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名前から天啓を得た“万人を助けて前に突き進む”これが僕の使命

”飲みにケーションが僕のIT人生のスタートラインだった”

祖父から「手に職をつけろ」といわれたことがきっかけでコンピューター関係の学校へ進学しました。卒業後は情報システム部への就職を希望するも、希望が通らず工場設備部門への配属となってしまい……。
その中での楽しみといえば現場の方たちとの飲みにケーションでしたね。

ある日、いよいよ現場へもWindows95が導入されエクセルを使用した日報管理が必須となったんですが、パソコンに不慣れな現場では管理自体が大きな負担業務となり、僕にとって大切な飲みにケーションの時間をも侵略していきました。
現場のある一人から「ボタンひとつクリックしたら自動で記録できるシステム作ってくれよ!」と冗談混じりに話されたきっかけが僕のIT人生の始まりだったんですよね。
そこで、インターネット掲示板を利用し、こんなシステムを作りたいと投稿したところ、プログラムを書き込んでくれる人が現れました。この”自分で考えたものが実現化される”体験が火付けとなり、現場の人が楽になるシステムを勝手に作り始めたんですよ。ただ、この”勝手に”というが問題でした(笑)

私の単独行動とは別に、全社プロジェクトとしてベンダーを招いたシステム開発が行われることになりまして……。当然、私の現場へもヒアリングが入り私が独自開発していたシステムについて発覚してしまったんですよ。「これを勝手に作った奴は誰だ!!」と問題視され、岐阜から東京本社まで呼び出しをくらうことになりました。でも、僕はこのピンチをチャンスだと思ったんですよね!情報システム部上層部との面談の中で、本当は情報システム部に入りたかったことを打ち明けてみました。大目玉を喰らうはずの面談で、”井上に頼めば安くていいシステムが作れる”という称号を勝ち取ってきました(笑)

その後は、、自分のやりたい仕事を任せてもらえるという環境を作り出すことに成功し、エンジニアとしてのスキルを独自で磨いていくことができました。

”東京へ修行の旅。何もできない井上というレッテル”

エンジニアとしての知見を広げていく中で、このままの職場で良いのか、自身で起業してはどうなのかという疑問を抱き始めました。
周囲のアドバイスもあり、東京へでて3年間プロの世界で修行を積むことを決意。運良く希望にマッチした会社へ入社が決まったのですが、ビックマウスで入社してしまい(笑)期待値が高かった僕は初回からハードルの高いビックプロジェクトを任されました。
しかし僕にとっては初めての設計書、初めてのレビュー、初めての洗練されたエンジニア集団という状況で、初仕事の評価はボロボロでした。その結果、「何もできない井上」というレッテルを貼られてしまいましたね。この出来事を機に、どんどん任されるプロジェクトは小さいものへと変わり最終的には僕を含め2人しかいないプロジェクトまで落ちこぼれました。
それでも、僕はここでもめげませんでした。劣悪な環境下でのプロジェクトを半年間ほぼ徹夜でこなし、次第にプロジェクトメンバーは2〜30人、最終的には2〜300人のビックプロジェクトを成し遂げる成果を残しました。紆余曲折ありましたが結果としてこの3年間で当初目標としていたプログラマー、エンジニア、PMの経験を果たし、次は起業だー!とさらなる飛躍に向けて動き始めることにしました。

”初めての起業”

起業家スクールへ通いながら、良き出会いにも恵まれ男2人で”フォーワンファースト”を立ち上げました。夢の階段を登り始めたと思ったのも束の間、ここからが地獄の日々でしたね。事業のスタートとしてインテリアショップをスタートしたのですが、経営面がなかなかうまくいかない。倒産寸前でした。
事業の礎になればとシステムの受託開発を請負っていく中で、日本最大級のECポータルサイトのPHP化プロジェクトに携わるなど良い経験をさせてもたえた部分もありました。しかし、経営面の蓋をあけてみると会社は既に大きな負債を抱えていました。さすがに常にポジティブがとりえの僕もお酒に逃げてしまいましたね。あの時は出口が全く見えませんでした。
行きつけのバーで寝ていたある日、見知らぬ男性から声をかけられ、一緒に仕事しましょうよなんて展開に。人生なにが起こるかわからないです(笑)またもや飲みにケーションが運命の出会いとなり、以降大きな案件がどんどん舞い込み見事に会社も黒字経営を果たすまでに回復しました。

”震災で考えた自分の人生”

会社も軌道にのっていた2011年。父の死と3.11の震災と辛い出来事が重なり、一度立ち止まって自分の人生を振り返えってみたんです。
自分は人の手伝いばかりをしていて社会に何も残せていないことに気づき、”晋助”という僕自身の名前を思い返したんです。名前の如く”万人を助けて前に突き進もう”と新たに決意しました。

インターネットを通じて女性を笑顔にかえていくことをミッションに女性にフィーチャーしたプロジェクトを次々と展開していきました。その中で、LINE拡張ツールLinyと出会い、これは面白いと知見を広げる中でIRISデータラボを立ち上げるに至りました。

”IRISデータラボをスタートして今感じていること。今後のビジョンについて”

自分の目指す完成形に近づいてきていると感じています。

サラリーマン時代、会社やプロジェクトの規模が大きくなるにつれて、自分の本意に反する業務をこなさなければいけないことも多く、憤りを感じていました。だからこそ、少数精鋭かつ良いチームで仕事がしたい。2:8の法則になるような会社にはしたくないと思っています。急激な成長でなくても地道に膨らんでいくような成長を。現状にあぐらをかかずにチャレンジする気持ちを大切に。大企業じゃなくていいけど、大勢を幸せにしたい。そんなモチベーションで日々の仕事を楽しんでいます。

"経営理念「データ×テクノロジーで1人でも多くの人と〇〇を共に創造していく」に込めた想い"

限定した言葉を使いたくなく、あえて〇〇という表現にしました。
価値観や企業によってお客様が求める答えは変わってくるじゃないですか。だから〇〇には、どんなお客様の思いにもアジャストできるようにという想いを込めて無限の可能性を秘めた〇〇を採用しました。

祖父の言葉「心の幸せが一番最強」という言葉が今もなお僕の人間形成に大きな影響をもたらしています。仕事のために時間を使う人生はもったいないですよね。それよりも、自分が作り上げたもので誰かが笑顔になる。それが仕事だった。そんなスタイルを心がけています。だってそれがエンジニアにとっての一番の楽しみですから。

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