筆者は、商業媒体での執筆に先行して、3月1日付で、自身のリンクトイン、note、Wantedlyに、「【調査報道】「働きがいのある」グローバル企業は、発達障害者にも働きがいがあるか SDGsブームにも警鐘」という題で、セールスフォース・ジャパン(旧セールスフォース・ドットコム)の労働事件訴訟問題に絡めて同社の障害者雇用状況をデータを用いて公表した。
原告が厚労省記者クラブで記者会見した後、主要メディアのスタンスは、はじめは気になって聞いてみたが、「いやでも双方の言い分聞かないとわからないからなあ」、そして「深入りしたら時間かかるし、まあ判決が出て結果を伝えるようにした方が、訴訟対策にもなるし、いいだろう」というものだったのではないか。
筆者が取材していくうちに、これまでに合理的配慮義務違反が認められた判例は少ないこと、合理的配慮をめぐる裁判では、どちらの側にも客観的な物証(特に録音やビデオ)が不足しているということになりやすく、よほど決定的な証拠でもない限り、放っておけば本当に裁判官(ほとんどが健常者)が事業者側の主張(例えば「本人の望むような配慮はできなかったかもしれないが、できる範囲で配慮していた」「本人も、ウソは言っていないが、本人主観で相手の対応を被害的に受け取る傾向が強く、周囲と軋轢を起こすコミュニケーションをとっていた」など)を聞いて、それを右から左へ流すことになり、合理的配慮義務違反や、場合によってはパワーハラスメントや安全配慮義務違反さえあったとはいえないとされ、障害者が一層心に傷を負う可能性もありえる、という話も聞いている。
しかし、国際的影響力を有し「平等と多様性」「ビジネスで社会変革」といった内容を中心部分に含む発信をしながら、障害者雇用では国で定められた基準すら満たしておらず年度ごとに160万~485万円の納付金を支払っていた、行政への報告義務を怠っていた年(原告が退職勧奨されたと主張する時期と重なる)もあった、それでも、例えば「当社は障害者の雇用をないがしろにしていません、合理的配慮もやってます」と言おうとするかのような会社の主張が右から左へ流される、というような司法判断がされていいのか。
この他にも、厚生労働省の「企業名公表リスク」が迫っていることが否定できないなかで、社内の理解が不十分なまま原告の採用が進められた可能性はなかったか。コロナ拡大で全社員が在宅勤務に切り替えられたなかで、原告の復職に向けて通勤訓練をする必要性はあったのか。改善を求めた原告をトラブルメーカー扱いして排除する同調圧力や体育会系文化の弊害、都合の良い多様性のみを尊重しようとする動き(「平等」カルチャーとは全く相容れない)が社内に働いていなかったか。これらが本訴訟を通して解明されるか。
発達障害当事者や障害者雇用支援に携わる人々のコミュニティから、何が起きていたのか、検証を求める声が上がっている。
「障害者の雇用定着」に加えて、今のビジネストレンドである「人権デューデリジェンス」「人的資本の情報開示」の観点からも、当該企業がどう対応していくか、見ていく必要がある。
障害者問題の裁判には誤解や偏見が多く、労働、入店拒否、逸失利益とそれぞれ異なる場面での事案を取材してきたが、それこそ判決が出ていないうちから声を上げた人が「被害妄想」「わがまま」と見られる向きがある。それがインターネット上の攻撃的な誹謗中傷に可視化されている。こうした風潮により、障害当事者はさらに声を上げにくくなっている、違和感を持つことさえ忌避されている、それを見て障害当事者以外の人も発言を避け思考停止している、ということにも目を向けていくべきではないか。
野村総合研究所が2021年4月に発表したレポートによると、発達障害者の就職率は約3割にとどまる。発達障害と診断された人の4人に1人が5回以上の転職を経験。働く発達障害者の7割が職場で必要なサポートを受けられずにいる。
一般に、発達障害の人は、正直で曖昧さが苦手で、弱いものいじめやごまかしを許さない人が多く、「企業が発信することに表と裏がある」というのは、きわめて強い憤りを覚えることであると考えられる。発達障害の人には、職場で理解されず、いじめやパワーハラスメントの被害に遭い、短期離職を繰り返すといった経験をしている人が多い(全てがそうではない)。原告による記者会見を見て、職場で怒鳴られた経験がフラッシュバックする人、自分のことを言われているような気になる人、「自分も同じようにされてしまうと思うとゾッとする」「他の企業もこうなのか」「やはり社会は理解がない」とパニックになる発達障害の人が出ることは想像できる。こうした声はヤフーコメント欄に現れにくい。他のアカウントから集中砲火に遭うことが目に見えているからだ。
筆者は、当該企業から「日本の発達障害支援にも変化を起こそうとする動きが起きていくのでは」とみてきた。しかし、不都合な真実が手繰り寄せられることになった。
この問題の影響で障害者が就職を避けがちになることが起きれば、同社で雇用率達成が困難になっていき、より多くの行政の指導が入る事態や企業名公表リスクが深化するおそれも否定できない。
「2024年までに3500人にする」という増員計画が進められるなか、障害者の採用は追いついておらず、雇用率達成が困難になることが避けられなくなっているのではないか(関係者のリンクトインプロフィールによると、「年間二桁以上のペースで採用している」が)。同社はインタビュー記事を通して、増員計画の根拠は、「2019年4月に米国本社CEO兼創業者のマーク・ベニオフ氏が東京で発表した」としているが、ベニオフ氏に日本の障害者雇用の実態が伝わっているのだろうか。
国際的影響力のある外資系企業で、「ダイバーシティ&インクルージョン」の先進企業であるようにアピールしながら、日本法人では障害者の定着や雇用率達成への意識が疑われることは少なくない。「世界のグローバル企業の90%がダイバーシティを掲げながら、障害者のインクルージョンが伴っていたのは4%だった」ということがそれを裏付ける。これを変えていこうと、2019年に世界経済フォーラム・ダボス会議で障害者の包摂などを経営課題として扱う国際運動「The Valuable 500(ザ・バリュアブル・ファイブハンドレッド)」がスタートした。同社は加盟するグローバル企業500社のなかから「13の象徴的リーダー」の1社になったのだが。
また、IT業界の障害者雇用率の低さは、同社だけに見られることではなく、構造的な問題とみられる。
これを、特定の企業を批判して終わり、という話にしてしまってはいけない。客観的事実と異なる内容が流布されることが助長されないよう、十分留意が必要だ。
そういうことになったが、これを、多くの人に見ていただく機会があれば、と考えている。
発達・精神障害者の包摂という光の当たりにくい社会課題に着目し、「働き方や社会貢献で優れたイメージを築いてきた国際的な成長企業での差別と人権をめぐる裁判」という重いテーマを、係争中の段階から広範囲にわたって取材したことで、発達障害コミュニティから声が上がることになり、障害者の雇用定着の困難さや制度に伴う問題が社会に知らされ、SDGs目標実現に関する問題意識をも喚起し、司法、ビジネス、行政、世論にインパクトを将来与えうるものと確信している。取材は神戸からほぼフルリモートで行った。
係争中の段階から「差別と人権に関する裁判」を扱い問題意識を喚起することの難しさを痛感しつつ、問題の是正に向けてのメンタル維持力、情報提供者の心の機微に反応する力、多くの人を巻き込む力をもって進めた。
発達障害コミュニティだけではない。例えば、就活解禁となり動き出した就活生、特に働き方や社会課題への意識のある層は、これをどう見るだろうか。
筆者・長谷ゆう D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)ライター
生まれ育った神戸市内の大学に在学中に、広汎性発達障害(こだわりの強さなど)の診断を受ける。東京都内で官庁での調査業務、外資系通信社での経済ニュース翻訳記者を経て、フリーランスで取材・執筆・翻訳。発達障害や障害者雇用の知見を活かし調査報道を行う。ビジネスSNS・リンクトインで「2020年版トップボイス・最も人を惹きつけるクリエイター10人」に選ばれた。13年間東京で活動し、コロナ後のリモートワーク化が進んだことを機に2021年6月に神戸に戻って過ごすようになる。