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【21卒内定者紹介Vol. 5】自意識過剰の陰キャ男が揚羽で手に入れたい力とは?

#『弱点はいずれキャラクターになる』byアインシュタイン

高校のときの部活の顧問の先生に、試合中のアドバイスで毎回、「我慢強さが足りない」と指摘されていたのですが、「逆を返せば、とりあえず進めたい力があった」ということだなあと、アインシュタインの言葉を見ていて気が付きました。揚羽の望月です。

今回は、就活時に自分の弱点と向き合っていた内定者の宇波くんにインタビューをしてきました!

宇波 大地 (Unami Daichi)
東北大学文学部人文社会学科卒業。東京生まれ。
幼い頃からの習い事は数しれず。なかでも一番のめり込んだのは「公文」。
小学校低学年ではガリ勉で目立ちたがり屋。
でも高学年から目立つことを突然嫌う。受験を経て中学から男子校に。
吹奏楽にのめりこみ、男だらけな部員の心を一つに音楽を作る。
大学でも吹奏楽に勤しみ、大学2年時のコンクールで完全燃焼。
3年生の夏から就活を始め、現在に至る。

Chapter 1. 自意識過剰で陰キャ #とは

―「自意識過剰」に「陰キャ」と、
かなり自分へのdisが入っているのはツッコんでいいんでしょうか。

自意識過剰なのは本当なんですよ。
ひとりでいるのに、なぜかレストランの注文で一番安いメニューを頼みたくないと思ってしまったり、スーパーでかわいい女の子のいるレジに女の子目当てだと思われたくなくて並ばなかったりするんです。

自分が誰かに見られているんじゃないかっていう自意識が過剰にあるのですね。これが自意識なんだって気づいたのも実は最近です。

陰キャっていう言葉を僕は「自分に自信がない」って意味で使っています。

今は改善しつつあると思っていますが、僕はこの意味で陰キャでした。自分に自信が無く、いつも誰かに自分の存在価値を認めてもらっていないと落ち着かない、そんな人間でした。

自分に自信が無いけど自意識は過剰、こんな人間は超がつくほど面倒くさかったのではないか、と今になって心配になってしまいますね。


―自信がなかった宇波くん。
 どんなきっかけで『­­­­自意識過剰』な陰キャになったと思いますか?

小学校の頃の経験からですね。
僕すごいガリ勉だったんですよ。もう授業中の先生からの質問に全部手を挙げるし、テストで満点取っては自慢するしって感じで、先生にとっても扱いづらいガキだったと思います。

そこで他人に見られる自分、っていう考え方が染みついて過剰な自意識の基になったのではないかって思います。

しかし小学校も高学年に入り、満点を取って自慢したり授業中に発言しまくったりしたことが災いして周囲から後ろ指を指されるようになりました。手を挙げると「またあいつだ」とひそひそ話が聞こえてくるといった具合です。

それに気づいた僕はこれまでの自信を一気に無くし、陰キャになりました。自分に自信が無くなってしまいました。


ー自信がなくなった結果の、”自意識過剰な陰キャ”だったんですね…
 中学校以降はどうだったんですか?

中高時代の吹奏楽部では、自意識過剰なために基礎的な練習をするなんてダサいと感じてしまったんです。そのせいで上達の速度で、周囲から取り残され自信はつかないままでした。

さらに自分が下手なことを認めることが怖くて、雑な練習ばかりしていました。

自信もなく、周りからの視線も気になって仕方がなかったので、練習時間は取っていたけれど質が最悪でした。当然全く上達しませんでした。

ですが、高校二年生の時に別の高校の演奏会を聴きに行ったんです。

そこで過剰な自意識と自信のなさを打ち消すほど上手な演奏を聞いて、なりふり構っていられないって心から思いました。

そこからは自意識と自信のなさを振り払って練習して、高校最後の演奏会では満足のいく演奏が出来ました。自意識過剰と陰キャに光が差したような気がしました。

―自分でネタにできるってことは、現在は陰キャではないということですよね?

そうですね。自分に自信もついてきたし成長できたと思います。
でも就活をしていたり、友人と関わっていると自分に不足している所も多く見つかるので、社会に出てもっと自信をつけていきたいと思います。

Chapter 2. 過剰な自意識と陰キャに苦労し自分なりにもがいた就活

―そんな自称陰キャな宇波くん。就活はどんな感じで始めたんですか?

3年生の6月くらいですかね。エンカレッジっていう就活支援団体の宣伝が学部のLINEグループに流れてきて、「とりあえず登録しとくか」って思って登録したのが始まりでした。

当初は自分でやりたいこととか志望の業界とかも見当たらなかったので、手当たり次第にサマーインターンに応募してましたね。企業を見る視点は『環境』でした。

陰キャで自分に自信が無かった僕は環境によって自分が100%左右されると思っていたんです。だからインターンでは社風ばかりを気にしてました。


―どんな『環境』で働けるのかが、自分の成長に大きく関わると感じていたんですね。
がむしゃらにサマーインターンに参加した結果何がわかりましたか?

自分が「どうせ仕事をするのなら楽しく自分の納得した形で働きたい」ってことがわかりました。

この「どうせ仕事をするのなら楽しく自分の納得した形で働きたい」という考えが、2本ある軸のうち1つ目の軸でした。

そのきっかけとしてはインターンに参加する中で、ベンチャー企業やその社員の方々になぜか魅力を感じたんです。

この感情を言語化してみると、ベンチャー企業の方々が自分の仕事に自信と目的を持っていたから、自分の目には魅力的に映ったということに気付きました。自分にはないものに惹かれたんだと思います。そしてベンチャーに狙いを絞りました。


―夏以降ベンチャー狙いに!
でもベンチャー企業は日本にも山ほどありますよね?そこからはどうしたんですか?

10月から12月にかけては正直「自分が楽しく働ける環境」という軸一本で早期選考に望んでいました。でも落ちまくったんですよね。グループディスカッションとかエントリーシートは通るのに面接で5社以上落とされて。

そこでやっぱり、「何がしたいのか」という後回しにしていた問いが立ちふさがるわけです。「楽しく働きたい」だけでは、企業は一次面接すら通してくれませんでした。

数を打てば当たると思っていたのに選考に全く受からないので、焦りまくった僕は就活初期に就活イベントで出会った、当時の揚羽の採用担当の米田さんにSOSを出しました。

米田さんに言われたことをまとめると、もっと他者や社会に目を向けろってことだったと思います。

さらに違う会社になってしまうのですが、リフォーム事業など行っているある企業の副社長さんという方のお話で「仕事とは他者貢献である」という熱い話を聞いて胸を撃たれました。

僕はこのお二人のおかげで、「自意識が過剰なこと」と「他者貢献」という言葉の神髄に気づけたんです。



Chapter 3. 「他者貢献」という視点が僕を変え導いてくれた

―自意識過剰で陰キャの宇波君には「他者貢献」がキーワードだったんですね。
宇波くんはこの「他者貢献」を、どのように咀嚼したんですか?

実は今でもこの言葉の咀嚼が完全にできているわけではありません。

Chapter 2でも書かせていただいたように、僕はどうせ働くのなら楽しく働きたいと思っていました。しかし他者貢献という色眼鏡を通して社会を見ると、日本の人って生きるのつらそうじゃない?って思ったんですよね。

仕事にしても勉強にしてもずっと「しんどい」とか「辞めたい」って言いながらやっている気がして、これってすごくもったいないことなんじゃないかなって思いました。

そこで私の軸が生まれました。「日本の人、特に働いている人を楽しくさせる」これが2つ目の軸になりました。


―素敵な軸ですね!
実際にはどのような企業を見ていたんですか?

ベンチャーという軸を守りながら、人材や組織コンサル、人事コンサルといった業界を見ていました。

「働く」という領域に直接関わることができるのではないかと考えたからです。

しかし、人材業界はそのビジネスモデルに僕は納得がいきませんでした。主に人材紹介事業についてになるのですが、価値を提供する相手はクライアントである企業と求職者さんの2者が当てはまると思います。しかし、基本的に紹介をしたその対価としてお金をいただくのは企業側からのみになりますよね?このように、価値提供相手と対価を払ってもらう相手にずれが生じていることに私は納得がいきませんでした。忖度が生れてしまうからです。

そして結果的に組織系や人事系のコンサルティング会社を中心に見ていました。



―ちなみに最終的に迷った会社さんは、どんなポイントで迷ったんでしょうか?

人の働くを楽しくするにはまず自分が楽しく働かないといけないなと感じていたので、社風なんかはとても大事にしていました。

そして残った企業さんが先ほど他者貢献のお話をしたときに登場していたリフォーム系の会社と、看板などの施工管理を主な事業としているベンチャー企業さん、そして揚羽の3つでした。

リフォーム系の会社さんは、お客さんは働く人ではなく一般の方たちでしたが、やはりお客さんの幸せを考えて仕事をしていました。

施工管理をされている会社さんは「人生」とか「幸せ」についてすごく考えていらっしゃる会社さんでした。そして代表的な事業の中でも大工さんという特定の人々の幸せのために仕事をしていました。

3社とも、自社で働く人、そして社会で働く人の幸せを考えていて、雰囲気も自分にとても合っていました。どれも僕が持っていた2本の就活軸に合致しており、魅力的な会社で非常に迷いました。



―なるほど、軸に全部合致していたと。
その中で揚羽にしかない魅力ってどんなところにあったんですか?

「クリエイティブ」という要素が揚羽にしかなかったからです。

実は高校生のころ小説にハマったことがあったり、大学受験期に映画に心が救われたことがあったりして、作品と呼ばれるもの全般に想い入れがありました。

でも「楽しく働ける環境」という軸に、出版業界や映画業界は当てはまらず、この想いは頭の片隅に追いやられていました。

揚羽の最終面接で代表の湊さんが「クリエイティブ界への想い」を語ってくださり、ここに決めよう、ここで働きたいと感じて揚羽への入社を決めました。


Chapter 4. 「自意識過剰で陰キャ」からどう変わりたい?

ーここまで自意識と自信の無さに振り回された人生。
これからは、どう変わっていきたいと思っていますか?

自分の力で生きていけて自分が救いたいものを救える人物になりたいと思っています。

そしてそのために必要なビジネススキルと経済力を揚羽で磨いていきたいです。


―やりたいこと満載で、ある意味、わかままですね!

そうですね。社会に出たらこんな考え方、駄々をこねることと大して変わらないかもしれないですね。

でも最初に書いたように僕は自意識が過剰です。その分自分の人生に対する責任感も人一倍だと感じています。自分の人生は自分で決める、自分の人生を他者に邪魔されることを僕の過剰な自意識が許しません。

しかしもちろん現実はそう甘くないこともわかっています。ですので、「自分の力で生きていけて、自分の一存で救いたいものを救える」、そんな範囲を広げていくことが社会人として揚羽の一員として、働く中で目指すものだと思います。

ー自分の一存で救いたいものを救える、という強さをもって
宇波くんが「働くひと」を楽しくするプロジェクトを早くみてみたいです!





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