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崩壊するエンジニア神話、現場から見る生存戦略

数年前まで確かに信じていたエンジニア神話を、最近は信じられなくなっている。

「エンジニアになれば一生食っていける」
「エンジニアになれば年収を上げ続けることができる」
「エンジニアになれば社会に縛られない自由な生活ができる」

これらを信じられなくなったのは、自身が実際にそう言った神話に乗っかろうとしたことや、IT業界に身を置き交渉の現場を見続けるようになったことに起因する。

私は如何に長期的な安定を作り出せるのかということを最重要視している。そしてその上で、その安定がどれだけ豊かであるのか、その安定を作るのにどのようなプロセスが必要なのかということを気にするようにしている。このような人生の価値観に共感していただける方がいれば、是非その方達に目を通していただきたい内容となっている。

今回お伝えしたい内容の一つとしては、誰もがエンジニアになれば幸せが掴めるような言説は虚構になりつつあることだ。(もしくは虚構だったと証明されているプロセスの途中なのかもしれない。)一応、上記神話のようなことが不可能だと否定したいわけではないことは断っておく。できるだけ客観的な意見となるように、現場での具体的な話や、社会的な動向を交えてお伝えするように努めさせていただく。

そしてもう一つお伝えしたい内容は、個人的な仕事観である。
結論だけ先に伝えておくと、明確な意思を持って社会や企業の歯車になってやると決意することが重要だと思っている。ここだけ切り取ってしまうと理解し難い言説になってしまいそうなので、是非後述の内容まで目を通していただきたい。


目次
1. 私について
2. 交渉の現場で分かったエンジニアのリアル
3. マクロな動向から見るエンジニアに求められること
4. 堂々と歯車になろう

1. 私について

あえて仰々しい前置きからこの記事を書き始めたが、実は私自身はおおよそ何も考えていない社会人としてキャリアをスタートしている。
大手リース会社に新卒で入社し、結局15年ほどカーリース事業に勤務していたのだが、入社した理由と続けていた理由はなんとなく生涯安泰だと考えていたからだ。当時の日本社会の価値観から考えると、大手は生涯安泰という考えは別にそんなにズレたものでなかったと思う。事実カーリース事業はビジネスモデルとしてとても優秀で、当時の業績の堅調な伸びは私を安心させるのに十分な根拠だった。
しかしながらそれらの思いは誤算だったと、ちょうど新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が流行する直前くらいの時期にやっと理解することになる。

本題とズレるので簡単にその理由を説明するが、カーリース事業の根幹はクライアントとなる企業の車両管理を担うことであり、積み上げた契約数が長期に渡って収益をもたらすストック型のビジネスモデルである。
私が大手リース会社へ入社した頃はまだカーリース市場は成長期にあり、企業が車両管理をアウトソースするという考え方が世に浸透しきっていなかった事から、ストックとなる契約数は年々積み上がっていった。しかしながら世の中にカーリースの考え方が浸透し、競合の参入も増えたことで市場は飽和状態となり、カーリース市場は明らかに成長期を終え成熟期へと突入した。
年々積み上がっていたストック契約数が数年前に頭打ちを迎え、その時になって初めて私は「カーリースが普及しきった今、次に待っているのは人口減少に伴うストック契約数の減少、つまり市場の衰退期が訪れること」が理解できた。仮に人口減少の影響が無かったとしても、今後は自動運転車の普及とともに、個人や企業が保有すべき自動車の台数は劇的に減る可能性がある。

つい数年前まで安泰とされていた企業であっても、環境の変化やテクノロジーのブレイクスルー次第で、一気にビジネスモデルが成り立たなくなる可能性があるのだ。

繰り返しになるが、私の価値観として生涯安泰であるということはとても重要である。その価値観と当時の状況を照らし合わせた時に、これからもっと成長が見込める産業に身を置く必要性を感じ、新卒から約15年働いた会社を辞める決意をした。そしてその際にIT業界が身を置くに相応しいと感じ、プログラミングスクールに通い始め、その後現職に入社することになった。
ミスリードがないように強調しておくが、プログラミングの勉強をしたが、結局現在は営業として働いている。
プログラマーやエンジニアを目指そうとした際の学びや、その上で営業に戻った現在の学びをそれぞれ自分の言葉でお伝えできればと思う。

2. 交渉の現場で分かったエンジニアのリアル

エンジニアとして現職に入社したのだが、現在は営業として働いている。
長くなってしまうので端的に経緯をまとめると、エンジニアスキルがあまりにも足りずに、営業として成果を出すことに方向転換をしたというものだ。
あまりにも当たり前のことであるが、実力不足であると必要がないと判断されてしまう。方向転換をした直後は「もう少し自分にエンジニアとしての実力があればうまくいったのに」と思っていたが、営業として顧客と会話しているうちにそれは幻想だと知ることになる。

営業に戻ってからは、まずはやれることからやっていこうとなった。顧客の話をしっかりと聞き、その時に話しやすいように明るく元気に返事をして、いただいた内容を持ち帰って社内で調整する、そんな営業として当たり前のことを行なっていた。今までの経験からするとごく当たり前のことだったのだが、IT業界においてはそう言ったことが珍しいのか大変重宝されるようになった。
営業として普通にやっているだけで評価されてしまうほど、エンジニア社会は人間力的なところが欠けがちで、多くは人間力で損をしているということをその時に理解した。

それを裏付ける印象的なエピソードが一つある。
ある企業に立て続けにプロジェクト支援を依頼されたのだが、共同で対応していた別会社が外されることになっていた。開発元の担当の方と話をしている際に、興味本位で「あの企業をどうして外したんですか?」と尋ねてみると、技術屋としては腕が立つけどコミュニケーションをする上でいちいち鼻につくエンジニアがいたからと回答が来た。(確かにそのエンジニアは関係各所を怒らせていた。)

エンジニアは技術力さえあればそれで良いと思っていたら実はそうではなかった。(元々ITのことなどわからなかった自分には、このくらいの偏見がある業界だった。)開発の世界にもビジネスにおける当たり前のルールは適用されている。つまりどれだけ信用・信頼関係が築けるかだ。
技術力とは信用の一要素でしかない。また信用は技術力と人間性の掛け算でできるものだ。人間力が0であれば、かけ合わさった時に技術力が無い者と同様に案件が受けられなくなる。

顧客からすると実際に発注してみないと、相手の実力も相性もわからない。だからキラキラしているアピールをすれば取引自体は始められるかもしれない。しかし蓋を開けてみて信用に値しないとなると、次の発注は絶対にもらえない。

結局のところ技術力のあるエンジニアがずっと食っていけるわけではない。
ある程度の技術力と人間力がベースにある、信用に値するエンジニアがずっと食っていけるのだ。

3. マクロな動向から見るエンジニアに求められること

自身の経験から技術力だけのエンジニアは淘汰されていくという肌感があるが、マクロな観点からも意見を綴りたいと思う。
マクロで見た時には人間力が必要というだけでなく、ビジネススキルの重要性も見えてくる。

第一に、三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社が2021年に発表した「企業のIT投資の現状と今後の見通し」に関するレポートでは、日本は米国と比べてIT投資から得られる付加価値が0.8倍であるという結果が出ている。つまりIT投資のコスパが米国よりも悪いということだ。
そして、2023年1月18日ガートナージャパン株式会社が報告した日本におけるソフトウェア開発の内製化に関する調査結果によると、多くの企業がソフトウェア開発を内製化の方向で考えるようになっており、内製化を考えている理由の55.2%が開発コストを削減したいからである。
これらのデータから読み取れることとして、多くの企業はIT投資をしてきたものの求めるような費用対効果が得られず、開発に予算をかけない内製化の方向に向いていることが伺える。また費用対効果が得られなかったとしても、開発を中止するのではなく内製化への方針転換ということから、IT投資自体には必要性を感じているはずだ。つまり、企業の本音としては「IT投資するから得をさせて」なのだ。

他方、ChatGPTの登場により、エンジニアに関する状況は混沌としてくるであろう。AIの強力なサポートにより開発の民主化(誰でも開発ができる世の中になること)が進むことが容易に想像できる。そうなってくるとエンジニア不足で仕方なく働かせてもらっていたようなエンジニアは淘汰されてしまう。おそらくその上で卓越した開発力があるエンジニアか、開発力以外の武器があるエンジニアでないと必要とはされないだろう。

以上のことからこれからのエンジニアにはいくつかの道が迫られると予想する。

①先端技術を扱えるなどの卓越した技術者になる
②少ない投資でも多くを正確に開発できる技術者になる
③投資に対しての大きなリターンをもたらすことのできるエンジニアになる


あえて技術者とエンジニアを分けたが、スキルを高めるという方向性か、「別のスキルを掛け合わせた技術者」としてのエンジニアになるのかという違いがある。
そして別のスキルとは人間力的なものもそうだし、ビジネスサイドのことまで思考できるのかということも該当する。最早それはプロジェクトマネージャーの仕事だとも思われるかもしれないが、責任範囲を広げるようなことをしてまでポジションを取っていかなければ生き残り続けることは難しいだろう。

4. 堂々と歯車になろう

まずはこれまでの内容の振り返りをさせていただく。
そもそも私は生涯安泰という状況を確立したいという思いがある。プログラミングの勉強をしてIT業界に来たのは手段で、あくまで目的は生涯安泰のためである。結局営業になった時は少し不本意なところもあったが、今では納得のできる選択だったと胸を張って言える。適者生存という言葉があるが、結局のところ社会に必要な存在に変化し続けることこそが生存戦略なのだと確信している。

テクノロジーの変化や社会環境の変化で、今まで通りのエンジニア像を貫いて生きていくことは難しくなってくる。あくまで私の偏見でしかないが、エンジニアの人は開発だけやっておきたいという人が多いイメージだ。スキルを磨き続けるだけならこれまでの延長だが、これまでの延長にない成長をしなければならない人も多いと思う。

人間は変化を本能的に嫌うので、変化をし続けるしかないこれからは、非常にストレスが多いものになってくるはずだ。
変化をし続ける上で、その苦痛とどうやって向き合えばいいのかというメソッドを、最後に一つ提案させていただこうと思う。

そのメソッドは、私の今までの話で想像がつくかもしれないが、目的に対してのみこだわりを持って生きていくということである。
ここでいう目的は、自分自身の人生の目的という意味と、自分が関わるプロジェクトの目的という意味がある。
そのそれぞれの目的が一致するようなプロジェクトに身を置けると、きっと変化をすることを許容しやすくなってくる。

私には子供が二人いるが、ある意味子育てもプロジェクトだと思っていたりする。
生涯安泰と言っているが、その中の主語には子供たちも含まれている。そして子育ての目的は二人が立派な大人になることである。
子供の未来のためであればあらゆる選択を取ろうという決心をしているし、子供たちがいたからプログラミングを勉強したり転職が決意できた。
これは決して美談をお伝えしたいわけではなく、熱心になれる目的の下では人間は多少の変化を許容しやすくなると伝えたい。

そろそろ「堂々と歯車になろう」の伏線回収をできればと思う。
私のこれまでの行動は、目的達成のために必要だったから仕方なく取らざるを得なかった行動である。要は目的に対して納得していたから、歯車として堂々と行動し続けることができたわけだ。
もし誰かを傷つけるためにこれをやってくれと言われたら歯車になることを断っていただろう。
変わり続ける必要がある社会で変化を受け入れ続けるには、変化の痛みなど気にしなくなるくらい素敵な目的を持っていけばいいのだ。
自分がワクワクするビジョンを掲げている会社で働くなり、本当に応援したい人がいるから手伝うであったり、そういうエモーショナルの部分で自分の生きる場所を選択していけばいい。
一緒に成し遂げる何かさえ決めれば、あとはそれを成し遂げる歯車として堂々とできること全てをやっていけばいいのだ。その過程できっと知らぬ間に必要な存在へと変わり続けている。

私がこれまで経験してきたことをつらつらと書き綴ってみたが、これが誰かの役に立っていれば幸いである。

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