こんにちは。
yutoriの人事、泉水太雅(せんずいたいが)と申します。
yutoriの創業初期から企業理念の作成やプレスリリースなどPR戦略に携わってくれていた、片石さんの友人である「キルタさん」が、本職だった会社員という肩書きを手放し独立。そして改めて、yutoriへのコミット量をこれまで以上に増やす決断をしてくれました。
これまでどういう関わり方をしていたのか、なぜ独立という決断をしたのか。片石さん、キルタさんの2人に伺ってみます。
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泉水:
今日はよろしくお願いします!
まずは、キルタさんの自己紹介お願いします。
キルタ:
改めまして、キルタです。
自分は、新卒で外資系の広告代理店に入社して、約5年間勤めていました。片石とは、自分が久しぶりに会いたい人を集めて開いていた会でたまたま友人の紹介で知り合って、同い年っていうのもあって仲良くなったね。
それから壁打ちとかする仲になったんだけど、ある時「いつか、yutoriって名前で会社つくろうと思うんだよね」って相談されて。そもそも会社名が面白いなって思ったし、友達として役に立てたらなと思い、気づいたら彼が起業したのもすぐで、手伝い始めたのが関わるようになったきっかけ。
最初に手伝った大きなことは、理念を作ったことかな。
2018年4月 起業当時の2人のLINE
片石:
あの時、キルタに「最初に哲学や思想をシャープにするべき」と言われて、会社の”血”を根幹から定義するとしたら早いタイミングからだなって強く思ったんだよな。
yutoriや自身の思想をちゃんと定義することで、静かに小さい波から大きな波が起きて、いつか一つの渦になると感じたのも、キルタと作ったyutoriの理念が始まりだったかな。
yutoriの思想の可視化させるためのメモ
できあがった最初のyutoriの理念・詩
キルタ:
その後は、ことあるごとにプレスリリースを出す手伝いとかをしたり。どうメディアで語っていくかとか、PR的な側面で色んな話をしていたな。
学生時代に外資系のPR会社でインターンをしていたこともあって、ある程度は力になれるかなと思った一方で、実際にスタートアップのPRはそれまで携わったことなんてなかったんだよね。
けど、ずっとインターン時代にやっていたこともあって既存のプレスリリースに飽きていて(笑) yutoriなら彼ららしく新しいかたちのPRができるかもと思って、最初に出したプレスリリースが結構反響もあってメディアでも理想的な露出の流れを生むことができて、そのおかげで他のスタートアップ企業や友人からも「PRを手伝って欲しい」と声をかけていただけたりすることが増えていったな。
いわゆる何者でもなかった自分が、何者かになったのはyutoriのおかげかなと思っている。
泉水:
スタートアップのPRに携わったのはyutoriが最初だったんですね。経験がない中で、yutoriに携わろうって思ったのは何故だったんですか?
キルタ:
「やろう!」って思って取り組んでたわけじゃないんだよね。ただ、友達のお願いだったから手伝ってたというか、なんとなく面白そうなバイブスは感じていたから、自分もこの波に乗りたいなって素直に思った。波に乗ったらその波がどんどん大きくなっていった感じ。
片石:
俺も仕事としてキルタに依頼してたってよりは、友達に相談してるって感覚が強かったな。
ちなみにキルタは、当時のyutoriや俺への印象ってどんな感じだったの?
キルタ:
今だから言えるけど、まさかここまでの組織や会社になるなんて思ってなくて、どうやってお金生むんだろうって思ってた(笑)
面白いことをやってる人は周りに多かったけど、面白いことを生業にしてる人、できてる人はそう多くなかったから、yutoriもまさかここまでの規模になるとは当時は本気では思ってなかったなあ。
その頃一度「一緒に社員としてやろう」と声もかけてもらって、もちろんジョインしたら楽しそうだなって気持ちはあったけど、楽しさだけにつられるのは良くないかなと思ったから我慢してて。
一時的なヘルプとしてマイナスを補う役割を担うの違うと思ってた。
“一緒にやってくれたら助かる” ではなく、“一緒にやれたらら面白くなる”って、いつかプラスアルファにすることができる状況にお互いがなったら、ジョインしようかなって思ってた。
それがちょうどpoolのリリースを出した直後くらいかな?
片石:
この時も友達として手伝ってくれてたよね。その後も資金調達の兼ね合いでロゴを刷新したいって時も。
キルタ:
そうだね。当時のyutoriは、実態を見ればまだまだかもしれないけど、少なからず色々な人を巻き込んで徐々に波をつくっていたのは事実だったから、ロゴでそのストーリーをうまく可視化したいっていう想いがあって。
poolの空間デザインも担ってくれたアートディレクター 心希(しんき)の案で、“色んな人の力があってyutoriができている”というのを象徴するロゴとして今の新ロゴが生まれたね。
型にハマったプレスリリースしかなかった中で、yutoriは常にその既成概念を壊すリリースを出したいなと思ってたから、その集大成としても新ロゴリリースでは叶えられたかな。
片石:
PRライティング担当のキルタと、デザイン担当の心希、サイトを作ってくれたエンジニアの若槻くんの3人に俺の想いだけ伝えて、あとはよしなに全部3人で進めてくれたよね。俺がディレクションしてたわけでもないし。
“源泉を作って、そこから自由にみんなが拡張していく自立型スタイル”が確立されたのはこのロゴ刷新の時の進め方がキッカケになったのもある気がする。
今のアパレルブランドのやり方もそうなんだけど、俺が口を出すのではなく、想いだけ伝えて、あとはメンバーが大きくしている。実際ブランドの意思決定数はブランドマネージャーの方が圧倒的に多いと思う。
キルタ:
新ロゴもリリースも、社外メンバーなのに勝手に進めてたよね(笑)
片石がロゴを刷新したい想いの源泉を共有してくれて、その源泉の濃さがあったからこそ俺も魅力を感じてたし、手伝いたいなってピュアに思えたなと。想いの源泉が濃くて人を巻き込めるのがyutoriと他の企業との大きな違いだと思う。
古着女子から始まって、その後はバーチャルモデル専属エージェント『VIM』だったり、次々新しい波をしなやかに創り出していって、外側からだったけど会社の変化に携われてたことに心地良さを感じてた。
泉水:
初期のプレスリリース以外も、poolやロゴの刷新、VIMなど様々なリリースをキルタさんに対応いただいて、yutoriも世間からも少しずつ注目されてきましたね。yutoriのPRで意識していることはありましたか?
キルタ:
VIMのリリースまでは意外と「既成概念に囚われずに “らしく” ストーリーテリングのあるリリースを出そう」くらいしか考えてなくて、深く考えたのは、yutoriがZOZOグループにジョインする時のリリースかな。もう “エモい” だけとは思われたくない、ビジネス的にも重要な内容をyutoriらしく、世に出すにはどうすればいいか”ってところ。
けど、結局は俺がどうこう意識するっていうよりはやっぱり片石の源泉に依存してたと思うよ。俺はあくまで「編集者」であって「作家」ではないから。
片石みたいに、素直なんだけど斜に構えている人。他者から評価されるか否かじゃなくて、好きなモノとか内側から出てくるエネルギーを言葉に変換している人からは、淀みや濁りのある言葉が生まれてくる。そこに綺麗さのあるエッセンスを加えることによって俗に言う “エモさ” が生まれるんだと思う。その言葉もう解釈が浅いから好きじゃないけど(笑)
よく「エモさを出したい!」って企業さんも多いけど、エモいって実は全然綺麗事じゃなくて、むしろ濁った思想から生まれてくるものだと思う。綺麗なものから綺麗なものは生まれないみたいなことで。だから、出てこない人から良くも悪くも全く出てこないんだよね。出す必要がないことをずっと俺は話してる。
yutori社内のメンバーにある独特な強かな蒼い炎は、片石が持ってる淀みある血が波及しているから感じるのだと思う。
臆病な秀才の最初のきっかけを、創り続ける。 株式会社yutoriのプレスリリース(2020年7月30日 15時30分)臆病な秀才の最初のきっかけを、創り続ける。 prtimes.jp
片石:
人から「いいね」って思われるのはもちろん好きだけど、何がいいかってどんどん移り変わるし、それに振り回されるのは疲弊しちゃう。
それに、創業当時はリリースがバズって嬉しいことにたくさんの人から評価してもらえたけど、一方で事業も整ってないし、オフィスもボロアパートで、評価に対して実態が伴ってなくて辛かった時もあった。その経験もあって、周りから見て良い悪いではなく、自分自身が良いと思えるものをやらないと自分を認めることができないと思った。
だからこそ、自分の場合は好きなものでやる、その好きなものとは洋服。それを気の合う人とやって、規模を大きくしていく。規模が大きくなれば、居心地の良い空間も広げられる。そのためにはお金が必要だったりする。今は上場を目指しているけど、上場することが本質ではなくて、自分の好きなものとか居心地の良い空間を広げる手段だと思ってる。
キルタ:
“好きなことをやる”っていうスタンスが自分がyutoriに改めてハーフコミットしようってなったところにも繋がってきて、広告業界っていかに世界的に名誉ある賞を取ってどう目立つか、登りあがるかっていう評価とか承認欲求が軸の競走社会的な風潮があって。これに最初の1,2年働いた頃から違和感を感じてて「自分は賞を取るために広告業界に入ったわけじゃないしな」と。
「自分が好きと思える企業やブランドをより良い形で周りに伝えたいし、良いものは良い現象がつくれるって信じていたし、ビジネスそのものをサポートしたい」って想いを感じながら働いてて、会社とは別で複数のブランドを手伝っていたり、自分で経営しているものもあったりしたから、いったん会社員であることを辞めてもいいかなと思った。
片石:
服って広告運用でいくらって世界じゃなくて、“現象”をつくっていくことでそれがストーリーになって、強いブランドが育てられる。
前にキルタに入社の声をかけたタイミングはブランドもまだ認知度がなくてそのフェーズではなかったけど、今はブランドの認知度も上がって、面白い企画を当てていけば、どんどん大きくなっていくフェーズ。以前とは違ってキルタとyutoriのお互いが求めているものが偶然揃ったからこうしてフィットしたんだと思う。
俺は会社での人との繋がりをフロー的な、離れる時もあればくっつく時もあるよねって柔軟なものだと捉えてるから、お互いが一番気持ち良くなれる時に関わるのが良いって思ってる。いつかタイミングが来るだろうなと思ってたら、理念をつくったところから3年越しにようやくそれが来たって感じかな。
待ってたのはビジネス的にどうっていうよりは、友達だし好きな人だからこそ、自然とお互いにとってベストなタイミングまで待てたって感じかな。
泉水:
キルタさんも片石さんも、友達で好きな人同士だからこそ、一方的に想いを押し付けるわけではなく、待ち続けた結果、フィットしたんですね。
最後に、キルタさんが今のyutoriでやっていることと、今後どんなことやりたいか教えてください!
キルタ:
まだまだこれからだけど、『9090』をはじめとしたブランドならではの仕掛けづくり。既存のアパレルの売り方に囚われないで、どういう面白い方法や企画で売るか、yutoriとして、それぞれのブランドとして、どういう現象をつくるか、などを考えて実行していければなって思ってる。
今はまだ現場に入ったばかりだけど、自分がやれることはめちゃめちゃありそうだし、自分より遥かに若いメンバーにも感覚やセンスに刺激を受けながら、ものづくりするのはすごく楽しいよ。その結果が跳ね返ってきた時にまた新しい感情も生まれそうで、今後が楽しみだね。
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泉水:
仕事で関わりを持っても、どちらが優位などなく一友人としてフラットな関係で、想いや状況を押し付けずに待ったからこそ、お互いにとって結果ベストなタイミングで合流することができたのだと話を通じてわかりました。
ハッキリとした境界線を作らずに、しなやかな関係を保つことで、小さな波が徐々に大きくなり、インパクトある現象を引き起こせるのかもしれません。