アクシス株式会社で最年少の事業責任者として活躍する重冨さん。
新卒3年目で事業責任者になった輝かしいキャリアの裏には、コロナ禍での予期せぬ内定取り消し、入社直後の挫折、そして「自分がやるしかない」という強い覚悟と反骨心がありました。
今回は、重冨さんがどのように困難を乗り越え、自身のキャリアを切り拓いてきたのか。
そして、事業責任者としてどのような想いを持ち、どのようなメンバーと共に働きたいと考えているのかについて詳しくお話を伺いました!
目次
重冨修一/メディア事業部責任者・マネディク事業部SEO責任者
コロナ禍での内定取り消しから見つけた「アクシス」という道
期待と現実のギャップが私を強くした。「いなくても困らない」発言から見つけたキャリアの原点
マネージャー業務全てを代行。最年少事業責任者誕生の裏側
「できない理由を探すのではなく、見える選択肢の中でどう頑張るか?」
メディア事業部責任者から複数事業兼務へ。「リベンジ」の意欲
目の前の「やりきる力」が、事業責任者への確かな道筋になる
*プロフィール
重冨修一/メディア事業部責任者・マネディク事業部SEO責任者
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2021年新卒入社。入社3年目でメディア事業部最年少事業責任者に就任。
2024年よりメディア事業部の責任者に加え、マジキャリ事業部の事業企画も兼任。
現在は、メディア事業部責任者とマネディク事業部SEOの初期設計を担当。
持ち前の突破力と「かっこよくいられる自分でいたい」という強い信念で、アクシスの事業を牽引する。
アクシス株式会社とは
「ヒトとITの力で働くすべての人を幸せにする」をミッションに、働く個人をメインターゲットにしたサービスを展開するWork Tech Companyです。多様化するキャリアの中で一人ひとりに最適な選択肢を届けることを目指しています。現在は、キャリア戦略に特化した転職支援「すべらないキャリアエージェント」、求人紹介を行わないキャリア支援「マジキャリ」、管理職育成の伴走支援「マネディク」、転職ノウハウを発信するメディア「すべらない転職」などを展開しています。
コロナ禍での内定取り消しから見つけた「アクシス」という道
ーー重冨さんは新卒でアクシスを選ばれましたが、入社当時から「事業責任者になる」という目標があったのでしょうか?
正直なところ、最初から事業責任者を明確に目指していたわけではありませんでした。
実は大学3年の3月、就職活動の真っ只中に新型コロナウイルスの影響で内定が白紙になってしまったんです。前向きに検討していた企業だったので連絡をもらった時は一瞬戸惑いましたが、むしろ「この状況で自分に内定を出す企業とはどんなところだろう」という好奇心と開き直りの気持ちで就職活動を再スタートしました。
その時に就活エージェントさんから紹介してもらったのがアクシスです。
大学時代に学生団体で活動していた経験から元々大手よりもベンチャー気質だと感じていて、かつ自分自身が成長できる環境に身を置きたいと考えていたので、当時はベンチャー企業を中心に探していました。
ーーベンチャー企業中心でみていた重冨さんが最終的にアクシスに決めた「決め手」は何だったのでしょうか?
当時のアクシスの選考では長期インターンの参加が必須だったのですが、そこでの経験が大きな決め手になりました。特に印象的だったのは、社員の方々がインターン生一人ひとりに真剣に向き合う文化です。
リモートでのやり取りだったにも関わらず、自分が気づけないような改善点を細かくフィードバックしてくれました。正直、最初は「見ず知らずの人にそこまで言われるのか」「言われたからにはやりかえそう!」と反骨心も湧きましたが(笑)、それが結果的に社内の解像度を上げてくれました。
インターンを通じて社内の雰囲気や業務内容を深く知ることができたので、不安になる要素がなく「ここでなら頑張れる」「ここでなら成長できる」と確信できました。
自身の感情的な「ここで見返してやろう」という強い思いと、アクシスならではの向き合い文化が入社への後押しになりました。
期待と現実のギャップが私を強くした。「いなくても困らない」発言から見つけたキャリアの原点
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ーー入社から事業責任者になるまでのキャリアについて教えてください。特に若手のうちから任された大きな仕事やチャレンジングだった経験があれば聞かせてください!
内定者インターンを経て入社しましたが、正直、内定者期間から入社直後あたりまでが指折りに苦労した時期でした。当時のメディア事業部のマネージャーとはなかなかコミュニケーションがうまくいかず、周囲の優秀なインターン生と比較して「自分ももっとできるはず」という期待と、それに応えられないもどかしさを感じていました。
月次面談や1on1でのフィードバックも、自分にとっては「成長のために厳しく向き合ってくれる時間」ではあったのですが、当時はその意図を理解しきれず自身の存在意義さえ見失いかけていました。
入社後も状況は改善せず、マネージャーからの評価も落ちていきました。
時には厳しい言葉も耳にし、自己防衛のために「自分ができないのは仕方がない」と思える理由を探していました。
正直、これまでの人生でここまでうまくいかないことなんてほとんどなかったので・・・。
でも今振り返ると、本当にダサいとしか言いようがありませんね。
自分の存在意義さえ見失いかけ「ここにいますよ」とアピールするために、雑務を必死に巻き取ったり、当時の先輩社員との会話で「明日自分がいなくなっても困りませんよね」と冗談混じりではありつつも投げやりな発言をしたこともありました。
そんな自分を変えたのは、他者の評価や環境ではなく「自分自身が最もかっこよくいられる自分でいたい、誇らしい人生を歩みたい」という揺るぎない強い価値観でした。
自分にとって「自分の責任と役割を果たすこと」が誇らしいと感じられる条件なんです。
この価値観の原点はあまり覚えていないのですが、高校生ぐらいの時から何か判断に迷ったときは「どちらの選択が未来の自分が誇らしいと思えるか」という点を自分の行動指針にしてきました。当時はとにかく目の前のミッションにがむしゃらに食らいつく。それが自分に課せられた責任を果たすことだと、ようやく気づきました。
マネージャー業務全てを代行。最年少事業責任者誕生の裏側
ーー入社3年目という若さでマネージャーに抜擢された時の率直な心境と、特に大変だったこと、そしてどのように乗り越えられたのか教えてください!
入社1年目の夏に会社に頭を下げて再度一からやり直すと決意してから、状況はスムーズに動き出しました。新卒2年目の9月にリーダーに昇格し、その数カ月後には当時のマネージャーが急遽お休みに入ることになり「明日から事業責任者よろしく」と告げられました。結果として新卒2年目の2月から事業責任者になった、という経緯です。
正直、驚きはしましたがそれよりも「自分がやるしかない」という高揚感の方が大きかったですね。
不安よりも「どんな世界が待っているんだろう」というワクワク感が勝っていました。怖いもの見たさだったのかもしれません。
そこからは、本当にチャレンジの連続でした。マネージャーのイロハも分からない中で四半期総会の発表、次期事業戦略と組織体制の立案、これまで手をつけていなかったメディアの数値整備、さらにはPL(損益計算書)の作成まで全てを自分で整理しながら実行していきました。
マネージャー業務は、個人で頑張ればよかったこれまでと全く違いました。
自分が巻き取れば良いという考えは通用しない。メンバーへのタスクの振り分け、優先順位の判断、納期管理、そして周囲を巻き込む力。全てが初めての経験で、正直しんどいことの連続でした。悔しくて、会議室で涙を流したこともあります。
でも、どんなに苦しくても自分には「やるしかない」という強い責任感がありました。
やめる選択肢はなかったし、逃げるなんて考えもしなかった。与えられたミッションは、自分にとって常に動く原動力なんです。それは、単に与えられたからやるものではなくて「責任を果たすことが、自分自身を誇らしく思える」という信念に基づいた選択でした。
「できない理由を探すのではなく、見える選択肢の中でどう頑張るか?」
これが僕の根底にある考え方です。わからないことは他の事業責任者に頭を下げて聞き、図に描いて解像度を高める。自分がやるべき仕事を明確にし、メンバーを巻き込みながら、必死で業務に食らいつきました。
挫折を経験するたびに僕の反骨心はより一層強固なものになっていきましたね。その過程で、物事を構造化する力も養われたと感じています。事業責任者への道のりは、この「責任を果たす」「期待役割をきっちりこなす」という価値観を追求し、目の前のミッションにひたすら努力した結果、辿り着いたものだと感じています。
メディア事業部責任者から複数事業兼務へ。「リベンジ」の意欲
ーー複数事業を兼務することになった経緯やその時の心境について教えてください。
12期の終わりに、当時の上長であった社長の末永から「もっと広い視野で複数の事業を見れるようになってほしい」というオーダーがありました。
メディア事業部の責任者として目の前の業務に集中していたので、最初は驚きもありましたがそれ以上に「新たな挑戦ができる」という高揚感が勝り、メディア事業部の責任者に加えてマジキャリ事業部の事業企画を兼任することになったんです。
兼任した当初は、正直マジキャリ事業部への解像度はかなり粗い状態でした。
文字通り「何もわからない」ところからのスタートでしたね。しかし、そこで自分の背中を押してくれたのが、取締役である川﨑からの「役割・責任範囲という言葉は禁句です。自分起点で動かしなさい」という言葉でした。この言葉はこれまで培ってきた「目の前のミッションにがむしゃらに食らいつく」という価値観をさらに一段階引き上げてくれました。
まずはとにかくマジキャリ事業部のメンバーへ話を聞きに行き、サービス内容や顧客課題、市場状況を徹底的にインプットしました。
セールスやマーケティングにも深く関わりながら、複数のプロジェクトを同時に進行させ、事業全体の状況をまとめ、次なる打ち手を考案する日々を送りました。
その後は事業企画を進めてくれる新たな仲間が増えたため、そのメンバーにマジキャリ側の企画は任せ、メディア事業部に再度コミットする体制になりました。
現在はメディア事業部の責任者とマネディク事業部SEOの初期設計を兼任しています。
実は以前複数事業を兼務した際にマジキャリ事業に注力するあまり、メディア事業の業績を落としてしまった苦い経験があります。その時は複数事業を同時に、かつ高いレベルで推進する動き方が十分にできていなかったと痛感しました。
だからこそ、今、この新たな役割で「リベンジしたい」という強い思いがあります。
目の前の「やりきる力」が、事業責任者への確かな道筋になる
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ーー重冨さんの経験から見て、アクシスで事業責任者を目指す上で一番大切だと思う資質や考え方はなんですか?
変に先のスケジュールにとらわれるのではなく「自分の目の前のことをやり切る」こと。
そして言われたことを素直に受け止め、コツコツ頑張ることが重要だと考えています。
「今よりもっと大きな仕事をやりたい」という意欲を持つことは素晴らしいですが、まずは目の前の仕事に真摯に向き合い、成果を出すことが大切です。
自分の視点や視座の範疇だけで判断し、目の前の仕事をやり切る前に手を挙げてもなかなか機会は回ってきません。どんなに小さな仕事でもそこに真剣に取り組み、結果を出す。
そうすることで周囲からの信頼が得られ、もっと大きな仕事を任せてもらえるようになる。成果を出す以前に目の前の仕事への向き合い方、姿勢が最も大切だと思います。
アクシスでは若手が早期に事業責任者を目指せる環境があります。
挫折を経験しながらも、そこから学び、成長できるチャンスも豊富にあります。自分自身がそうだったように、他の新卒メンバーも早いタイミングで責任者を務めるチャンスを得ています。スキルは後からいくらでもついてくるので、何よりも大事なのは困難な状況でも諦めずに「やるしかない」と挑戦できるマインドセットだと思いますね。
ーー最後に、未来の仲間に向けてメッセージをお願いします!
周囲から「仕事にストイックなタイプ」と見られることがありますが、皆さんと同じように葛藤し、悔し涙を流しながら成長してきました。そして、そんな自分を動かしているのは、合理性だけでなく「こうありたい」という強い思いがあることです。
今の自分もできることなんて少ししかありません。だからこそ、できない理由を探すのではなく「どうすればできるのか」と考えられる貪欲さを持った学生の皆さんに来てほしいです。
自分の手で事業を動かしたい、最短で成長したいという方はぜひ一度アクシスに挑戦してみてください。皆さんと共に働けることを楽しみにしています!
▼アクシスでは現在、一緒に働く仲間を募集しています!
取材、執筆:大山幸恵