育児とアルバイト、そして深夜のインフラ学習が作る私の未来
黒い軍服に憧れた少年が、未知の地・日本へ渡るまで
華やかなポスターの裏側で見つけた「成長」
高校時代、黒い軍服を纏った兵士が写る空挺部隊の募集ポスターに目を奪われました。その圧倒的な格好良さに惹かれ、迷わず職業軍人として空挺部隊への志願を決めました。
しかし、実際の軍生活はポスターのような華やかさだけではありませんでした。現実は汗にまみれ、過酷な訓練が繰り返される日々。それでも、限界を乗り越え、一歩ずつ成長していく自分を実感する中で、「このまま定年まで軍人として生きる道」を真剣に考えた時期もありました。
突然感じた「世界の狭さ」と、決死の覚悟
そんなある日、ふと「今の自分にとって、この場所は狭すぎるのではないか」という思いが頭をよぎりました。安定した未来よりも、まだ見ぬ広い世界で自分の視野を広げたいという思いが勝ったのです。
私は長年勤めた部隊を離れる決意をし、それまでの貯金をすべて投げ打って、日本への留学という「未知の戦場」へ飛び込みました。
桜吹雪の中で感じた、新しい人生の始まり
初めて日本の地に足を踏み入れたのは、ちょうど桜が満開に咲き誇る季節でした。見るものすべてが新しく、鮮やかで……。あの時の胸の高鳴りと期待感は、今でも鮮明に覚えています。
1分間の沈黙が、僕を「父親」に変えた。
専門学校での学びと、妻との出会い
日本語学校を修了し、専門学校に入学する頃、一人の女性と出会いました。「あぁ、自分はこの人と結婚するんだろうな」と、不思議と直感的に感じたのを覚えています。
専門学校2年生の時にはIT企業(SES)への内定をいただき、卒業を数ヶ月後に控えたある日、彼女にプロポーズをしました。そして卒業と同時に、私たちは夫婦としての歩みを始めました。
守るべきものが増えた「あの日」の沈黙
貯金も少なく、決して余裕のあるスタートではありませんでしたが、小さな家庭を守るために二人で必死に励みました。
休日も休まずアルバイトをしていたある日のこと、妻から急ぎの連絡が入りました。「何事か」と慌てて帰宅した私を待っていたのは、妻の妊娠の報告でした。
全く予想だにしていなかった展開に、私は1分ほど呆然と立ち尽くしてしまいました。妻は「もっと手放しで喜んでくれると思ったのに」と少し寂しそうにしていましたが、私にとっては、それほどまでに「一人の命を背負う」という責任の重さを実感した、衝撃の瞬間だったのです。
娘が教えてくれた「本当の日常」
我に返った後は、飛び上がるほど嬉しく、すぐに家族へ報告しました。それからは仕事が終わると真っ直ぐ家に帰り、妻を支えることが私の新しい日常になりました。
そして、定期検診のために朝から病院へ向かったある日の夜。娘がこの世界に産まれてくる準備を終え、私たちの元へとやってきてくれました。
2年間の「足踏み」ではなく「助走」を。インフラエンジニアへの進化
キャリアの断絶を「最高の機会」に変える決断
幸せが増えた分、一家を支える責任の重さも増していきました。妻の育休明け、私たちは話し合いの末、「娘が3歳になり余裕ができるまでの2年間、私が育児とアルバイトをメインに担う」という決断をしました。
せっかく手にしたIT企業というキャリアを一時的に離れることに、最初は絶望も感じました。しかし、私はこの2年を「ただの空白」ではなく、「なりたい自分へ進化するための準備期間」と捉え直すことにしたのです。
本質を突く学習:資格は「証明」ではなく「手段」
自分の性格や適性を改めて見つめ直し、たどり着いたのがクラウドインフラの道でした。学習を進める上で、私は自分自身に一つのルールを課しました。それは「資格はただの証明書ではなく、実務で活用するための手段である」と考えることです。
現在はSAA、LinuC-1、Terraform Associate、CKAの順でロードマップを描いています。単なる暗記ではなく、「なぜこの技術が必要なのか」「実務ではどう動くのか」という視点を常に持ち、実戦的な理解を深める努力を続けています。
限られた時間を「データ」で管理するルーティン
私に与えられた勉強時間は、昼休みの30分と、娘が眠りについた後の2時間から2時間半。この限られた時間を最大限に活かすため、ルーティンを固定しています。
- 昼休みの30分:前日の復習を行い、記憶を定着させる。
- 深夜の2時間半:講義の受講、ハンズオン実習、そして学んだことをZennに記録する。
週6日は勉強を頑張り、週に1日は「勉強のことを一切考えない日」を作り、全力で家族との時間を楽しんでいます。
新大久保で置いてきた「かつての私」と、これから歩む「父」の道
先日、遠くへ引越しをする友人に会うため、学生時代によく通った新大久保を訪れました。
昔話に花を咲かせ、店を出ると、かつての喧騒が少し落ち着いた街の景色が目に飛び込んできました。それを見て、「あぁ、思ったよりも長い時間が流れたんだな」と、少し寂しさを感じました。友人との別れはもちろんですが、日本に第一歩を踏み出し、希望に満ち溢れていた「20代前半の自分」がもうそこにはいないのだと、突きつけられた気がしたからです。
駅のホームで友人と別れを告げるとき、心に決めました。「自分の中に残っていた幼さは、この街に置いていこう。」
これからは、愛する家族のために、学習・育児・仕事のどれひとつとして諦めない「父」として、全力で生きていく。
私と同じように、家族のために汗を流しているお父さん、お母さんたちは、国籍を問わずたくさんいるはずです。慣れない異国の地で、時には壁にぶつかることもあるかもしれません。それでも、深夜に一人机に向かうこの時間は、いつか必ず家族の笑顔を守る「壊れにくい仕組み」へと繋がると信じています。
2028年。私は必ず、エンジニアとして新しい景色を見にいきます。その時、隣にいる娘と妻に「頑張ってよかった」と胸を張って言えるように。