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経験者の吉永隆之さんに突撃インタビュー「ぶっちゃけどうだった?!」

2014年7月1日付で吉永さんは、復興庁雇用の職員として福島県浪江町復興推進課へ配属。住まいを神奈川県から福島県郡山市に移し、Code for Japanのバックアップを受けながら、福島県二本松市にある、浪江町役場二本松事務所へ通う生活が始まりました。契約期間は1年。3年まで延長可能ですが、吉永さんはまずは1年と決めてCode for Japanのフェローシップに臨みました。

その浪江町フェロー第一号吉永さんが、自らの体験を語ってくださいました。

【地域をサポートする仕事がしたかったんです】
もともと、地方の自治体とか企業をITの力でサポートする仕事をしたいと思っていたんです。その一環で経営戦略を練る外資系の会社に入り、海外への売り出しのプロジェクトマネージャーのようなことをしていました。少しずつスキルがあがってくると、別のフィールドに挑戦したくなって。そういう時に、浪江のフェローシップの話を耳にしたんです。

 その時は、プロジェクトをまとめるキャプテンと、デザイナーと、エンジニアの3名の募集があって、僕はモノは作れないんですがプロジェクトを管理したり、指示したり、人と人との調整をしたりというのは仕事でもやってきたし、得意な方だと思ったので応募しました。

 アプリも作ったことはないし、「アジャイル経験者」を求めていると募集要項に書いてあったんですが、そのあたりはいいように解釈して、それはできないけど他のことができればいいかなと。

 自分では採用が決まったら福島に行く腹を決めてはいたんですが、結婚してまだ半年くらいだったし、会社も辞めることになるので周囲にも相談しました。そうしたら妻が「そんな機会は絶対ないからやったほうがいい」と言ってくれて。


【現場に入ると、予想と違うこともありました】
車を買って通勤しなくてはいけないとか、自治体の仕事も、いかに公平にやらなくてはいけないとかルールも厳しくて。仕事の仕方を理解するのに少し時間がかかりました。

 最初にショックを受けたのは…タブレットの配布も、アプリの作成も、町の人が困っているのでその問題を解決するために作る、という正義感のような意気込みで行ったんです。だけど、町の人も役場の人の中にも、「そもそもタブレットの配布って何の意味があるの?」という人がいて…直接、タブレット配布事業自体に反対だと言われたりして。

でも、そう言われたのでなおさら、そういう意見をひっくり返せるほどのものを作りたいと思いました。

 仕事の内容でも…僕が関わり始めた頃は、これから事業を具体化するにあたって仕様書をまとめようという段階でした。役場の皆さんやワークショップを経て町民の方々の希望を拾っているコード・フォー・ジャパンの人たちもそれぞれの思いがあって、どれが正しいということはないので、それをひとつの形に集約していくのはハードでしたね。まだ環境にもなじんでいない時期でしたし。

ただ、浪江町役場自体が、すごく風通しがいいというか、新しいことにチャレンジして行こうという気概がすごくあって、現行のルールに縛られることなく、言えばどんどん聞いてくれる。役場という堅い職場ですが、やりにくいということを感じたことはありません。「浪江焼きそば」という共通言語もあって、それだけで一緒になれますし。(笑)

【コード・フォー・ジャパンのバックアップがあるという強み】
特に最初の頃は、コード・フォー・ジャパンのサポートがなければ成り立たなかったかな、と。いろんなスペシャリストがいるので、システムをどうするかはシステムに詳しい人がサポートしてくれるし、実際に作り始めてUXとかUIを検討し始めると、そのスペシャリストが一緒に入ってくれたり。

フェローだけががんばってできるものではなくて、僕らフェローは、現場にいて現場にあるものを動かす。それぞれの思いをまとめて、決める。

 講習会を開く際にも、他の自治体で講習会を開いても人が集まらないということを耳にしていたので、じゃあどうやるかをコード・フォー・ジャパンのみんなが一緒に考えて具体化してくれる。

 それぞれの過程でコード・フォー・ジャパンと議論しなかったら生まれなかった手法はいくつもあります。


【他ではできない経験。この醍醐味を次のフェローの方に味わってもらいたい】

震災から今年で4年になります。町の人たちは故郷を離れて暮らしていて、町との結びつきが希薄になっていることに危機感を覚えているようで、タブレットに期待する気持ちが凄く強いように感じます。町民同士の連絡も少なくなっているので、タブレット端末の体験会などを開くと、これでどうやったらあの人と連絡がとれるのか?とか、どうやったら町の情報を得られるのか…そういう声がたくさん聞こえます。少しでもその声に応えられそうに感じることがある瞬間は、嬉しいですね。

 アプリのプロジェクトの中心にいるので、けっこう頼られるし、自分がひっぱって行かなくてはいけないというプレッシャーは常にあります。町の人にどうやったら使ってもらえるか考え続けなくてはいけない。何度もヒアリングに出かけたり、役場の中で話し合ったり。頭の中で考えて、こうやればいいだろうと思っても全然うまくいかなくて…仮説をたてて持って行ってもダメという繰り返しです。

 月に一度くらいの頻度で、それまでに出来ている状態をお披露目するユーザー体験会を開くんですが、その直前は制作作業の詰め込みが凄いんですよ。みんなで夜中までがんばって、やっとモノができた!という感動があって、でも、それを町の人に見せに行っても全然使ってもらえそうになかったりすると、すげー打ち拉がれて、どーしよーって悩む。その繰り返しがあって、どんどんいいものになっていく。

そういうことを実践できて良かったし、柔軟に動くという点で自分も成長できたかなと思います。

 タブレット端末にアプリを搭載するという事業全体にかかわって、全部自分で判断してやる、という濃い体験。面白かったですね。まだ終わっていないけど。

こういうことは、普通はひとりじゃできなくて企業だと分業でやるところですが、それを全部やれたという経験は凄く良かったと思います。

【地域の課題に地域外からのフェローが取り組むということの意義】
僕は、ほんとうは僕らフェローがやるべきことは、地域の課題に地域の人たちが取り組む土壌を作る黒子になること。まだできていないと思うんですが、その地域の人にしか見えない問題を継続して解決するコミュニティーを盛り上げて行きたいと思っています。

 ずっと同じところにいると硬直するというか…現場ってどうしていいかわからなくて困っているところがいっぱいあって。町の人ではないスキルのある人が経験として2〜3年入って働いてみると、いい循環が生まれるんじゃないかと思うんです。

 高齢者の問題とかどこの地域にあるような問題もあるので、今回の経験を経て磨いたスキルで次のフィールドに行けるといいなと僕自身思っています。

次のフェローの方には、タブレットのアプリも、浪江という町での開発のコミュニティーもまだまだ作りかけなのでそれを育ててほしいです。今までのものが正解というわけではありません。ぼろかす言って、もっといいものにしてもらえればいい、と僕は思っています。

<コード・フォー・ジャパン代表・関治之さんから>
コード・フォー・ジャパンとしても、吉永さんのプログラムは初めてのフェローシッププログラムでした。我々も一緒にやりながら考えたという状況だったので、現場に入られてとてもたいへんだったと思います。

 ですが、吉永さんはとてもコミュニケーション力が高いので、我々もとても助かりました。コード・フォー・ジャパンも一緒に成長させてもらったと思い、とても感謝しています。

次のフェローの方へも、コード・フォー・ジャパンから明確な指示が出るというわけではありませんので、すべきことを自分で発見することが必要になってくるでしょう。指示待ちではなく自分で進めるということを理解して応募していただきたいと思います。

きっと楽しい経験ができると思います。楽しんで課題解決に取り組んでくださる方と、我々も一緒に伴走しながら進められればと思っています。

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