2000年に米国シアトルで、アクセンチュアとマイクロソフトのジョイントベンチャーとして誕生したアバナード。日本法人は2005年に設立され、2020年7月をもって15周年を迎えます。
そこで今回から、これまでの成長や軌跡を振り返る特別企画コンテンツとして「15周年記念特別インタビューシリーズ」を順次公開していきます。
さて、その記念すべきトップバッターは、創業メンバーのお三方。
ファイナンスディレクターの傳由紀さん、営業本部長の橋本靖彦さん、ケイパビリティ統括の前田育彦さんらのオンライン対談をお届けします。
[写真左:前田、中央:橋本、右:傳]
前田育彦(まえだ やすひこ)/ケイパビリティ統括
パソコンの黎明期時代を支えた西和彦と、マイクロソフトの共同創業者であるビルゲイツが立ち上げたWindows NTの啓蒙を目的とした会社を経て、アクセンチュアへ。2005年、創業とともにアバナードへ移籍。日本初の『Microsoft Certified Master』を取得し、主にActive Directory、Exchangeサーバのスペシャリストとして活躍。現在はケイパビリティ統括を務める。
橋本靖彦(はしもと やすひこ)/営業本部長
日本総合研究所を経て、アクセンチュアへ。MSOにてセールスおよびデリバリー担当として、マイクロソフトソリューションの普及に貢献し、2005年、創業とともにアバナードへ移籍。現在は営業部長を務める。
傳由紀(でん ゆき)/ファイナンスディレクター
住友商事退職後にUSCPA(米国公認会計士)を取得し、アクセンチュアへ。ファイナンスのプロフェッショナルとして、MSO(マイクロソフト・ソリューション・オーガニゼーション、以下MSO)の拡大に貢献し、2005年、創業まもなくしてアバナードへ移籍。現在はファイナンスディレクター。
アバナード移籍の裏側
— みなさんはアクセンチュアご出身ですが、まずは、それぞれアバナードに入社した背景を教えてください。
橋本靖彦(以下、橋本):僕の場合は、今思えば、アバナードに入社するストーリーは、既にアクセンチュアの入社時から始まっていましたね。
というのも、アクセンチュア入社時の面接官が、現在アバナードでモダンワークプレース統括を務める和田さんでしたからね。そんな和田さんの面接を経て、最終面接は日本のアバナードの創業社長であり前社長の石川さんでした。
この時点で、日本のアバナード創業の重要人物である2人が登場しますから、僕がアバナードに入るシナリオはすでにあったと言っても過言ではないですよね(笑)
アクセンチュア入社後は、彼らの率いるMSOという組織で、日本企業にマイクロソフトソリューションを普及させるべく働いていました。
突如転機が訪れたのが、いまでも忘れもしない、2004年12月23日。
世の中は祝日でハッピームードでしたが、ちょうどその時、大手コンビニエンスストアのプロジェクトを担当していて、社長プレゼンがあった日でした。大役を無事終えたところに石川さんからの連絡があり、急遽会うことに。
すると突然「アバナードの社長やろうと思うんだけどどうかな?」と聞かれ、「いいと思いますよ!」とお返事したら、「迷惑かけるかもしれないけど、よろしく」と含みのある言葉をいただきました。その後は、気がついたらあっという間にアバナードに移籍していたという流れです。
傳由紀(以下、傳):実は、私と橋本さんはアクセンチュアの入社が同時期だったんですよね。一緒に研修に参加したのを覚えています。私はMSOやその他部門のファイナンスを担当していて、和田さん、石川さんらと一緒に仕事をしていました。
私の転機は、2005年のゴールデンウィークでしたね。
大型連休を利用して引越し作業をしているなか、石川さんから突然携帯に電話がかかってきたんですよ。
何事かと思って電話を取ったら、「急なんだけれど、どうしても見て欲しい書類がある」という依頼でした。引っ越し中でネットワーク環境がない私は、FAXで書類を受け取り、急いで書類チェックをしてお戻ししました。
それで無事に終わったのかと思っていたら、急に、「新しい会社を立ち上げるから、傳さん来てくれるよね?」とお誘いいただきました。
その時は「まだアクセンチュアで頑張りたいので・・・」とお断りしたはずだったんですが、その後も幾度となくお声がけいただいて、橋本さん前田さんらに遅れること数ヶ月でアバナードへ移籍しました。
前田育彦(以下、前田):僕にアバナード移籍の話があったのは、アバナード創業の直前時期だった記憶です。
ある日「アバナードという会社立ち上げるんだけど、来るだろ?」と立ち上げメンバーの一人に突然言われて、「その面接はすでにセッティングしてあるから、○日の○時に○○に行ってね」と言われ、もう僕が知らないところで色々と決まっていましたね。
その面接が石川さんとの初対面でした。でもそれは面接ではなく宴席で、仕事の話は一切しないままに飲み交わし、いきなり合格をいただきました(笑)それからは、あっという間のアバナード移籍でしたよ。
15年を振り返ってみると、会社の創業、成長に関われたことに感謝しています。
15年を経ても変わらない、新しいことに積極的に取り組むカルチャー
— 初代社長である石川さんご自身が仲間集めをするところから、アバナードは始まったんですね。何人ほどの組織で、どのようにスタートしたのですか?
傳:十数名のメンバーで、アクセンチュアの会議室を間借りしてのスタートでした。
今でこそ社員数は600人の規模にまで成長し、採用も非常に順調ですが、採用に苦労した時期もありましたね。
創業初期はマイクロソフトのテクノロジーに興味のある方から注目が集まったこともあって、採用がうまくいっていましたが、マイクロソフトとアクセンチュアのジョインベンチャーとはいえ、名の知られていない会社です。創業から2年目でやっと100人を達成した時は嬉しかったですね。今でも、その時に会社からいただいた、名前入り100人達成記念マウスパットを大事にしています。
▲メンバー100人記念の名前入りマウスパッド
— ビジネスは順調でしたか?それとも苦労された時期もありましたか?
前田:ビジネスは非常に順調でしたよ。常に右肩あがりで、危機感を持ったことはなかったですね。
もちろん、デリバリーが思うように進まなかったとか、プロジェクトのことでヘコむことはありましたけど、組織が小さかっただけに、どうやって面白くしていくかをモチベーションに、みんなでワイワイやっていましたね。
橋本:創業から2〜3年目で、大きな案件が取れたことは、いまでも記憶に残っています。前年の会社全体の売上が一桁だったときに、23億の提案をして受注しましてね。当時の全社員を総動員するくらいの大きなプロジェクトになりました。
その提案の時にクライアント先に同行してくれたのが、まだ外部にいらっしゃった安間さんでした。
その時から、協力し合うとか、臆せず挑戦するとか、新しいことに積極的に取り組んでいく企業カルチャーはありましたよね。
傳:そうですね。当時からグローバルメンバーとのつながりが強くて、みなさん非常に協力的な方々ばかりで、困ったことがあればいつもすぐにサポートしてくれました。そういったカルチャーが、ビジネスを支えていると思います。
前田:日本の創業メンバーはほとんどアクセンチュアからの移籍組だったんですが、それはグローバルも同じでした。どこかで、アクセンチュアの良いところを継承しながらも、独自のカルチャーを築きたいと思っていたんだと思います。ですから、アバナードはジョイントベンチャーでありながらも、ある程度の独立性がありました。初代のCEOにもその意識は強く感じられましたし、とても素晴らしい人柄の方々でした。
日本のアバナードを設立して3年目くらいまでは、スムーズにアバナードの一員になれるよう、新入社員は全員米国本社があるシアトルに研修に行くプログラムがありました。そこでカルチャーや雰囲気を肌で感じ取れる人も多かったと思いますね。
大きく変化した働き方
— 現在のアバナードの良いところは、創業当時から変わることなくカルチャーとして引き継がれているんですね。逆に、大きく変わったところはありますか?
橋本:働き方は15年前と今とでは明確に変わりましたね。業界の悪習慣みたいなものがなくなって、とてもスマートな働き方になったなと感じます。
当時は今では考えられない働き方をしていたこともありましたよ(苦笑)
— ちなみに、どのような働き方をされていたのですか?
橋本:とにかく人手が足りない時は、メンバーはプロジェクトを掛け持ちです。
たとえば、18時に通常のプロジェクトが終わったら、そのまま別プロジェクトに呼ばれ、夜になるといつのまにかメンバーの数が倍くらいに増えていて、深夜まで必死に作業するなんてことも。
そんな状態でも、プロジェクトの成果物は素晴らしいものに仕上がることが多く、お客様の満足度も非常に高かったんです。我々がどんな働き方をしていたのか見えていなかったお客様からは、「アバナードのみなさんは非常にスマートな働き方をしていますね!」と絶賛されたなんて笑い話もあります。
前田:今でもこのIT業界というところは良いイメージを持たれないことが多いんですが、今は、かつてのような働き方はしません。
その背景には、お客様側のITに対する理解が進んでいるという理由もありますが、アバナードのプロジェクトへの取り組み方も変わっています。それに、働きやすい環境を提供する役目の我々が、それとは逆行する働き方をしていたら、いいものを提供できるわけがないですからね。
社会的役割を担い、果たす企業へ
— 業界の悪習慣をなくすことは、よりアバナードの存在意義や存在価値を明確にしていくことにも繋がるのですね。
橋本:そうですね。この15年間でITも大きく変化しましたし、ITの重要性が格段に上がっていることを肌身で感じています。
ひと昔前は、会社に入ってIT部門に配属されると多くの人がガッカリしていたんですよ。なぜかというと、ITは会社の中核となるビジネスではなかったからなんですね。
でも今は、ITがなければビジネスが成り立たない時代なので、中核となるビジネス側にこそ、ITが求められています。
そうなると今度は、我々はビジネスの話ができないと、お客さんと対話ができないんです。
かつてのように、技術があればそれでよかったという時代から、技術だけでなく業務を知るということがエンジニアにも求められています。ITのスペシャリストでありながら、IT以外のことも理解する必要があり、さらには未来を見据える立場でなくてはならないんです。
働き方が大きく変わってきたように、この15年でアバナードの在り方も変わってきていると思いますね。
前田:ビジネスがよりミッションクリティカルな方向へ動いているのは間違いないですね。
アバナードがテクノロジーをとても大切にする会社であることは、昔も今も変わりません。現にテクノロジーが好きな方がたくさん集まっています。
でも、テクノロジーが大好きというだけでは今はもう成り立たなくて、お客様のビジネスや業務内容を想像し、理解することで、将来を見据えてテクノロジーを的確に導入する、そんなバランス感覚が重要になってきています。
これは決して業務が大変になったという意味ではなく、テクノロジーによってもたらせるインパクトが大きくなったことで、面白い仕事が増えてきたということです。これからもどんどん新しいことが始まっていくので、最高に面白い環境になっていくと思いますよ。
傳:あとは、会社が大きくなるにつれて、もっと社会的な役割を果たしていきたいという思いも社内で大きくなっていますよね。
新型コロナウイルス感染症をきっかけにテレワークという働き方がスタンダードになったことで、これまではさまざまな事情でご一緒できなかった方々とも一緒に仕事ができるようになっています。
その新たな働き方を促進するため、「私たちのニューノーマルを定義する」という社内プロジェクトが立ち上がっているのですが、そこに参画してくれるメンバーが非常に多いんです。
会社としては、そんな社員の思いを大切にしていきたいですし、それによって社会に貢献できればいいですよね。
橋本:実際に、東京と大阪だけでなく、仙台でテレワークで活躍するメンバーもいます。彼はとっても優秀なエンジニアなのですが、今までは一緒に働ける機会がなかったんです。それが今では何の障壁もなく働けるようになって、今後は、これまでご一緒できなかった方々とコラボレーションしてビジネスをつくってくことが、仕事を面白くしてくれる気がしています。
新しくアバナードに加わったメンバーの中には、今までアバナードがやってきたビジネスのやり方を尊重して、過去のやり方を踏襲すべきなのでは、と考える方もいますが、過去のビジネスの延長線上で仕事をしていたのでは、すぐに立ち行かなくなります。我々は、誰よりも率先して新しいことをやっていかないといけません。
いつの時代も、若者がITを支えて、変えてきましたよね。年齢に囚われることはありませんが、これからもその「変わろうとする意志」「変えていく意志」を大切にしていく会社であり続けたいですね。
▲オンラインインタビューの一コマ