書籍【静かに分断する職場~なぜ、社員の心が離れていくのか】読了
私が働いている会社でも、まさに当てはまっていると感じてしまう。
当社は2019年に元々分散していたグループ会社7社が合併してできた会社だ。
それぞれの会社が、別々の事業を営んでいて、横の接点はほとんどなかった。
それが合併により、会社規模も大きくなったということだが、2019年4月に会社が合併にてスタート、同年11月に新本社へ移転し、社員のほとんどが一同に集まった。
お互いに初めましての人も多く、社員が一丸となって新会社のスタートを切ろうと年が明けた2020年、突然のコロナ禍である。
全員が出勤停止を余儀なくされ、テレワークが当たり前になってしまった。
当社の場合は、「静かに分断」ではなく、「最初から分断」であった。
もちろんテレワークの最中であっても、様々な取り組みをしたつもりだ。
横の連携を図るための人事施策も、様々なことを実施した。
運もよかったと思うが、コロナ禍中であっても、新入社員が年度で数名ずつ入社することもできた。
コロナ禍は2023年頃に明けて、リアルでの出社、リアルでの飲み会なども回帰していったが、一方でテレワークのメリットもすでに手放せない状態になっていたため、当社では現時点でも職場によってテレワークの運用を現場判断に任せている状況だ。
確かに、全員が決まった時間に強制的に満員電車に押し込まれて出社し、それで仕事して退社するというのは、それまでは当たり前に思っていたが、いかにも非効率だ。
通勤によって削られる体力を、仕事の生産に充てた方が、遥かに効率が良いのは間違いない。
そんな訳で、あの頃さかんに議論された「アフターコロナ」の世界が、まさに今の状況である。
フル出社に戻している企業もあるらしいが、当社の場合はそれを選択することは、ほぼないだろう。
(職場のローカルルールで「フル出社にした」という声は聞くことがある)
それでは、全てが順風満帆かというと、そんなことは決してない。
まさに本書のような静かな分断は、当社内でも確実に起こっている。
この何とも形容し難い雰囲気は何と表現すべきか。
一見すると楽しそうに働いているようにも感じる。
頑張っている人は頑張っているし、そうでない人はそれなりである。
これは出社だろうが、テレワークだろうが実は同じで、フル出社に戻したとしても、全員が頑張って仕事することなどはあり得ないだろう。
上司に見られているプレッシャーで、サボらないで働くということもあるかもしれないが、上司だって勤務時間中、メンバー全員を細かく監視している訳ではない。
生産性だけでいうと、出社とテレワークは差がないように感じてしまう。
しかし、「分断」という切り口で見れば、間違いなくテレワークは分断を助長している。
テレワークは仕事をしない口実にはならないが、敢えて会社や他人と接点を持ちたくない人にとっては、非常に都合がいい。
余計な同調圧力に屈しないし、自分のペースで仕事が出来るからだ。
しかし、この状況を俯瞰で見た場合は、本当に全体最適と言えるだろうか。
上司の目を気にするだけでなく、周囲がどういう仕事をしているか。
ただ忙しそうに働いているだけなのか、トラブルに対処しているのか。
ちょっとしたことでも、隣同士で確認し合って、ミスを防ぐということもあるはずだ。
先輩が後輩に仕事を教えるのは、テレワークの画面越しよりも、横並びで都度指示をした方が絶対に伝わる。
空気感や、ノンバーバル(非言語コミュニケーション)が、大事だというのは間違いないはずであるが、それを拒否する口実を与えてしまった。
当社の場合は、合併時から分断されていたのだが、それを何とか混ぜようとしても、なかなか混ざらないで今に至っている。
テレワークが全て悪とは思わないが、大きなきっかけとなったのは間違いない。
コロナ禍以後、濃密な人間関係を、職場内で作り上げることが、非常に難しくなっている。
「仕事なのだから、ドライな人間関係だけでよい」となれば、益々静かな分断の溝は深まっていくばかりだろう。
これからの時代は、一つの仕事であっても、益々複雑性が増して、難易度が格段に上がっていく。
そんな中で、他者と敢えて分断して、自分の世界でコツコツと目の前の仕事だけ行うのは、一見すると楽に見えるし、自己の心身を防衛するためにも必要なことだと思う。
しかし、本当にそれでいいのだろうか。
それで果たして、個人の成長に繋がるのだろうか、と思ってしまう。
そういう人は「成長しなくてもよい」と開き直るパターンも多いのだが、それはそれで会社も困る訳である。
資本主義に身を置いている以上、成長は宿命とも言える。
もちろん、過度な拡大による地球環境の破壊など、資本主義の弊害が語られているのも事実。
次の時代に向けて、資本主義自体も変化していくことは間違いない。
それであれば尚更、自分で学習し、成長をしていくことは、個人の生き残り戦略としても、絶対に必要なことだと思うのだ。
スキルの獲得については、自分でコツコツと学習することもあり得ると思うが、違う視点や違う考え方に気付いたり、視野を広げたり、視座を高めたりするのは、他人と積極的に絡んでこそだと思う。
同質性の高い人と仲良くするよりも、これこそ様々な背景の人と接点を持った方がいい。
今で言うダイバーシティ(多様性)ということになるが、分断された職場内では、そもそも他者との接点が薄いのだから、多様も同質も関係なくなってしまう。
イノベーションを生み出すための多様性であれば、それこそお互いを理解するためにも、濃密な人間関係を構築しなければ、何も生まれるはずがない。
どうやったら本音で話し合えて、お互いに協力体制を築けるのか。
解決策は本書にも載っているが、これは理屈ではなく、無理矢理にでもメンバー同士を絡ませていくしかないと思う。
そのための出社、飲み会、1on1、会議での進行、プロジェクトへのアサイン、などなどだが、他にももっとあるのかもしれない。
人間はそもそも社会的な生き物である。
人は一人では生きられないはずで、分断された中で孤独に生きることは、結果的に個人にとって得なことは何もないはずである。
正直に言えば、これからも益々分断は起きていくだろう。
Web3とか、DAOとか、インターネットの世界は中央集権ではなく、分散化に向かう流れもある。
仕事も中央集権的に行うだけではなく、分散化して、プロジェクト単位で集合して解散してを繰り返すことが主流になっていくかもしれない。
そこで成長ができる人はいいのだが、何か違和感を感じてしまうのは、私が古い人間だからだろうか。
今でも確かに番組や映画制作の現場などは、プロジェクト単位にスタッフがアサインされて解散してという仕組みが成立している。
しかしそれは、アサインされるスタッフがプロフェッショナルである前提だ。
下っ端ADであっても、それはプロのADとして、プロジェクトに参加する訳である。
ADから各現場を経験して、自ら這い上がって、ディレクターやプロデューサーになっていく人も確かにいるだろう。
人材プールが多かった時代は、その方式が成立していたのかもしれない。
我々含めて、今の40〜50代は、そういう経験を含めて生き残ってきた訳だから、今の若者にもついついそういう部分を強要してしまいがちだ。
しかし、時代はとっくに変化してしまった。
これだけ労働人口が減っている中で、修業期間をサバイブさせるのは、なんとも効率が悪過ぎる。
それこそ業界存続の危機であるのだから、育成方法を変えていかざるを得ないはずだ。
これは番組制作現場に限らず、他の業界でも間違いなく起こっている事象だ。
なにせ人材プールが足りないのは、日本全国で起きていることだから。
プロジェクト単位に参加して、自ら学ぶ方式の弊害は他にもある。
文字通り「自己流」になってしまうことだ。
様々な現場を経験すれば、それだけ多様なやり方を学んでいけそうに思うが、一方で、その学び方自体が自己流になってしまう。
本来は学び方にも、メソッドがあるはずなのだ。
学校の授業とまでは言わないが、正しい学び方で順番に学ぶことは、品質を一定に保つ上では重要な要素である。
さらに言えば、例え自己流であっても、確かに番組作りのスキルは上達していくかもしれないが、その背景にある「文化」の継承までされるだろうか。
ある番組制作の背景には、成立の理由や歴史があり、そこで語られるべき物語(ナラティブ)が存在したりする。
これは企業も同じで、まさに企業文化として、ノンバーバルに暗黙知として確実に存在している。
本来は、これら企業文化、マインドこそ継承されなくてはいけない。
しかし、今の時代はこの文化の継承が非常に難しい。
今さら、深夜の居酒屋で武勇伝を語る時代じゃない。
それではどうすべきか。
一撃必勝の解決策は見当たらないのだが、とにかく分断を起こさせないような、社内外の人間関係を構築できるあらゆる仕組みを取り入れていくしかない。
本書内にもあるが、上司間が分断していたら、部下間は間違いなく分断する。
ここでも上司の役割が重要で、まさに管理職無理ゲーになりそうであるが、ここは踏ん張るしかない。
負担が増えない形で何ができるか。
人間関係の静かな分断は、企業文化、大局では日本文化の分断にも繋がりかねない話だ。
まずは社内でのアイディア出しから始めてみたいと思っている。
(2025/7/9水)