1
/
5

人事のプロを目指して、自己の成長ストーリー⑤「ただ、ひたすら貢献へ」

 私もすでに50代半ばの年齢となったことで自身のキャリアに関しては従来とは全く異なる感覚を抱くようになってきました。これまでは自身の成長がキャリア選択の中核を占めていましたが、もはやこの年齢となりますと、その観点はほぼゼロに近くなってきているように感じます。過去に在籍したソニーでは、その当時、55歳が役職定年とされており、皆がマネジメント的な立場から一律に外れてしまうルールが施行されていました。一般的な定年60歳まで、あとわずかの年齢に到達した以上、後進に道を譲り、それに伴いキャリアよりライフプランの視点にシフトしていくことが求めらることが当時としては自然な感覚だったのでしょう。一方、今の私は、その昔であれば御法度だったのかもしれませんが、この歳になっても従来以上に会社や組織に貢献したいとの意識が非常に強くなってきています。もはやより良い会社で働きたい、高いポジションや少しでも良い処遇を望むことはほぼありません。ただひたすら自分の能力や経験を少しでも強く必要としていただける環境があれば、迷わずそれを選択する、意識というか、覚悟のようなマインドセットに満ち満ちています。これまで曲がりなりにも積み上げてきた見識や能力を少しでも社会に還元したい、素直にそう考えています。

 そして今まさに私は新たな環境に飛び込む決意をしたところです。決して辞めざるを得ない状況を招いたわけではなく、今の会社でも一応は慰留をしていただけるような状況にありましたが、現在よりもさらに貢献ができる可能性を新天地に見いだせたため、55歳にしてキャリアチェンジの意思決定をした次第です。昨今は有難いことに私が辞めることを惜しんでくれる方々もいらっしゃいますので、40代で人事責任者として十分な貢献ができずにいた頃と比べれば少しは成長できている証左かな、と自分なりには評価するようにしています。逆にそのような状況で責任者が会社を離れるのは不謹慎と考える方がいらっしゃるかもしれません。ただ惜しまれるくらいが自身の貢献度と担うポジションや報酬のバランスがとれている状況と私は考えています。ある程度、自分のポジションを確立してしまうと、ついつい貢献より処遇が勝る状況になりかねないこと、過去の経験から痛感しておりますので・・。また永年、様々な組織を渡り歩く中で、組織体の強さというか逞しさを身をもって体感しているため問題ないとの判断もしています。組織はたとえ非常に優秀な方が退職された時ですら、瞬間的にはダメージがあっても一定の時間を経ればあたかも何事もなかったかのように回っていくものです。その意味で生命体としての組織の偉大さを常日頃から感じており、自身がいなくなれば大変、といったある種の奢りを抱くことは皆無なのです。

 今回、50代にして2度目の転職をすることになりましたが、これによって生涯の転職回数は7回、計8社を数えることとなりました。一般的な日本企業であれば募集にアプライしても転職回数がネックとなり書類選考でNGとなること然りですが、このような状況を招いてしまっていることに不思議と後悔はありません。30代で人事のプロを目指すと心に決め、ソニーを離れた時からすでに「賽は投げられた」と考えていますし、何よりもこの年齢になっても一緒に仕事をしようと声をかけてくれる方がいらっしゃること、そしてそれ以前に自分自身が人事の仕事にマンネリ化せず日々緊張感をもって集中できる環境に身を置き続けることができていることは、ある意味、とても幸せなことではないかと考えています。もし生涯ソニーと考え、今もソニーに居続けたならば、もちろん様々なメリット(永年勤続にかかる退職金など相応のベネフィット含む)を享受できたかもしれませんが、かたや今のように日々新鮮な面持ちで過ごすことができるかは、私の価値観やワークスタイルからすれば、甚だ疑問なのが正直なところです。

 その昔、私は大学を卒業して初めての会社であるソニーで不思議に思ったことがあります。ソニーは当時、就職人気ランキングTOP10の常連で多くの人から入社したい会社の1つとして評価を頂いていました。にもかかわらず、ソニー社員と廊下ですれ違うとき、エレベータに乗り合わせるとき、なんとも覇気のない表情を浮かべた方々が決して少なくない数いらっしゃることが、どうにも不思議でなりませんでした。世間一般的によい会社で働いているにもかかわらず、なぜマインドが伴わないのだろう、と。。今は少しその背景を理解できるようになりましたが、ソニーのようにネームバリューがあり大きな会社は、ある意味、社員をそこに居続けさせる求心力が強くなり過ぎるのではないかと思うのです。給料も相応、会社は安定し、よもや倒産の心配はまずない、第三者からの評判も良く家族の満足度も高いとなれば、当然、会社を離れるハードルは高く、おいそれと決断できるものではないでしょう。このことは会社のリテンション的に望ましいことかもしれませんが、かたや個人の立場を鑑みれば、本来自分によりマッチした環境がほかにある時ですらソニーに残る方がベターとの選択をする可能性が高く、新たな機会獲得に向け一歩踏み出す勇気が削がれてしまうことが往々にしてある気がします。その結果、マッチしない環境に長く身を置きモチベーションが低下した状態で会社に居続ける人を生み出してしまっているのではないか、そう推察する次第です。

 実は私はソニーを離れる際、ありがたいことに多くの方々に慰留していただきました。ただその際に頂いたコメントの多くに「ソニーはよい会社なのにもったいない」があったのです。私はこのコメントに非常に違和感を感じ、逆に転職の意を強くしたものです。人事のプロになるという志のもと異なる環境(他社)での経験を積むことが必要、と泣く泣く大好きだったソニー(当時、自分の家にはソニー製品があふれていました)を離れる決断をしたにもかかわらず、いい会社だから・・と言われても、心に響くことはありません。世間一般的に良い会社が、必ずしも個人にとって、もしくはその時々の個人の状況によって良い会社とは言えないことは皆さんも頭では理解されているはずです。ただいざ自身でそれを捨てる決断ができない、保守的な傾向が特に日本では強いように感じます。今回ですら、うちはよい会社だよ、と言っていただくことが多々あり、過去に多くの方から頂いたコメントがリフレインされ、やはりこの感覚がいまだマジョリティなのか、と少し残念な気がしました。もちろん会社に残った方がよかったのか、そうでないかの結果論は長い時間軸で判断すべきものですし、また個人の価値観に依るものですから、よしあしを問うものでは決してありませんが、私としては自分なりに能動的な意思決定がその時々で行えたかどうかが、とても重要なことではないかと考えます。自身で決断したからには、いかなる結果も受け入れられものですが、もし社命もしくは上司に従い受動的な意思決定を一度ならずたびたび続けてしまうと、それを受け止めさらに自身のモチベーションを保ち続けることが徐々に難しくなってしまう、そう思えてならないのです。

 今が昭和の時代であれば50代はライフプラン重視へ舵をきるにある意味、適切な年齢だったと思います。然しながら人生100年といわれる現代、令和の時代においては、50代はまだ道半ばに過ぎず、少なくともあと10~20年は仕事を通じ意欲的に日々を過ごす必要性を強く感じます。高度成長期のように30代までの頑張りで、あとは慣性の法則では生きていける時代ではないことは自明です。。ただ社会に出て相応の時間を積み重ねたからには、若かりし頃とは異なるキャリア観はもつべきです。私は50歳超となった以上、貢献へキャリアの重心をシフトし、もし自身の能力や経験をより必要としてくれる機会があれば、そのときは逡巡することなくその中に身を投じるべきと考えています。50代からのキャリアは自身の経験を社会に還元する「ただ、ひたすら貢献」にフォーカスし能動的なキャリア選択をすべき、と思いを致す今日この頃です。

 もしかすると私の今のキャリア観や培ってきたキャリアは、いまだ日本ではあまり理解されない、受容されないのかもしれません。ジョブホッパーや組織に定着できない人の一人としてカテゴライズされるのが落ちかもしれません。ただ個人的には今後も能動的な意思決定を続け組織に貢献することにブレずに注力し続ければ、何歳になろうと自分を欲してくれる場所があることを、いつの日かあらためて世に示したいと心ひそかに企んでいます。その暁には日本のマジョリティの意識も変化し新たなキャリア観が日本にも定着するであろう、そんなたいそうなことを夢見ながら、私はこれからも自らの価値観に則ったキャリアを自分を信じてただ只管歩み続ける所存です。

3 Likes
3 Likes
Like Kimitaka Kawaguchi's Story
Let Kimitaka Kawaguchi's company know you're interested in their content