者さん」や「先生」といった回答ばかりでした。本田さんがその理由を聞くと「親がいいとゆうから」「親戚がいいとゆうから」と生徒たちが答えていました。

その時に私は今の自分の置かれている状況やいままで当たり前だと思ってきたことがそうじゃないことに気がつきました。

『夢を自由に思い描けること自体がありがたいこと』

スリランカやカンボジアの子供達の背景が事実にしろ、私の勝手な想像にしろ、私の中ではすごく衝撃を受けた光景でした。その経験をした時から、私は恵まれている国に生まれ幸せに過ごせているからこそ自分の人生を全力で生きることに使命感を覚えました。

その人たちに何かしてあげることももちろん考えましたが、人を幸せにするのには順番があるとわかったのです。何よりまずは自分の幸せを掴めていないと海外なんてもちろん日本国内の自分の周りの人にすら幸せにできないなと思いました。


最後に

私の両親はどちらかといえば「安定思考」でよく「普通が一番」と口癖のように話していました。先進国であったとしても「大きな会社に就職をして、1社で勤め上げる」「退職金をもらって老後をやりくりする」と言ったように親からのキャリア観の影響は少なからずあるなと感じます。

もちろん私の親には育ててくれたことや、野球をさせてくれたこと、それ以外でも感謝してもし切れないくらい感謝しています。

ですが、キャリアの歩み方や将来の描き方は自分で決めたいと思いました。

私が大学生だった頃、もっと広い視野を持てばよかったなと思うし、一緒にいる仲間や環境も今となってはより良いものを目指せたなと思います。

振り返って思うこと、そして今の大学生や、これから社会人として頑張ってやろうと思っている方に向けて私がお伝えしたいことは他にもたくさんありますが、

  • 自分の身を置く環境と仲間がすごく大切
  • たくさん見て触れて知って、選択肢をたくさん持ってから選んでも遅くはない
  • 過去なんて1ミリも関係ない、これからの自分と未来の可能性に信じてチャレンジしよう

特にこの3つは自分への戒めも込めてお伝えしたいです。

人にアドバイスできるような人間ではありませんが、それでもより良いキャリア、より良い人生、より良い景色を見たいのなら私はもっと大切にしておけばよかったと思うことを集約させました。

これから就職活動を始める方や将来に対して漠然とした不安がある方も多いかとは思います。私もそうでした。社会人1年目の時に、あのトヨタが終身雇用をやめると言い出したのです。当時の私の会社はもっと無理だなと思いましたし、先行きがわからない会社にい続けることの方がリスクだと思いました。

新卒で上場している会社に就職をしましたが、1年でやめ自分の力で世の中を生き抜く力をつけることが1番の安定であり、安心だと思いこれまで行動し続けてきました。

その結果、今ではそんな不安もいつの間にか消え、毎日仕事を楽しんでできるようになり、仲間にも恵まれるようにもなりました。

今思えばものすごく勇気が必要な決断でしたし、とても心震えたのもよく覚えています。ですが、自分の将来に期待しない方が自分に失礼だと思いましたし、心の奥底で思っていることに蓋をして聞こえないフリをした結果、後悔する人生だけは嫌だと心から思います。


「あなたの一番はなんですか?」


ぜひ自分の将来に期待をし、チャレンジすることをお勧めします。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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