15歳の夜、僕は将来の目標は起業することと決めたのだ。
金や権力がすべてと言わんばかりの大人たちを見返してやろうと。
当時の僕は高校生。自給500円のバイトに就いていて、金や権力など全く興味はなかった。
しかし、ある事でそういった権力を握っている者に打ちのめされたことをきっかけに、
世の中を動かす原動力、人の気持ちに影響を与える根源が何なのか、どうしても知りたかった。
金なのか、心なのか・・・私利私欲が動かす社会に勝負したかったのだ。
そのために、
まず自分が起業し、成功したと言えるほど会社を成長させる。
その時、本当に強いもの、大切なものは何か、
それは志(こころざし)、心なんだと言いたかったのだ。
金じゃない心だと。
そう決意して以降の自分は、日々、大風呂敷を広げ続け…
立てた計画や目標は、ことごとく失敗、頓挫。
多分、半分以上は失敗か、予定変更で消滅している。
でも、
口から出任せを言っている感覚は無くて、
本人は本気そのものだった。
だから、
失敗する度に、次は絶対に目標を達成して見せる。
負けず嫌いと言うか、劣等感かもしれないが、
掲げた目標は一度も揺らぐことはなく、今日も続いている。
僕はそう言う自分を恥ずかしいとは、これっぽっちも思わない。
逃げたら負け…そう思っている。
ことごとく失敗しても、その回数に比例して、
目標まで、あと一歩の所までどんどん近づいていくのが分かる。
もちろん、
逃げてわかることも…あると思う。
しかし、それは何もしなかったという…取り返しのつかない後悔ではないか。
そう、
志という一文字の言葉。
何度も何度も心に刻んできた。
すると、志はますます強くなっていく。
その志から逃げない人生。
人に決められるのではなく、自分で決める人生。
自分を信じて…ここまできた。
15歳、金と心。
今だから言えることは、
あの時何もわからなかったのだ、見返したい思いより、悲しい気持ちだったのだ。
そして怖かった、恐ろしかった。
私利私欲の世界に突っ込んでいくことは、まるで出口のないトンネルに入っていくかのようだった。