「命薬(ぬちぐすい)の豆腐」
「命薬(ぬちぐすい)の豆腐」
朝、まだ陽が昇りきらぬうちに、
仕入れ先の豆腐屋に立ち寄るのが、いつもの習慣になっている。
湯気の立ちこめる作業場には、やわらかな大豆の香り。
大きな釜で豆乳を炊きながら、職人の手が休むことなく動いている。
「今日は海風が強いから、ちょっと煮え方が違うさ」
豆腐職人の比嘉さんが、そう言いながら湯をかき回す。
気温や湿度、風の流れ──それらを感じ取りながら、
毎朝、同じようでいて少しずつ違う豆腐をつくる。
まるで自然と対話するような手仕事だ。
この島では、豆腐はただの食材ではない。
祝いの席にも、祈りの場にも、
いつも当たり前のように“そこにある”存在。
やさしくて、たくましい。
人々の暮らしを静かに支えてきた、命薬(ぬちぐすい)そのものだ。
店に戻り、まだ温かい島豆腐を切り分ける。
包丁を入れるたびに、ほのかな香りが立ちのぼる。
その柔らかさに、自然の力と人の手のあたたかさが同居している。
出汁を張った土鍋に豆腐を浮かべ、
島野菜と一緒に火にかける。
音もなく煮えていく鍋を見つめていると、
まるで時間までもがやさしくほどけていくようだ。
夜の営業が始まる。
常連のおばぁが静かに座り、「あんたの豆腐、変わらんねぇ」と笑う。
「昔の味がするさ。心が落ち着くね」
その言葉が、なによりの励ましになる。
味というのは、舌だけで覚えるものではなく、
その人の暮らしや記憶とともにあるものなのだと思う。
料理をつくることは、自然と人の間に橋をかけること。
大豆が大地に根を張り、風に揺れ、
やがて一杯の豆腐になるまでの時間を思う。
それを丁寧に受け取り、次の誰かへ渡していく。
その循環の中に、食の本当の意味がある気がする。
今夜も厨房の片隅で、
静かに湯気をあげる豆腐鍋を見つめながら、
私は心の中でつぶやく。
「食べることは、生きること。そして、祈ること。」